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どこかにいる現代の森の魔女の元へ

作者: 有梨束
掲載日:2026/06/14

半年以上前に書いたものをセルフリメイクした。

「…なんで、こんなに上手くいかないんだろう」


20代半ばだと思われる女性の独り言が、雑踏と暗闇に消えていく。

街は皆忙しなく歩く塊となって、一人一人を観測しちゃいない。




ようやく終わった仕事から脱出するかのように、人が歩いていく。

有象無象の中の1人がポツリと呟いたところで、いつもの効果音だ。

普段ならそんなこと気にならなかったかもしれない。

その一部になっていたことにすら気づかなかったかもしれない。


でも、今日はダメだ。


いつもの光景がやけに悲しくて、歩く波の間で立ち止まりそうになる。

そんなことしたら、つっかえてしまう。

頭でわかっていても、足が固定されていくような感覚に飲み込まれそう。

このいつもの中で、自分1人だけを見て欲しくなった。


(ダメだ、泣く…!)


ビジネスバッグを肩に掛け直して、向かうはずの駅から離れていくように道を曲がった。


考えてはいけない、そう思いながらズンズン足を進める。

下のアスファルトだけを見つめて、無心を装って歩いていく。

冷たい風に鼻を啜る。

目頭が熱い。


昨日、電話した母の声が追いかけてくる。


『そんなに辛いなら、地元に帰ってきたらいいじゃない』


違う、そうじゃない。

そうじゃないんだ。

ただ、…ただ、みんなと同じように頑張りたいだけなんだ。


どこを歩いているかなんて、考えていられなかった。

現実に追い付かれないように、ひたすら歩くスピードが速くなっていく。

歩いていくうちに、足元がアスファルトじゃなくなって顔を上げた。


「あ、れ…?オフィス街じゃない。住宅街なんて、隣接してたっけ…」


そんなに遠くまで来たつもりがないのに、自分が知らないエリアになっていた。

道の先を見ると、腰よりも低い街路灯が等間隔に続いていた。

その光の先が、なんだかどこかへ導いているようにも見える。


ぐしゃぐしゃな気持ちのままでいたから、もうどうにでもなれと思ってしまった。


止めた足を再び動かして、その街路灯を一個一個確かめるみたいに歩いていく。

どうにでもなれとは思ったが、進むにつれて道が細くなっていくことから不安になってくる。

次第に頭の半分くらいは冷静になってくる。


(もしかして、引き返した方がいい…?)


そう思って、今来た道を振り返った時、そこはなぜか木々に囲まれていた。


「えっ」


横も後ろも向かおうとしていた道も、さっきまでなかったはずの木々に囲まれている。


「どういう、こと…?」


さすがに焦る。

これではまるで森に迷い込んだみたいだ。

突然いた場所の景色が変わるなんて、そんなこと起こるわけがない。


瞬きをして、目を擦る。

だが、目を開くたびに見えるのは、木の数々。

状況は変わらず森の中だった。


「もう、なに…。よくわかんないこと、これ以上増やさないでよ…」


悲しさで泣きそうだったのだが、怒りで泣きそうになる。

カバンからスマホを取り出したけど、見事に圏外だった。


「あー、もう!」

思わず声を荒げながら、思いっきり髪を掻きむしった。


どういうこと!?

私、何か悪いことでもした?


やけになりかけた時、進もうとしていた道の向こうに、ぽつんと一軒家が立っているのが見えた。


さっきまではなかった気がするが、気に留めていなかっただけだろうか…。


よくよく見てみると、一軒家というよりか木造の小屋みたいだった。

部屋の中から明かりが零れていて、そこだけが温かく見える。


こんなよくわからない場所にいるんだ、そこが何かくらい確かめてもいいだろう。

そう思うと、気の進まない足が動いていく。

近づいてみると、お店屋さんのような気配がしてくる。


「カフェ、とか?」


すぐ目の前までやってくると、立て看板が置いてあって、『只今OPEN中 必要な方はご自由にどうぞ』と書かれていた。

その側に、竹箒が掛かっている。


「やっぱりカフェなのかな…」


怪しさ満載だが、人がいるならここはどこなのか訊いておきたい。

オフィス街からどれだけ離れてしまったのか。

駅はどっちなのか。

ドアの小窓を覗きたくて、数段の木の階段を登って顔を近づけた。


「わあ…」

人の姿は見えなかったが、中はオレンジ色の灯りに包まれていた。


そこに見えたのは、子どもの頃に見た絵本の世界のようだった。

暖炉のある海外のおうちみたいな。

クリスマスにはきっと、家の子どもたちが喜ぶようなプレゼントの山ができるんだろうと描けるような、そんな空間だった。


古着屋さんなのか、アンティークショップなのか、たくさんの服と小物が整頓されていないのに綺麗に並んでいる。


「店員さんに、ここがどこなのか訊いてみよう…」


口ではそう言いながらも、中の様子が気になってドアノブに手をかけた。

開ける時に、ギィィィと古い蝶番の音がした。


「…こんばんは」

声をかけてみたものの、人の気配はまだ感じない。

ドアから少し顔を覗かせる。


(これって勝手に入っていいんだよね…?ご自由にどうぞ、だし)


一歩室内に体を入れると、ほわっとあたたかい空気と、ふわっとスパイシーで甘い香りがした。

嗅いだことない匂いだけど、身体の芯から落ち着く匂いだった。


冬が近づいた11月には誘われる温かさで、怪しさよりも穏やかさが勝った。

後ろ手でドアを閉めて、店の中へと入っていく。

手前に飾ってある服に、手を伸ばしてみた。


「透明の、ビニール素材?のワンピース…?これ、どうやって着るんだろう」

偏光色のようで、持っている袖を少し揺らすだけで、てらてらと光る。

その隣の服も変わっていて、一見ツナギのように見えるけど、なぜか胸から膝まで真ん中が空いていた。

そして、その隣もロンTと手袋がドッキングされた服。


「…不思議な系統の、服屋さん?」

「あら、ご入用ですか」

「…!」

急に声をかけられて、ビクッと肩が跳ねた。


さっきの蝶番みたいに、ギギギとゆっくり振り返る。


そこにはここに置いてある服とは打って変わって、白いロンTにデニムといったシンプルな格好の女性が立っていた。

40代くらいだろうか、切り揃えられた金髪のショートカットがよく似合っている。

様子を見る限り、接客に来たというよりはたまたま出てきたら客がいた、といった感じだった。


「あ、えっと。ここって──」

「そちらのガウンがきっとお似合いになると思いますよ」

「え、あ、はい」

ガウン…、この絨毯みたいな服?

どこに着て行けばいいんだ。

いや、そうじゃなくて。


「あの」

「ああ、お好きに見てくださって構わないので。何かあったらお声がけください」

「いえっ、あのここってどこなのかなって、お訊きしたくて…!」

繋ぎ止めるように声をかけると、その女性の目が一瞬光ったように見えた。


「ここはどこだと思われますか?」


鷹揚に笑うその女性は、絵本の読み聞かせみたいな声でそう言った。


……なにを言っているの?

ここはどこって、こっちが聞きたいのに。


変な質問で返されてイラッとしたが、女性はふざけている様子ではなかった。

本当に、真面目に、問われているような気分になってくる。

何より心を見透かされていそうな目に、言葉が出てこなくなった。


「…」

目を逸らすのも怖くて固まっていると、女性の方がふふっと可愛く笑った。


「さあ、ではお茶にしましょうか」

「…はい!?」

「今夜は冷えますからね。温かい飲み物がいいでしょう、ブレンドティーはお好き?」

「普段飲まないから、わからないです…?」

「それは、腕が鳴りますね」

女性はニコニコして、奥の部屋に引っ込んで行った。


奥にスペースあったんだ…、いや、そうではなくて!


両腕に大きいカゴをぶら下げて帰ってきた女性は、カウンターの上にどさっと置くとあっという間に準備を始めている。


カゴの中には、瓶がいっぱいだ。

あと、カップとソーサーなどのお茶を淹れる道具なんかも入っていた。

それらを丁寧にカウンターに並べていく。


「あのぉ〜」

「さあさあ、こちらにお掛けになって」

カウンターの横に木のスツールが置かれた。


ダメだ、話を聞いてくれないし、完全に向こうのペースだ。


う〜んと唸りながら、突っ立っているわけにもいかなくて、そろそろと近づいていく。

あ、瓶が光ってる。

瓶の中には茶葉なのか、何十種類という乾燥された何かがそれぞれに入っていた。


キレイ…。


「どうぞ、座ってくださいな」

「お邪魔、します…」

なんだか脱力してしまって、促されるままに座った。

座ったのを見て、女性はジロジロとこっちを見てくる。


こ、今度は何?


目が合うような合わないような視線で見られながら、何かを見られていた。

その女性は、考えるようにボソボソと呟く。


「肩凝り、冷え、目の充血、緊張、胃痛、思考の絡み…ってところかしらねえ」

「…え」

「お姉さん、疲れているわね」

「そんなに酷いですか、私」

思わず頬を両手で触った。


目元のメイクがよれて、クマが隠れてないとか…!?


「ん〜、気にならない程度だから特に気づかれたりはしないと思いますよ」

「でも、店員さんはわかるんですよね?」

「なんとなくですね〜」

そう言って、片手で一つの瓶をヒョイっと持ち上げた。


蓋を開けて薬包紙のような紙の上に、パラパラと載せていく。


適量を載せたのか、また丁寧に蓋を閉めて、違う瓶を開ける。

その手作業は目を惹いて、静かに見守りたくなった。

感覚でわかるのか、分量の違う何かが少しずつ積もっていく。

その所作も綺麗だった。


ふんふふん、と雨音みたいな鼻歌を歌っている、たのしそう…。


何種類もの区別のつかない茶葉たちが積もっていく。

なんか、いいな。


全部載せ終わったのか、紙をそっと摘んでティーポットの中へと入れていく。

サラサラと、見ていて気持ちいい。

丸みのあるティーポットも可愛い。


「お姉さんは疲れているというよりも、気づいてほしいって感じかもしれませんねえ」

「え」

トポトポとケトルからティーポットにお湯を注ぎながら、そんなことを言う。


「なんだか全身がここにいるよって叫んでいますもんね」

歌うように言うから、まるでなんでもないことみたいに聞こえてくる。


「なんで…」

「お姉さん、頑張っているだけですもんねえ」

「なんで、そんなこと言うんですか」

語気が強くなって、まるで言い返したみたいになった。


女性の方も、言葉が途切れた。


(最悪…。喚いて子どもみたい、格好悪い)


それに、惨めな自分を見抜かれて恥ずかしい。

唇をギュッと噛んだ。

これ以上何を言っても余計惨めになりそうで、俯いた。


膝の上に硬く握った拳が、最後の抵抗みたいで空しい。


体感としては10分沈黙があって、でもそんなことはなくて、女性の方が簡単に口を開いた。


「まあ、お姉さんは責任感も強いですしねえぇ」


明日の晩御飯は何にしよっかみたいな声が上から降ってきて、なんとなく顔を上げられた。


「目標は高いし、志も高いし、理想と現実の乖離に苦しくなっちゃいますよね〜。本人としては、ただひたすら上を目指して山登りしているだけなのにねえぇ」


なにをいっているんだろう。


女性の口元を見た。

ヌーディーなベージュの口が軽やかに動く。


「お姉さんはあれよね、甘え方を知らないだけだから大丈夫ですよ」


…なにが、だいじょうぶなんだろう。

…山登りって、何の話?


女性は手元の砂時計をくるっと回した。


「さて、お話し聞きますよ。お茶の抽出が終わるまで」


女性はやっぱり可愛く笑って、スツールに腰掛けた。


(話…、私の話を…?)


というか、お茶の抽出時間って、確か2、3分じゃなかったっけ。

そんな時間で、どう話せというのか。

何も言わずにぼんやりしていると、女性は柔らかく手を叩いた。


「そうだ、ちょうどいいお茶菓子があるんですよ。ちょっと取ってきますね」

返事を待たずに、また奥のスペースへと優雅に引っ込んでしまった。


えっと、話を聞くっていうのは…?


「…ふっ」


呆れたような微笑ましいようなよくわかんない気持ちで、ついに笑ってしまった。


(変な人だな…)


ふう…と、息が漏れる。

あーあ、情けないな。


はじめましての店員さんにまでわかるくらい、今日の私はダメダメなのかな。

それに泣きそうになっている自分が、一番嫌…。

女性がまだ戻ってこないので、今のうちに気持ちを立て直す。


(しゃんとしよう、まだ気を抜いていい場所じゃないよ)


ふんと気合いを入れ直して、カウンターの上を見た。

砂時時計の砂が均一に落ちていくことに、なんとなく安心感を覚える。


こういうぼんやり何かを待っている時間、最近あったっけ。


「お待たせしました〜。こちら甘さがちょうど良くてね。つい本音が零れちゃうような美味しさのクッキーなんですよ」

女性がクッキーの載ったお皿を持って帰ってきた。


「ささ、どうぞ召し上がってください」

「ありがとうございます…」


ここにある洋服に負けないくらい、カラフルなクッキーだった。

女性が一つ口に入れて、美味しそうに微笑んだ。


「はあ〜、おいしい。甘いものも時には必要ですよねえ」


あまりに美味しそうに食べているのを見ると、食べてみたくなる。


「…いただきます」

「はい、ぜひ」

一番手前の桜が練り込まれていそうなクッキーを摘んで、口に運ぶ。


「おいしい…」

「そして、これにはブレンドティーですよ。さあさあ、こちらもできましたよ」


女性がそう言った時、ちょうど砂時計の砂が全部落ち切った。


女性の手元を目で追う。

手際よくスプーンでティーポットの中をひと回しした。

複雑で芳醇なお茶の香りが広がった。

お花の匂いもした気がする。


それから茶こしを使って、二つのカップに交互にお茶を注いでいく。

トポポポ、と透き通った褐色が特別なものに見えてくる。

最後の一滴まで入ったカップの方を、ゆっくりこちらに差し出してくれた。


「お口に合うと嬉しいです」

「ありがとうございます」


カップに少し顔を近づけると、湯気に覆われた。

その湯気が、頑なな自分を全部解いてしまいそうだった。


こんなところで泣くわけにはいかない。

グッと堪えて、カップを手に取った。

お店に入った時みたいに、嗅いだことのない匂いがした。


(ハーブなのかな、美味しいかな…)

躊躇う気持ちもあったけど、口をつけてみた。


「ん、おいし」

はじめての味に、舌が敏感になる。

たくさんの繊細な味がして、それでいてまとまりがあって飲みやすい。

紅茶そのものが美味しいのか、一緒に合わさったから美味しいのか。


ブレンドティーって、こんなにホッとする味なんだ。


「わあ、よかったです。お姉さんの頭の中もゆったりできるでしょう?」


頭の中…、そうかもしれない。


最近、考えることが多すぎて、いつもこんがらがっている。

それを正すために、また考えている。

イタチごっこで、終わりが見えない。


…いや、考えすぎている、とは違うのかな。

ただ、悩み事と焦りを勝手にたくさん抱えているだけなのかもしれない。

そしてそれらを抱えていないといけないような気がして。


(私、もっと頑張りたいだけなのに…)


「お姉さんは、最近何を頑張っているんですか?」

「え…?」

「どんなことを自分頑張ったなあ、って思っているんですか?」

「頑張ったこと…」

言葉を繰り返すように呟いて、思い出していく。


頑張ったこと、…そんなのいっぱいある。

先輩に急に作っとけと言われた資料だって間に合わせたし。

わからないところを教えて欲しいって頼みに行ったら、マニュアル見てって言われて、マニュアル見てもわかんなかったけど、一生懸命読み解いたし。

自分の分の仕事を終わらせられなくて、残業だってしたし。

同期はどんどん仕事をしていくのに、私は新しいことを覚えられなくて。


それで、それで──。


「それ、言葉に出してあげていいんですよ」

女性はブレンドティーを啜って、湯気みたいに言った。

そして、クッキーを食べている。


(言葉に…?)


「こういうのって、よく知らない相手の方が言いやすかったりしません?」

「それはそうですけど…」

「こちらからは何も言いませんので、お好きにどうぞ?」

「いや…」


そう言いながら、ほろほろと言葉が零れていく。


「──私だって、頑張ってるんですっ。要領のいい同期ばっかり新しい仕事を教えてもらえて、私だって早く追いつきたいし」


零れてしまえば、あとは早かった。


「手持ちの仕事をしたくても、先輩が次から次へと自分の仕事を振ってきて、私の元あった仕事が終わらないし…。それなのに、ペースが遅いと思われて、実際残業だし、なんか、なんかもう、頑張りたいのに頑張れないっ…!」


しんと、辺りが静まり返った。

はあ、はあ、荒げた自分の息が耳に響いた。


(ああ、情けない、もうやだな。自分も、何を頑張っても報われないこの感じも)

泣きはしなかったけど、鼻の奥がツンとした。


ああ、なんで言っちゃったかな。

言ったら、もっと情けないところを見ないといけないじゃないか。


(なんて言われるんだろう…)

女性の方をチラッと見ると、緑色のクッキーを食べていた。


「…あ、の」

「ん、どうかしました?」

少女のような表情で、きょとんとしている。


「何も、言わないんですか…?」

「こちらからは何も言わないと言いましたので」

「それはそうなんですが…」

女性の態度に拍子抜けで、肩がズルッと落ちた。


え、ほんとに何も言わないんだ。

そっか。


「他にも言いたいことがあったら、ぜひ言い切っちゃってくださいね」

「…他にも」

とりあえずもう一回、カップに口をつける。


…美味しい、さっきよりも美味しい気がする。


「残業辞めたいです」

「はい」

「仕事のスピードも上げたい」

「はい」

「先輩の仕事は先輩にやってほしい!」

「ええ」

「…なんか、同じことしか出てこないです」

最後は子どもみたいに拗ねた口調になってしまった。


(あれ?意外と悩んでること、これだけ?)

他にもいっぱいあったように思っていた。

いざ言葉にしようとすると、似たようなことしか浮かんでこない。


お淑やかにお茶を飲む女性を見つめた。


「どうかしました?」

「…思ったより、出てこないですね」

「んー、向き合いたいことは意外と数えられるほどだったりしますもんねえ」

「数えられる…」

「あら。ごめんなさい、喋っちゃった!」

女性は口に手を当てて目をまん丸くさせた、仕草も可愛かった。


「あ、いえ、それは大丈夫ですが…」


そう、なのか。

私が向き合いたいことって、これくらいだったのかな。


「ふふ、やっぱりお姉さん頑張っているんですねえ」

「いえ、頑張りたいとは思っていますが…」

「お姉さん、頑固で可愛いわねえ。あら、やあねえ。結局お喋りだわ」

「…ふふ」


不思議と嫌ではなかった。


なんだろう、聞いてくれる姿勢かな、お茶目に見える。

女性に倣って、クッキーに手を伸ばした。

今度は真ん中がツヤツヤの赤いクッキー。

サクッ。


…ん、こっちもおいしい。


なんか、昔読んだ──。


「魔女みたい…」


そうだ、子どもの頃によく読んでもらったあの絵本の魔女みたいだ。


魔女は困った子の味方で、話を聞いてもらいに訪れる子どもの話を黙って聞いてくれる。


それで、飴玉をくれるんだ。

これを舐めると、本当に言いたいことが言えるようになるよ、と。

言いたいことが言えると、うまくいくんだよと教えてくれるんだ。


子どもは疑いながらもそれを口に入れると、すんなり言いたいことが言えて、悩んでいたことがみーんな解決するんだ。

それでお礼を言いにもう一度会いに行くんだけど、そこにはもう魔女はいなくて──。


「魔女?」


女性の声にハッとした。


「あっ、ごめんなさい。独り言で。店員さんが、魔女に見えるというわけではなくて」

「うふふ、もしかして素敵な褒め言葉かしら」

気に障ったという訳でもなさそうで、どちらかというと嬉しそうにニコニコしている。


その様子に肩の力が抜けて、言葉が続く。


「そう、ですね。昔読んだ絵本の魔女が、店員さんみたいに話を聞いてくれて、知恵も授けてくれて、お菓子もくれて、…なんか似ているかもなって。朧げな記憶なんですけど」

「お姉さんにとって、その魔女はいい魔女だったんですね」

「はい、大好きな絵本でした」

「あら、それは嬉しい」

店員さんの目が、また、光ったような気がした。


「魔女、会いたいですか?」


さっきまでの柔らかな目つきが変わって、力強い瞳で見つめられた。


「会いたい…?」

「はい、会いたいですか?」

なんだろう、不気味なのに、信じられるみたいなこの感じ。

不思議だが、考えるよりも前に頷いていた。


「はい、会ってみたいです」

「…お姉さんはそう言うと思いました」

女性がニヤリと笑い、人差し指を天井に向かってくるっと回した。


その瞬間、パッと部屋が暗くなった。


「えっ!」


一瞬電気が消えたか思ったが、すぐに星屑のようなキラキラが辺りを包んだ。


暗いのに暗くない、プラネタリウムみたいだ。

夜の中に青白い星が光っている。


それから、女性の方を見ると、黒いローブを羽織ってそこにいた。

女性の周りが、曖昧に青白く揺れている。


そして、品よく笑った。


「さて、さっきも魔女ではありましたが、今も魔女ですよ。ふふ、会えましたね」

「あえ、えっと、魔女、なんですか…?」

「ええ、お姉さんが魔女だと信じてくれるのなら」


パチンとウインクをされた、…やっぱりお茶目だ。


「魔女のお小言、聞きたい?」

「はい」

「ふふ、お姉さん素直でいい子ね」

目の前の人に言われると、絵本の中の魔女に言われたみたいでくすぐったかった。


魔女はニコニコ笑いながら、歌うように続けた。


「とりあえず、次に先輩に仕事を頼まれたら断ってみて」

「え」

「それから、新しい仕事を教えて欲しいから時間を作って欲しいとも言いましょう」

「え…」

「あと、残業せずに帰りましょう」

「待ってください…!」

思わず話を遮った。


一気に言われて、追いついていない。


「断るんですか…?」

「自分の仕事にだけ向き合うのもたまには必要でしょう?」

「それは、そうなんですが」

「大丈夫。断るということは、相手にはできると頼ることになりますよ」


魔女の発言にびっくりして、私は黙ってしまった。


そう、なんだろうか…。

頼ることになる、そんな発想なかった。



「そして、断ったからといって、幻滅されたりはしません」

「…っ」

魔女の優しい声が、心臓を鷲掴みにした。


「お姉さんのできる甘え方をすればいいんです。だから、まず断りましょう」


『幻滅』という単語が、ぐるぐるしていく。


期待、されたかった。


できると思ってほしかった。

できるところを見せたかった。

頑張りたかった。



「幻滅、されたら、死んじゃいそうです…」



気づいたら、ポロッと本音が出ていた。


「死にそうになったら、魔女が蘇生してあげます」

「蘇生できるんですか…?」

「ええ、禁忌を犯してでも助けに行きますよ」

魔女は背中を押すように、力強く言い切った。


あまり似合わない真顔で言うから、真剣な話なのに笑いたくなった。

そして、やっぱり泣きたくなった。


「…禁忌は、ダメです。死なないので、魔女さんも蘇生しないでください」

「あら、残念。一回くらい使ってみたい魔法でしたのに」

「…ふ、ダメですよ」

どこまで本気かわからないけど、気持ちが軽くなっていくのが自分でもわかる。


…なんか、本当に大丈夫かもしれない。


私の肩の力が抜けたのを見てか、魔女は一番似合う微笑みを見せた。


「では、禁忌ではない魔法を授けましょうか」

魔女が左手をひらりと差し出すと、一枚の古紙がふわふわと飛んできた。


(ほ、本当に魔法だ…!)

ようやく目の前の魔女が魔女だと実感するようだった。

足の先からじわじわと熱が上がってくる。


古紙は魔女の横で止まると、そのまま宙に浮かんでいた。

魔女はそれに人差し指を当てて滑らせていく。

当たったところからキラキラと光が溢れて、文字が書かれていく。


今、見ているものは、現実だっけ。


「よし」

書き終わったのか、その古紙に向かって左手をくるくるさせた。


「汝、助力を授ける紙となれ」

魔女の静かで通る声がして、古紙がオーロラの光に包まれた。


その光を中心に、部屋も一瞬明るくなった。

すぐに光は止んで、古紙そのものが薄らと光を帯びていた。


目が離せなかった。

魔女は小さく頷くと、また左手をひらりと、今度はこちらに差し出した。

その動きと共に、オーロラを纏った古紙がふよふよとこちらに飛んでくる。


「えっ、わ、わっ」

わたわたしている間に、私の手元にまでやってきた。


「さあ、受け取ってください」

「は、はい…!」

言われるがまま、両手で恐る恐る受け取った。


そこには、『頑張り屋さん。頼るという甘え方を覚えたら、あなたの望む仕方でもっと頑張れるようになります。大丈夫。残業はほどほどに。』と書かれていた。


視界が、ぼやけてくる。


「その紙を見たら勇気が湧く魔法もかけておいたので、きっとお姉さんの背中を押してくれますよ」

「…はい」

「大丈夫、魔女は嘘をつきません」

「はい…!」

顔を上げて魔女を見ると、優しく微笑んでいた。


「最後にとっておきのおまじないをかけましょう。お姉さん、信じてくれるかしら?」

「もちろんです」

「うれしい。じゃあ、ブレンドティーをゆっくり飲んでみて」

「はい」

貰った魔法の紙をポケットに入れて、カップを手に取る。


口をつけて、ゆっくりと飲み、喉に流していく。


(あ、やっぱり美味しいな)


「そう、そして目を閉じて」

「はい」


お茶を飲み終えカップを戻し、目を閉じた。


「深呼吸をしてみてください」


魔女の誘導で呼吸に意識を向ける。



呼吸ってこんなに浅くなっていたんだ。

ふー、すー、はー、すー。


徐々に気持ちが落ち着いてくる。



「上手ですよ。さあ、魔女が少しだけ、お姉さんのお手伝いいたしますね」

そう言われた後、おでこのあたりに何かが差し出された気配がした。

多分、魔女の両手だと思う。


「汝、辿り着いた優しい者よ。今日が星となり、日々となり、血肉となるよう、森の魔女がまじないをかける。光が彼女を導くよう、精霊の助けあらんことを」


魔女の言葉が紡がれていくごとに、目を瞑っていても周りが光っていくのがわかった。

ガタガタと窓は鳴り、バタバタバとスーツの裾がはためいていく。


風が生まれている。



「…お姉さん、そのままよ」

今までにない凛と響く魔女の声に、目をさらにギュッとした。


風の向こうから、魔女の声が聞こえてくる。


「精霊よ。夕刻、元いた場所へと彼女を導きたまえ」

その言葉で、目を瞑っているのに視界がぐわんと揺れたのを感じた。


(な、なに…?怖い、何かが歪んでる…!)


目を開けそうになった時、最後の魔女の声が聞こえた。


「またね、お姉さん。会えて嬉しかったわ」

「え、待って」


そう声に出した時には、もう森の中ではなくなっていた。






「──さん、大丈夫ですか?先に帰りますね?」

「へ」

人の声がして、ハッとして、意識を取り戻した。


…あれ、魔女は?


ここ…、会社?


「え、と」

「もしかして寝てました?疲れているなら、帰ったほうがいいですよ」

気遣いの声で、目が覚めていく。

瞼をパチパチさせながら、かろうじて返事をした。


「あ、…はい、そうします」

「無理しないでくださいね。では、お先です」

「お疲れ様でした」

その人の背中をぼんやり目で追いながら、思考を働かせていく。


(さっきまでのは、夢を見ていたってこと?)


職場で居眠りとか、やらかしている。

ああ、また反省だ。

そう落胆しそうになって、ふと気づく。


(その割には頭も体もすっきりしているんだよなぁ)


んー、と伸びをして、さっきまで見ていた夢を思い出す。


(魔女におまじないをかけてもらって、風が吹いて、それで…)


そのままよと言われて目を開けずにいたら、魔女はこう言ったんだ。


『精霊よ。夕刻、元いた場所へと彼女を導きたまえ』と。


(夕刻…、元いた場所…。…会社?)


「…そうだ!またねって言われたんだ。えっと、紙!あの紙…!」

自分で言いながら、急いでポケットの中に手を突っ込んだ。


しっかりと感触がした。


「…あった」

仕舞ってあった紙を、自分の前に掲げた。


オーロラ加工されたような、名刺くらいの大きさの古紙が、そこにはちゃんとあった。

柔らかい文字も残されたままだった。


「…夢じゃなかった」


夢じゃなかったんだ。

魔女に会って、お茶して、魔法をかけてもらったんだ。



『残業はほどほどに。』という文字が目に映る。



(…うん、今日はもう帰ります)

そうと決まると、机の上を片付けた。


今日は帰ろう、明日早く来よう。

ついでにゆっくりお風呂に浸かろう。

そしてたっぷり寝よう、明日に備えよう。


「よし」


帰り支度をあっという間に済ませて、鞄を手に取ろうとして止めた。

そうだと思って、スマホを取り出した。

当たり前だけど、圏外ではなかった。


スマホのケースを一回外して、魔女から貰ったあの紙を挟んだ。

半透明のケースから透けて見えるそれを見て、自然と口元が緩んだ。


「お先に失礼します」

さっき会社を出た時とは違う、洗い立ての気持ちで家路に着いた。





「──さん、この仕事やってもらってもいい?」

「うわ、ごめんなさい。今持っている仕事で手がいっぱいで。他の方に頼んでもらったりって、できますか…?」

「あ、了解。こっちこそごめんね」

「いえ、これがめっちゃ早く終わったらぜひ手伝わせてください」

「ありがとう、その時はよろしくお願いします〜!」

「はい!」

気持ちよく会話ができて、そのまま自分の仕事に戻る。


魔女と会ってからというもの、魔女の紙を視界に入れては、こうやって少しずつ言いたいことが言えるようになってきた。


あれからもう一度魔女の元を訪ねようとしても、あの道に繋がることはなかった。

どうして魔女の元に行けたのかもわからない。

たまに、夢だったのかなとも思うけど、スマホの裏には魔女のお守りがある。


私、魔女に会ったんだ。


スマホをひっくり返して裏を見る。

そして、魔女の笑った顔と楽しそうにしていた姿を思い出す。


(少しだけだけど、私の頑張りたいができています)


そう思えて、魔女につられたように笑みが零れた。

うん、大丈夫。

私、今大丈夫です魔女さん。



「またあのお茶、飲みたいな」




どこか遠くにいる魔女が、また笑った気がした。






了 

お読みくださりありがとうございました!!

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