第8話 ずっとずっと…… その2
市役所の中は当然のように誰もいなかった。
珪斗は床や窓口のカウンターに転がっている“市民や職員だった貝殻”を見ながら超巨大禍々様のエネルギーがいかにすさまじいかを思い知り、身を震わせる。
これまでの禍々様が“タコ足で触れること”により生き物を貝殻にしてきたのに対し、超巨大禍々様は“その存在感だけ”で生き物を貝殻に変えているのだ。
ふたりはエレベーターで最上階へ上がり、そこから階段を経て屋上へ出る。
並んで手すり越しに見下ろす和岳原古墳は全体が光に包まれ、その中央には巨大な漆黒の亀裂が走っていた。
亀裂の奥ではこれまで見たものとは桁違いの超巨大禍々様がタコ足を躍らせている。
「で、どうやって結界をリセットするんだ?」
問う珪斗に珊瑚が得意げに胸を張る。
「それはあたしの仕事なのデス。そのやり方もちゃんと思い出してるのデス。お任せくださいなのデス」
珪斗は考える。
珊瑚がこれから超巨大禍々様のエネルギーを使って結界をリセットして、そこでいつものように自分が超巨大禍々様を狙撃すればすべては終わるのだと。
「よし、とっとと結界をリセットして封緘しようぜっ」
銃を構える珪斗に珊瑚が微笑む。
「言われるまでもないのデス。でも、これは今までと封緘の仕方が違うのデス」
珪斗の手から銃が消えた。
じゃあどうやるんだ?――と珪斗が問い掛けるより早く、珊瑚は改めて超巨大禍々様を覗かせている亀裂に目を落とす。
「あたしがあの中へ飛び込むことで結界が再生されてクラックが封緘されるのデス」
「は?」
その意味がわからないわけではない。
ただ、それを理解することを本能的に珪斗の脳が拒んでいる。
珊瑚があの亀裂の中へ飛び込むだと?
それじゃ珊瑚は――?
珊瑚はそんなことを考える珪斗にすいと距離を詰める。
そして、珪斗のポケットをまさぐって住んでいたプレートを取り出す。
「なので、これはもういらないのデス」
珪斗を見ながらにっこりと首を傾げる珊瑚に珪斗が慌てる。
「いや、ちょっと……」
その先は聞けないとばかりに珊瑚が顔を伏せる。
珪斗と目を合わせるのを恐れているかのように。
そして、訥々と告げる。
「ここで、お別れ……なのデス。今まで……ありがとうございました、なのデス」
珊瑚の言葉を予感していた珪斗が間髪入れず声を上げる。
「やめだっ」
「デス?」
それがよほど予想外の言葉だったらしく、珊瑚が驚いた表情で珪斗を見る。
その赤い頬と涙目に珪斗がまくしたてる。
「やめやめやめやめやめやめ。帰るぞ、珊瑚」
珊瑚の表情が次第に崩れ、無理に作った笑顔になる。
「そんなのダメなのデス。結界を張り直さないとこの町が禍々様に食われるのデス。そして、こっちの世界全体がやがて禍々様に覆われてしまうのデス」
「それがどーした」
珪斗は即答する。
「デス? いや、あの」
潤んだ目を泳がせる珊瑚に、珪斗は感情を叩きつけるように続ける。
「世界全体ったって、僕はこの町で生まれ育ったから他の町とか国とか、知らないしどうなろうと知ったこっちゃないし。そもそもこの町にしたって……」
脳裏にこれまでの学校生活がよみがえる。
小学時代の美化委員・長田、中学時代のヤ○○ン林田と優等生グループ、そして、高校に入ってからの志田や他人の不幸話だけを嬉々として拡散する同級生たち――。
「こんな町を守ってやる筋合いなんて、僕にはさらさらないんだし」
「でも……これまで一緒にやってきたことが全部ムダになるのデス。なんのためにふたりで一生懸命やってきたのかわからなくなるのデス」
珪斗が“わかりきったことを”と言わんばかりに答える。
「なんのためにって……そんなの決まってる。僕が珊瑚と一緒にいたかったからだ、この町を守るためなんかじゃなくて」
言葉もなく、潤んだ大きな瞳で見つめる珊瑚に続ける。
「珊瑚が自粛していた時、町のあちこちに開いたクラックのせいで何人もの人々が貝殻にされた。確かにあの時、僕はなんとかしなくちゃと思った。でも……でも、それだって町を救うためじゃない、貝殻になった人たちを助けたかったわけじゃない、これ以上、犠牲者を出さないようにするためじゃない。珊瑚と一緒にいたかった。もう一度、珊瑚と話がしたかった。以前のような珊瑚と、以前のようにクラックを閉じに行きたかった。このまま珊瑚と会えなくなるのが、あのまま、別れることになるのがイヤだった。それが、それだけが、あの時の僕の本心だった。僕は“この町のために”とか“この世界のために”とか考えて銃を撃ったことは一度もない。禍々様を撃つことで、クラックを閉じることで珊瑚が喜んでくれる。その顔が見たくてやってきただけだ」
「……デスぅ」
「さ、帰ろう」
珪斗の手が珊瑚に伸びる。
しかし、珊瑚はその手から逃げるように後方へと飛び退く。
「でも! でもでもでも、そういうわけにはいかないのデス。あたしも真珠も虎目もこのために現れたのデスっ」
言いながら、がしゃがしゃと手すりに足をかけてよじのぼる。
そして、登り切って手すりにまたがると、ふうと息をついて顔を伏せる。
「初めて立体駐車場で会うまでは不安だったのデス。どんなヒトと組むことになるんだろうって。正直、怖かったのデス。でも……珪斗でよかったデス。自転車とかマンガとかテレビとかお菓子とか……」
見慣れたいつもの笑顔を向ける。
「たのしかったデス。さようならなのデス」
珪斗は諦めない。
「だから、やめようって。そんなことしなくていいって」
珊瑚を引き留めようと前へ出る。
が、その珪斗に背後から抱きついて制止する者がいる。
強い力で珪斗を後方へと引きずっていく者がいる。
「だ、誰……」
一旦は問うもののすぐに“誰でも同じことだ”と思い直し、抱きついた者を振りほどこうともがく、暴れる。
しかし“制止者”はたじろぐこともなく珪斗を引きずっていく、ずるずると手すりから遠ざけていく。
たまらず珪斗は叫ぶ。
「っ放せ。ジャマするなっ」
そして、手すりの上でよろよろとバランスを取りながら立ち上がってこっちを見ている珊瑚に叫ぶ。
「言ったじゃないか、初めての時。資材置き場で。僕につらい思いはさせないって」
声を荒らげ暴れる珪斗に向かって、赤い泣き顔の珊瑚はぺこりと頭を下げる。
そして、笑顔で手を振ると、くるりと背を向けて――飛び降りた。
同時に珪斗を押さえている力が緩み、背後から飛び出した“制止者”が珊瑚の後を追う。
真珠だった。
手すりに駆け寄り、身を乗り出す珪斗のはるか眼下で珊瑚と真珠が亀裂の奥へと消えていく。
珪斗は鉄格子に遮られた獣のように、手すりをがしゃがしゃと揺さぶり狂ったように珊瑚の名を呼ぶ。
そして、まだ自身の身体と珊瑚がケーブルでつながっていることに気付く。
そのケーブルを掴む、引っ張る、たぐり寄せる。
手指に血を滲ませながら。
無意識にぶつぶつとつぶやきながら。
「珊瑚と一緒に帰るんだ。天気のいい日は自転車を二人乗りして市内をあてもなくぶらぶらするんだ。雨の日は僕の部屋で一口モナカを食べながら一緒にマンガを読むんだ。そして、そのまま一緒に昼寝をするんだ。僕と一緒に。珊瑚と一緒に。これからも、ずっと、ずっと、ずっと一緒に。だから帰ろう、珊瑚。一緒に――」
その手応えがふっと消えた時、閃光が走った。
周囲が光で満たされた。




