第3話 上浜瑞乃という女 その5
「ところでさ」
瑞乃が首を傾げる。
「なに?」
少しためらったがこの際だからと思いきって訊いてみる。
「ス、ス、ス、スカートの中ってどうなってんだ」
「は?」
一瞬、瑞乃の眉間に皺が寄ったような気がして慌てる。
「違う違う違う。そういう意味じゃなくて、教室でそこから貝殻を出したから、びっくりしたんだよ。どういう構造なんだって」
「もしかして知らないのか?」
「なにを?」
「ポケットがあること」
「あ、あるのかっ」
もちろん珪斗にそんな知識などあろうはずもない。
そこへ珊瑚が割って入る。
「見せてあげるデスよ。ほらほら」
ごそごそとファスナーを下ろし、中からポケットを引っ張りだしてみせる。
「ほ、本当だ。ポケットだ」
思わず感動する珪斗を、珊瑚の姿が見えない瑞乃は訝しげに見ている。
そこへ――
「なにやってんだよ」
――不意に掛けられた声に珪斗が顔を向ける。
管郎と真珠が立っていた。
管郎は瑞乃と並ぶ珪斗に見下した笑みを浮かべる。
「女連れかよ、最下位のくせに。悔しくなってオレの真似してんじゃねえよ、あ?」
その意味がわからない珪斗に対して、見せつけるように真珠の腰へと手を回す。
そして、今度は珊瑚を見る。
「ま、オマエについたのがそんなガキじゃあそうなるよな」
要するに、管郎の中では“珪斗は真珠を連れ歩いている管郎に敗北感を覚えた”ということにしたいらしい。
「誰がガキデスかあ」
いきり立つ珊瑚を珪斗が手で制する。
そして、半ば無意識のまま思ったことを口にする。
「そもそも、なんで僕が悔しがるんだ?」
これまでは一方的に管郎が絡んで、珪斗はそれを黙殺するのみだった。
それがなぜ、今この瞬間に言葉を返したのかは珪斗自身にもわからなかった。
珊瑚をバカにされたのがおもしろくなかったのか、あるいは自分が黙っていることで管郎にくってかかる珊瑚を孤立させるわけにはいかないと思ったのか。
一方の管郎も珪斗の思わぬ反撃に一瞬、目を泳がせたものの、動揺を隠そうと引きつった笑いを浮かべてみせる。
「おうおう無理してんなあ。ハラワタ煮えくりかえってんのが丸見えだぜ」
「煮えくりかえってるとしたらオマエのアホさ加減が鬱陶しいからだよ」
「アホはオマエもだろうが」
「分数の足し算もできないオマエよりマシだ」
もちろんできない場面を目撃したわけではなくただの臆測である。
しかし――
「そんなもんで人間の価値が決まんねえだろ」
――その言葉と赤い顔から本当にできないようだった。
珪斗が畳みかける。
「じゃあ人間の価値ってなんだよ。答えられるのか? 答えられないだろ? 人間の価値がどうのじゃなく、単に自分がバカという現実から目を逸らしてるだけじゃねえか。結局、それが自分のバカアピールにしかなってないことに気付いてない底抜けのバカじゃねえか」
「いい加減にしろよ、てめえ」
教室では隅の方でおとなしくしている管郎だが相手が自分より下位に置きたい珪斗とあっては好き放題言わせるわけにはいかないらしく、顔面を紅潮させてつかみかかろうとする。
いきなり目の前で始まった最底辺同士の口ゲンカだが、瑞乃は“アタシは無関係”とばかりに背を向けてスマホをいじっている。
そんなトゲトゲした空気を変えようとしたのか真珠が笑顔で珊瑚に声を掛ける。
「新しいクラックでも見つかった?」
「うんデス。これから封緘しに行くところなのデス。真珠の方は?」
珊瑚も明るく答える。
もっとも、珊瑚の明るさは単純に空気が読めてないだけかもしれないが。
「私たちは終わって帰るところ」
そう言って真珠は一触即発の空気を中和するような穏やかな表情を管郎に向ける。
「ですよね? 管郎様」
気勢を削がれたらしい管郎は改めて真珠の脇に手をまわすと胸を揉みながら珪斗を見る。
「昨日も寝てねえしな。帰って続きだ」
そして、珪斗と珊瑚を見比べる。
「オマエには真似できねえだろ」
ここで管郎が瑞乃ではなく珊瑚を見たのは、学校では自分のことを相手にしないであろう同級生の瑞乃が珪斗のパートナーである可能性を認めたくなかったから。
容姿的に未成熟で管郎から見ればなんの魅力もないうえ、相棒的立場というだけで懐いているはずの珊瑚を珪斗のパートナーとした方が自身の劣等感を刺激しないから。
一方の珪斗は“まだ続けるのか”とウンザリ顔で答える。
「だから真似しねえって。なんでわざわざ自分よりアホの真似する必要があるんだ?」
「お? 負け惜しみか? そうやってせいぜい悔しがってろ」
「さっきから一回も僕の訊いてることに答えてないな。そんな難しい話をしているつもりじゃないのにな。それでも理解できないんだな」
しかし、言ってからイヤな気分になる。
わざわざ挑発するようなことを言い返してしまったのは、言われっぱなしで悔しいという気持ちがあるからじゃないのか、その“悔しい”という感情は自分の中に管郎への劣等感か敗北感が存在するから感じるんじゃないのか、と。
そんなことを思う珪斗に管郎は――
「うるせえ、バーカ」
――吐き捨てるように言い残し、真珠を抱いたまま歩き出す。
真珠は管郎の腕の中で上体を無理にひねって珊瑚に手を振る。
「じゃあね、珊瑚。がんばって」
珊瑚も手を振って返す。
「がんばるデス」
珪斗がその様子にほっと息をつこうとした瞬間、背後から“やっと終わったか”と言わんばかりのため息が聞こえた。
ため息の主は瑞乃。
全身から立ち上らせているイライラオーラが、思わぬ足止めに苛立っていたことを表していた。




