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第4話 真珠になにが起こったか その1

 それからの毎日、放課後は珪斗にとって珊瑚との課外活動の時間となった。

 校門を出たところで珊瑚と合流し、珊瑚が日中に見つけていたクラックを閉じに行く。

 悪天候だったり、唯一の未封緘クラックが先に真珠と管郎によって閉じられていた日は珪斗の部屋でテレビを見たりマンガを読んだりして過ごした。

 そして、迎えた初めての週末。

 土曜日はふたりでクラックを探して封緘した。

 とはいえ、殆どの時間は珪斗の駆る自転車を二人乗りして市内をふらふらと徘徊していただけだったのだが。

 これが珪斗にとっては“生まれて初めてのデート”だったことは言うまでもない。

 続く日曜は朝から雨だった。

 とりあえず止むまで待とうと、ふたりでだらだらと珪斗の部屋でお菓子を食べながら過ごした。

 珪斗はせっかくの機会だから最近気になっていることを訊いてみようとベッドの上から声を掛ける。

「あのさあ」

 勉強机でマンガを読んでいた珊瑚がイスをキイと回して珪斗に向き直る。

「なんデス?」

「接続されると運動神経よくなるよな」

「はいデス」

「あれってドーピング?」

「ドー……なんデス?」

 意味がわからない珊瑚はマンガを下ろして首を傾げる。

 珪斗は“その愛らしい仕草を妄想ノートに書き留めねば”などと思いながら続ける。

「なんかクスリを注入してるんじゃないかと……。最近、妙に身体が軽い気がするし」

「あれは“正しい身体の動かし方”に矯正してるのデス」

 今度は珪斗が首を傾げる。

「矯正?」

 珊瑚は机の上に広げたひとくちモナカを手に取り個包装を開封しながら続ける。

「はいデス。その時々の態勢や挙動に最適な筋肉の動かし方や重心の取り方などなどを珪斗の身体に押しつけてるのデス。これを繰り返すことで接続してない時でも無意識にそういう動きになってくるのデス」

「じゃあ、もともとの僕の身体能力ってこと?」

「そうなのデス。逆に言えばそれだけ珪斗は自分の身体の動かし方を知らないのデス」

 言いながら開封したひとくちモナカを口に放り込む。

「ああああああああ、甘いデスぅ」

 声を上げて恍惚の表情を浮かべる珊瑚を見ながら納得する。

 振り返るまでもなく、幼少の頃から身体を動かすことはあまり好きではなかった。

 結果的に同世代の中では運動量の少ない人生を送ることになった。

 なので“身体の動かし方を知らない”と言われれば“そりゃそうだろうな”と思う。

 とはいえ、正しい身体の動かし方などは体育の授業で教わっててもよさそうなものだが……教わったっけ?

 そう考え、十年にもわたる体育授業について思い出そうとするが、記憶にあるのは体育教師の怒声と同級生の嘲笑しかなかった。

 思わぬところで落ちてしまった“不愉快穴”から這い出すべく話を変える。

「じゃあさ、目や耳が良くなるってのはどうなんだ」

「あれはデスねえ」

 いつのまにか開封を終えていた次のモナカを口に放り込む。

「目や耳がよくなるっていうよりあたしの感覚を共有してるのデス。だから普通の目や耳で見えないものや聞こえないものを捉えられるのデス」

「なるほどねえ」

 原理はわからないがとりあえず納得する。

 どうせ原理を訊いたところで理解などできないだろうし。

 不思議少女・珊瑚による不思議能力ということで納得すればいい――そんなことを思った瞬間、これまでずっと棚上げにしてきた根本的な疑問を思い出す。

 そもそも珊瑚って何者なんだ?

「そういえば珊瑚って……」

「なんデス?」

 さらに次のモナカを開封しながら珊瑚が問い返す。

 一方の珪斗は言葉に詰まる。

「えーと」

 なにから訊いていいのかわからないくらい珪斗は珊瑚のことを知らなかった。

「とりあえず……何歳?」

 無難なところから攻めてみる。

 が、珊瑚の答えは――。

「わからないデス」

「そ、そうか。わからないのか」

「はいデス」

 ニコニコと答えられたらそれ以上は訊きにくい――と、次の一手に移る。

「じゃあ、僕と会うまではどこにいたとか」

「わからないデス」

 次。

「じゃあさ、珊瑚はクラックのことを誰に教わったとか、誰かの命令で僕のとこへ来たとか……」

「わからないデス」

 あっさり疑問のタネが尽きた。

 他になにか、えーとえーと――と頭の中をかき回す珪斗に珊瑚が補足する。

「自分のことはなにもわからないのデス。気が付いたらこの姿でこの世界にいたのデス」

 そう言って開封した新たなモナカを口に放り込む。

「クラックを塞ぐこと、そのために珪斗と合流すること、それが最初の記憶なのデス」

 そして、ため息をつく。

 空になったモナカの個包装をくしゃりと握りしめ、いつになく愁いを含んだ表情で。

 その横顔に珪斗は思う。

 明るく振る舞ってはいるものの、自分が何者なのかわからないことに不安があってもおかしくはない、と。

「つらいな」

 思わずつぶやいた珪斗に珊瑚もぽつり。

「つらいデス」

 元はといえば根掘り葉掘り訊いた自分が悪いと珪斗は頭を垂れる。

「……ごめん」

 そんな珪斗に珊瑚は明るく答える。

「いいのデス。珪斗のせいじゃないのデス。……モナカが終わってしまったことは」

 言いながら机の上に散らかった個包装をかき集めて机脇のゴミ箱へと落とす。

「そっちかよ」

 “ため息の正体”に珪斗が突っ込む。

「なにがデス?」

「いや、自分のことがよくわからないって……不安じゃない?」

「どうしてデス?」

 珊瑚にとって想定外の言葉だったらしく、驚いたような見開いた目で珪斗を見る。

 そして、続ける。

「あたしにとって必要なのは“今”だけなのデス。自分が何者だろうと関心はないのデス。なぜならあたしは珪斗たちみたいな人間ではないのデスから」

 そう言って向けた微笑みの中に、珪斗は今度こそかすかな寂しさを感じたような気がした。

「他に質問はあるデス?」

「んー、とりあえずいいや」

「じゃあまた思いついたらなんでも訊いてくださいなのデス」

 珊瑚がマンガを再開する。

 没頭するその姿を見ていた珪斗は不覚にも――


 ――眠ってしまった。

 昨夜、遅くまで妄想ノートに掛かりきりだったのが悪かったらしい。

 そんなことを思いながら“なにかが腹に載っている感覚”に顔を上げると、身体をくの字に曲げた珊瑚が珪斗を枕に眠っていた。

 どきどきした珪斗はふと気が付いて珊瑚の襟に手を伸ばす。

 “この下はどうなっているのだろう”という好奇心からだった。

 姿勢はそのままで首だけを上げて、静かに襟の裾をつまんでみる。

 珊瑚は反応せず、静かな寝息をたてている。

 完全に無防備な様子に罪悪感がのしかかる。

 その時――

「デス?」

 ――珊瑚が起きた。

 結局、謎は謎のまま終わった。

 そして、そのまま、日曜日も終わった。

 週明けからは前週同様に放課後をともに過ごす毎日が始まった。

 そうやって日を経るごとにふたりの親密さは増し、珪斗から珊瑚に対する緊張は薄れ、そして、珪斗の妄想ノートは充実していった。

 そんな日々に歓迎しない変化が訪れたのはふたりが出会って十日ほど経った日のことだった。

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