第7話 彩美の世界 その4
翌日から彩美は学校へ行くことをやめ、虎目と一緒に市内を徘徊して亀裂を開いてまわった。
ひとつ開くごとに亀裂から吐き出される墨で虎目の指は少しずつ黒くなっていった。
「またひとつ、彩美くんの望む世界に近づきましたよ」
そのたびに虎目はそう言って笑った。
そして、資材置き場の亀裂を開封した時、自分たちとは逆に“亀裂を閉じる存在”がいることを知った。
虎目はそんな連中を“敵”と称しながらも、具体的な対抗策をとろうとはしなかった。
「そんな必要はないのです。私たちの仕事は“亀裂を開くこと”なのですから」
ある朝、俊樹を学校へ送り出した彩美は虎目から作業の休止を言い渡された。
「どうもおかしいんですよ」
思わぬ言葉に彩美が問い返す。
「なにが?」
「封緘者、つまり“閉じる方”がさぼっているようです」
彩美にはそれのなにが問題なのかわからない。
「別にこっちには関係ないだろ」
「んー。ちょっと……今日は休みましょう」
そう言って虎目は姿を消した。
ひとりになった彩美は、まだ始業には間に合うことを確かめ、久しぶりに学校へ行った。
机の上はゴミの山になっていた。
立ち尽くす彩美に担任が声を掛ける。
「久しぶりに出てきたのにどうした。はやく席に着かないか」
彩美は無言で机を指差す。
しかし、担任は――。
「先生はずっと休んでた端岡が悪いと思うなあ。端岡が休んでる間も他のみんなはちゃんと掃除をしてたんだから。休んでた分と思って、とっとと片付けなさい」
教室中からの忍び笑いを聞きながら彩美は机上のゴミをゴミ箱へ移した。
そして――誰とも話すことがないまま、さらに、誰からも話しかけられることがないまま、放課後になった。
すぐに病院へ行こうとした彩美だが同級生たちがそれを許さなかった。
「今日の掃除がまだなんだけどー」
「あんたさあ、もう何日もずーっとさぼりっぱなしだよね。恥ずかしくないの?」
「パパとママのお見舞いって、そんなのあたしたちには関係ないよね。なのに、どうしてあたしたちがあんたの分まで掃除しなくちゃなんないわけ?」
「あんたのパパとママがいつまで経っても入院してるのだって、あんたがそうやって迷惑かけてしらん顔してるからバチが当たったんじゃないの?」
彩美は教室を飛び出した。
背後から「逃げるな」「さぼるな」との罵声を受けながら。
そのまま病院へ駆け込み、病室でまだ目覚めない両親を見ながらひとしきり泣いた。
やはり、この世界を壊すしかない。
一日でも早く。
そのためには残りの亀裂をどんどん開けていかないと。
そのためには一刻も早く虎目を探して合流しないと。
虎目はどこだ? どこにいる?
病院を出て町をさまよう。
その時――感じた。
虎目の存在を。
その感覚を追って走り出す。
――いた。
虎目は高校の生徒玄関にいた。
名を叫びながら駆け寄ろうとした彩美だが、慌てて立ち止まる。
亀裂を閉じる者――“封緘者”が一緒にいることに気付いたから。
じっと離れた所で立ち尽くし、虎目と封緘者を見ている彩美に気付く者はいない。
彩美は虎目と封緘者に目を凝らし、考える。
虎目はなにをやっているのだろう?
不意に封緘者が虎目に頭を下げた。
虎目は、そんな封緘者に笑顔で応える。
なにがどうなって、こうなっているのか、彩美には無論わからない。
ただ彩美の中で抑えつけていた感情が一気に爆発した。
その感情は虎目に対する不信感。
封緘者を“敵対者”と呼びつつも放置する――その行動だけでも理解できないというのに、相棒である自分をほったらかしにして、その“敵対者”となにを笑いながら話している?
こんなにつらい思いをしている私を捨てて、その“敵対者”と――。
虎目の目的はわからない。
虎目の真意はわからない。
ただ、思った。
あたしは虎目にも騙されていた。
彩美はそう思った。




