6. 恋を知らない魔法使いの娘
花祭りの当日。
店の奥の自室で、来ていく予定のワンピースを壁にかけ、それにアクセサリーを準備してロジーナはにまにまと眺めていた。
騎士団を見学していた令嬢たちのようなドレスは作れないので、彼に褒めてもらった群青色のワンピースだ。
今日まで、指折り数えて待っていた。
治療は終わったのでセドリックと会うこともないし、騎士団の治療室にも彼はやってこないが、先の予定があることはロジーナにとって心の支えになった。
「ふふふ」
机に頬杖をついて、壁にかけたワンピースを眺める。
彼はどんな格好で現れるだろう。治療に来るときは騎士服のことが多かった。
でも背が高いので、どんな私服でも凛々しいはずだ。
もうすぐ外も暗くなる。
街灯が灯り始める頃、城の門が開く。
今日は街のみんなも活気付いていた。城の庭が開放されるより早く、街のお祭り自体は始まっているのだ。
馬車通りは全て止められ、あちこちの飲食店でテラス席が出される。
街の楽団が演奏してくれるので、それを聞きながら、食べたり飲んだり、踊ったり。
城での花祭りを見終わった後、セドリックと一緒に街に戻って食事するのもいいかもしれない。彼は食べるのが好きだから、きっと同意してくれるはずだ。
「さあて」
そろそろ着替えようかな、と腰を浮かしかけたところで、ドンドンドンと店の扉が乱暴に叩かれる音がした。
今日は一日閉店にしてある。
が、切羽詰まったような叩き方に、ロジーナは慌てて自室を出た。
「癒し婆さま! 癒し婆さま!!」
「スミスさん!?」
店の入口を開けると、八百屋のスミス夫人が息を切らせて立っていた。
普段きっちりまとめている髪も乱れ、祭りの日とは思えぬ顔色の悪さだ。
「どうしたんですか、スミスさん」
「お休みの日にごめんなさい。ロジーナちゃん、癒し婆さまいらっしゃる!? リックが、リックが」
「リックちゃんが何かあったんですか!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい。熱が下がらないの。なんとか癒し婆さまにお願いしたくて」
「分かりました、すぐ準備します」
スミス夫人を店の前に立たせたまま、ロジーナは店の奥に戻って灰色のローブを手に取った。
素早く詠唱して癒し婆の姿になる。薬をいくつかカゴに詰め込んで、扉を開けた。
「待たせたね、行こう」
「癒し婆さま…! 本当にすみません、ありがとうございます!」
老婆の姿で全力で、スミス夫人の後を追って八百屋まで行く。
街は、祭りの人々であふれていた。
道にはテーブルと椅子が出されており、グラスを手に笑い合う人たちが大勢。
腕を組む男女が城の方へ向かうのをすれ違いざまに横目で見て、ロジーナは先を急いだ。
♦
帰ってきたら、真っ暗だった。
灯りも付けず、重い足取りでカウンターへ向かう。
透明ガラスの器を開け、紅玉の指輪のはめられた人差し指で、まんまるの砂糖菓子を選んで。
「ど・れ・に…………」
先を続けず、適当に指先で摘んだそれを口に放り込み、心臓がひとつ、大きな鼓動を立てて一瞬。
灰色のローブを脱ぎもせず、ソファにくずおれた。
「……………………」
街灯が灯ってから、もうどれくらい経っただろう。
とっくに外は暗くなり、祭りを楽しんでいた人たちの中でも、子どもたちはもう家に帰り始めている。
彼も、もう帰っただろう。
幸い、リックは重症にはならなかった。
熱が続き、医者に診せて薬は飲んだものの、なかなか熱が下がらなかったらしい。
体力が落ちていて水分を摂れない状態になっており、そうすると医者でもどうにもできない。あとは本人の体力次第になるからだ。
ロジーナは癒し婆の姿で、リックに治癒魔法をかけ続けた。
すると、ふうふうと荒い息だったのが少しずつ落ち着いていき、水分を口にするようになった。
熱はまだ下がりきっていないものの、もう心配ないだろう。
もちろん、自分の判断に後悔はない。
けれど──。
セドリックの待つ、城の門に行きたかった。
彼に会って、「わたしも同じ気持ちです」と伝えたかった。
腕を組み、城の庭を一緒に歩いて。街で食事をして、次の約束をして、たくさんお喋りしたかった。
最後のチャンスだったのに。
いくら待っても現れないロジーナに、彼はどう思っただろう。
きっとロジーナは自分と同じ気持ちではないと感じたはずだ。
門の前でずっと待ってくれていただろう彼を思うと、胸が締め付けられた。
どれだけ待たせてしまったか。
がっかりさせてしまったか。
もう会えない。
「うっ、うっ……」
ソファに突っ伏して、しばらく泣いて。
──でも。
この初めての恋になんとか区切りをつけたいとロジーナは思った。
思えば、自分からセドリックに何も出来ていない。
セドリックは自分を助けてくれて、夕食に誘ってくれて、たくさんお喋りをしてくれたのに。自分はそれに甘えてただふわふわしていただけだ。
これまでの人生で、こんなに好きになった人に出会ったことない。
もう彼に幻滅され、気持ちを向けてもらえなくなったとしても、ちゃんと伝えなければならない。
ロジーナは顔を上げると、店を出て全力で駆け出した。
城から街へ戻る人々の波をすり抜け、必死に足を動かして。
走れるはず。だっていまは老婆の癒し婆ではない。
魔法使いのロジーナの姿なのだから。
人々の流れに逆らうように走り、街を抜け、石畳の橋を駆ける。
周りにおかしな目を向けられても、気にしていられない。急げ、急げ。
徐々に人通りが少なくなり、巨大な城の門が見えてきて、ロジーナはそれまで動かし続けてきた足を止めた。
「はあ、はあ、はあ…………、閉まってる……」
遅すぎたのだ。城の門は閉まっていた。
人通りが少なくなったのはそのためで、城の庭での花祭りは終わり、市民たちは帰ったということである。
もう、わたし何をしてもうまくいかない。
そう思って、また涙が滲んできた。
自分の気持ちを知るにも時間のかかる小娘で、自ら動くことも出来ない臆病者だ。
もう終わり。門が開いていなければ、彼に会うことは出来ない。
「はあ、はあ」
肩で息をしながらよろよろと門へと向かう。
門の前には、警備の騎士が一人──。
「ロジーナさん!!」
その騎士がこちらへ駆けてきたので、ロジーナは目を疑った。
「ロジーナさん、大丈夫ですか!?」
「え……、セドリックさん……、えっ、えっ!?」
駆け寄ってきた彼の、心配そうな灰色の瞳が見つめてくる。
信じられなくて、ロジーナは騎士服のセドリックの上から下まで見た。
「うそ、え、セドリックさん、帰ったのでは……!?」
「すみません、ずっと待っていました」
「ずっと……」
もう約束の時間から、三時間は経っている。
ずっと待ってくれていた。この、門の前で。
「……本当に、ごめんなさい!!!!」
「えっ」
ロジーナは勢いよく頭を下げた。
「約束通り来る予定だったんです! でも急患があって、どうしても行かなければならなくて。連絡も出来ずに本当にごめんなさい!!」
「……ロジーナさん、顔を上げてください」
そうっと顔を上げると、セドリックは優しい目をしていた。
「その急患の方は無事でしたか?」
「は、はい。赤ちゃんだったんですが、治癒魔法をかけてきまして、もう大丈夫です」
「それは素晴らしい仕事をしましたね」
「セドリックさん……」
「俺、きっとロジーナさんは来てくれるだろうと思っていました」
「…………」
「だから、あなたに何かあったんじゃなくてよかったです」
優しい言葉をかけられて、胸が詰まる。
泣きたくなったところをぐっとこらえ、ロジーナは紅色の瞳をセドリックに向けた。
「セドリックさん、大好きです」
彼の、灰色の目が丸くなる。
「ずっと正体を偽って過ごしていました。でも本当の自分であなたといるととても楽しくて、わくわくして、しあわせです。治療は終わりましたが、これからも会って欲しいです」
一息で言い切って。
はあ、と息をつくと、セドリックは顔を綻ばせた。
「好きって、先に言われちゃったな」
両手をセドリックに取られた。
触れたのは初めて。腕を治療していた時は、かざしていただけだったからだ。
彼は、自分よりずっと大きくて、硬い手をしていた。
「俺もロジーナさんのことが大好きです」
微笑み合って。
きっといま、世界でいちばんしあわせだ、とロジーナは思った。
♦
門が閉まってしまったので、二人で街に戻ることにした。
全力で駆けてきた道を、手を繋いでのんびりと歩く。
「さっき、走って来たのが癒し婆さまかと思いました」
「え? あっ、ああ」
改めて自分の姿を確認してがっかりした。
着替える余裕もなかったので、灰色のローブを羽織ったまま出てきてしまった。
「慌てていたので……、恥ずかしいです」
「いいえ、その姿、俺は好きです。初めて会った時のことを思い出しました」
「初めて会った時?」
「俺がお茶を振舞ってしまった時」
「ああ……」
砂糖の入った茶を飲んでしまい、変身魔法が解けて正体を知られてしまった時のことだ。
「俺が治療を受けた数は少ないですが、癒し婆さまは誰にも平等で、丁寧で。それからいつも地味なローブ姿なのに綺麗な爪の色が毎回違うのが気になっていました」
そう言って、セドリックが繋いだ手を上げてロジーナの指先を見たので、ロジーナは恥ずかしくなった。
今は用意していた群青色のワンピースに合わせ、淡い水色に塗ってある。
まさか癒し婆の姿の時にそんなところを見られていたとは。でも確かに、茶を振舞われた時に爪の色を褒められたのだった。
「だから、ロジーナさんのことを知って納得しました。どちらの姿の時も、あなたはいつも変わらず真摯に仕事に取り組んでいる。尊敬しています」
「わたしもです。セドリックさんだけが、老婆の姿のわたしにも丁寧に接してくれました。わたし、」
もう一度、「好きです」と告げようとしたところで、お腹がぐうと鳴った。
「…………頑張って走ったものですから……」
「今夜は街にうまいものがたくさん出てますよ。一緒に食べましょう」
朗らかに言うセドリックに、笑顔で頷く。
繋いだ手が温かかった。
《 おしまい 》