9 自分の気持ちと向き合おうとしたら、前世と再会しました
「財務部を希望したはずなんだけどな……」
ルーチェはバーナードの執着を甘く見ていたのかもしれない。
文官試験に受かり、出勤初日に告げられた部署は宰相直下の政策室だった。
そう、バーナードも宰相補佐の一人として勤務している部署だ。
「ああ、ワトソンさんは外国語も堪能で、マナーもしっかりしているし、外交部も欲しいって声があったみたいだよ……。ペンフォード宰相補佐が今はまだ内政に力を入れる時期だし、政策室も外交政策を扱ってるからって譲らなかったらしい。希望が通らなく残念だったね。でも、政策室に配属されるってことは二人ともとても優秀だということだから」
「とんでもありません。ありがとうございます」
政策室に配属された新人のルーチェと、ダナン侯爵家のベイジルを迎えに来てくれた政策室の文官がすまなそうな顔で告げる。
ぽつりとつぶやいた独り言に対して、真摯に謝られて、ルーチェは恐縮して頭を下げた。
確かに、文官試験はバーナードが勉強を見てくれたおかげで手ごたえはあった。
女性であることを加味して、事務的な部署に配属されると思って油断していた。
バーナードはじわりじわりとルーチェを囲っていくつもりのようだ。
前世のように公私混同してはいけない、とルーチェは気持ちを新たにした。
「ルーチェ、お昼ですよ」
備品や簡単な仕事の流れなどの説明であっという間に午前中が過ぎ、昼の休憩時間がやってきた。
ルーチェの正面ではにこにこ顔のバーナードが立っている。
「あの、ペンフォード様。仕事中は名前呼びは控えていただけると……」
「休憩時間だから私的な時間だろう? 昼ごはん一緒に食べよう」
「私、食堂へ行くので……。あの、みなさんと一緒に……」
先ほど、仕事の説明をしてくれた文官は宰相や宰相補佐などの上役以外の平の文官は皆で食堂で食事をとると聞いた。
執務室の文官の先輩達はルーチェから目を逸らして、そそくさと執務室を出ていく。
「ちょっと、ダナン様! 待ってください! 置いていかないで!」
「俺はまだ死にたくないし、出世したいから、ごめんな! 俺、ただでさえ目を付けられてるんだ……」
ルーチェと同じく新人のダナン侯爵家のベイジルに声をかけると、彼もそそくさと先輩達に続いた。
ベイジルは学園卒業前に、三歳年下の伯爵家の令嬢と婚約した。ルーチェとは違い可愛らしいタイプの令嬢だ。
ベイジルはルーチェのデビュタントのエスコート相手のことを気にしていた。けれど、結局友人たちが想像していたような学友以上の気持ちはルーチェには持っていなかったのだろう。
それにしても、切磋琢磨した学友を切り捨てるなんて冷たい。
「ルーチェの好きなチキンのトマト煮です。侯爵家のレシピですよ。さ、応接室で食べましょう」
「え?」
ルーチェの前に籠が差し出される。
漂うおいしそうな香りに抗えない。
結局、食欲に負けて毎日、バーナードと応接室で昼食をとることになってしまった。
◇◇
ルーチェは文官としてやっていけるのか、エリート揃いの政策室でやっていけるのか不安だったが、仕事には思いのほかスムーズになじんだ。
問題は結局バーナードのことだ。
毎日、顔を合わせて、お昼を一緒に食べるせいで考えずにはいられない。
いくらバーナードが待つと言ったって、恋人でも婚約者でもないのに特別扱いされて甘やかされていて良いわけがない。
政策室のメンバーはそんな二人を温かく見守ってくれているし、仕事中はバーナードもそれなりに切り替えてくれているけど。
今日は視察があるためバーナードは一日不在だ。
久々に昼休憩に一人になったルーチェは王宮の庭園の片隅のベンチに腰掛けて、紙袋から取り出したリンゴをかじる。
シャリっと一口齧ると、爽やかな酸味と甘みが口の中に広がる。
リンゴは政策室付きの侍女からもらったものだ。
政策室は若手で有望でさらに外見も優れている貴族令息の集まりだ。もめ事を避けるため侍女は若手ではなく年配の者が配置されている。政策室で唯一の女性文官であるルーチェは年配の侍女達に娘か孫のように可愛がられていた。
いけない。このままでは流されてしまいそうだ
バーナードの側は居心地がいい。
それに未だに好きなままだ。
なんなら、好きな所が増えていってる。重症だ。
前世、護衛騎士だった時もかっこよかったけど、文官として仕事をする姿も素敵だ。
いつもルーチェといる時とは違って、あまり表情を変えず淡々とすべきことを進めていく。
評判通り、頭が切れる有能な宰相補佐だ。
ルーチェに言葉も態度も惜しまないバーナードをなぜ拒んでいるんだろう?
若干、ルーチェへの執着が怖い部分もあるけど。
ここまでくると、頭がおかしいのは自分の方な気がしてくる。
なにが問題なんだろう……?
前世と同じように不幸にしてしまうかもしれないから?
前世に不幸にしてしまったのに、彼と幸せになるなんて罰当たりだから?
前世のエレノーラに執着してるだけで、ルーチェが好きなわけじゃないかもしれないから?
深く思考に沈んでいたルーチェは、人の気配にはっと我に返った。
「あら?」
そこには前世の娘であり、今はこの国の王妃殿下であるフェリシアがいた。
普段使いのシンプルな水色のドレスの裾がさらっと揺れる。
ふわふわの銀色の髪が日の光を浴びてキラキラしている。
白い肌も澄んだ紫の瞳もつやつやの唇も。
なにより柔らかいその表情が。
相変わらずいえ、あの頃より輝きを増している。
本当に私の娘は、可愛いわね。
三人の子供がいるとは思えないくらい綺麗で、可憐さを保っている。
思わずフェリシアに見とれていると、護衛騎士がざっと出てくる。
しまった。ここは王族以外立ち入り禁止エリアだ。
無意識に、昔よく散歩した庭園に足が向いてしまったのだろう。
ルーチェは慌てて立ち上がり、両手をあげて敵意がないことを知らせる。
慌てていて齧りかけのリンゴを隠すことを忘れたまま。
ルーチェの膝からリンゴの入った紙袋が音を立てて、落ちた。
「ふふふっ。あなたはワトソン侯爵家のルーチェね。政策室で初の女性文官の。がんばっているって聞いているわ」
護衛達に警戒を解くように頷くと、フェリシアがふんわりとほほ笑んだ。
「……ありがとうございます。立ち入り禁止エリアに足を踏み入れてしまい申し訳ありません。綺麗に整えられていて、足が向いてしまいました」
「ついうっかり、ね?」
フェリシアがルーチェに顔を寄せてきて、ドキッと心臓が跳ねる。
ふわっと花のような甘い香りが漂った。
「フェリシア! ネズミが入り込んだと聞いたが大丈夫か? ジン、警備はどうなってるんだ?」
そこへ現れたのは国王陛下であるジェレミーだった。
ルーチェは完全に退出するタイミングを逃した。
「ネズミだなんて、失礼よ、ジェレミー。可愛いお嬢さんが迷い込んだだけよ」
ルーチェはいたたまれなくなって頭を下げて固まった。
慌てて齧りかけのリンゴを隠す。
「ああ、ルーチェ・ワトソンか。今回は見逃すが、次回はないぞ」
「承知いたしました」
「おもてをあげてよい。……ワトソン、困っていることはないか?」
「は?」
国王陛下からの意外な声かけに、つい間抜けな声を発してしまう。
「例えば、バーナード・ペンフォードとか……」
「ペンフォード宰相補佐……ですか?」
「一度だけなら、助けてやる。お前には借りがあるからな」
国王陛下の深く澄んだ青い瞳を思わず凝視する。
この人もルーチェが前世、女王だった記憶を持つと知っているのだろうか?
娘を託して、私の首を差し出したことを言っているの?
前世でフェリシアはジェレミーとの婚約が破棄となり、廃太子され断罪された。
その後、厚い氷に包まれたフェリシアを前にジェレミーと約束を交わした。
女王である私が黒幕である宰相に処刑されるようにもっていくから、それを止めないようにと。
そして、その後に黒幕達を断罪し、フェリシアを幸せにすることを頼んだ。
愚かでなんの力もない女王にはそれができる最善のことだったのだ。
はっとして、フェリシアの方を見ると彼女の瞳も潤んでいる。
三人の間になんともいえない間が漂う。
「あの、失礼いたしました。以後気を付けます」
いたたまれなくなってルーチェは頭を下げて、リンゴの入った紙袋を回収すると、足早にその場をあとにした。
胸に渦巻く色々な思いを抱いたまま。
結局、自分の気持ちを整理するはずが前世の娘と婚約者との対面で、結論を出すことはできなかった。




