8 『悲劇の妖精女王』を観劇してみました
甘やかなデビュタントの夜に距離が縮まった気がして警戒するルーチェをよそに、バーナードは節度のある距離を保ってくれた。
あれ以来、前世の話題も出てこない。
学園の卒業を前に、卒業論文や文官試験の勉強に追われるルーチェを気遣ってくれたのかもしれない。
学園に入学以来、距離を置いてまったく会っていなかったが、バーナードの提案で週に一回は顔を合わせるようになった。
長期休暇やイベントの時にしか帰っていなかった侯爵邸に週末ごとに帰るようになった。
ルーチェが侯爵邸へ帰ると、バーナードは必ずお土産を持ってやってきて勉強を見てくれた。
一週間に一度は会うが、関係性は平行線のままだ。
問題が一時的に保留にされたことにルーチェはほっとしていた。
◇◇
「ルーチェとデートするのは初めてですね」
馬車に並んで座って、バーナードは傍から見ても分かるくらいに浮かれている。
広い馬車なのに、なぜかぴったり並んで座って、手まで繋いでいる。
手を繋ぐのはキス以下だから、有りなのかしら?
前世でもつきあったのは彼だけで、今世でも恋愛経験のないルーチェにはわからない。
「手を繋ぐのは馬車が揺れるからですよ」
ルーチェのいぶかしげな視線を受けて、バーナードが補足する。
ルーチェだって、堂々と二人で出かけられることに内心浮かれている。
そんな気持ちを見透かされないように、窓の外の街並みに目を向ける。
前世で女王だった時代に街を散策したり、視察したことはない。
だから比較はできないけど、街並みは綺麗で清潔だし、店も活気がある。
なにより、街を歩く人々の表情は明るい。
そのことにルーチェはほっと胸を撫でおろした。
「……アボットは幸せだったのかしら?」
ぼんやりしていたルーチェは頭に浮かんだ疑問が、そのまま口からぽろりとこぼれた。
前世のバーナードは王太子であったルーチェの護衛騎士だった。
没落寸前の伯爵家の次男だけど、王族の護衛騎士であれば貴族令嬢と婚姻できて十分生活していくことができただろう。
そして、街中を歩く親子のように普通の幸せを味わえたのではないだろうか?
ふいにそんな思いが湧いてくる。
前世の彼を不幸にしたのは、私だ。
傲慢で我儘な次期女王にふりまわされて掴めたはずの幸せを奪ったのは自分だ。
彼の不幸の元凶のルーチェがなにを言っているのだ。
そのことに気づいて、ルーチェは顔を青ざめさせた。
「ごめんなさい、なんでもないの」
「ある意味幸せで、ある意味不幸でした」
はっとして、バーナードの方に顔を向けると固い表情で告げた。
その言葉の意味を知りたいと思った瞬間に馬車は目的地に着いた。
今日は、ルーチェの卒業と文官試験合格のお祝いにとバーナードが観劇に連れてきてくれたのだ。
バーナードが贈ってくれたパステルグリーンのドレスに身を包んで、浮かれていた気持ちは席に着くころには沈んでいた。
今日の演目は『悲劇の妖精女王』だった。
もう、自分の過去から目を逸らすことはできない。
そう、この王国の最後の妖精女王の悲恋の物語だ。
史実に多少の脚色や省略はあるけど、概ね事実に沿っている。
舞台そのものは素晴らしかった。
迫真に迫る演技や演出に、ルーチェの脳裏にまざまざと前世の記憶が蘇った。
そして、自分の愚かさが胸に突き刺さった。
物語の題材にありそうな女王と護衛騎士の恋。
身分差のある許されざる秘密の恋。
それは、物語なら背徳的で美しいのかもしれない。
でも、現実では?
女王のわがままで護衛騎士から幸せに生きる権利を取り上げただけじゃないのか?
そして、二人は愚かさの報いを受けるように、それぞれ処刑されて物語は幕を閉じる。
舞台ではさすがに後味の悪いまま終わらせるわけにはいかないのか、死後の世界が描かれていた。
まるで天国のような美しい場所で再会した二人は永遠に幸せに暮らす。
演出と演者の美しさでそれは感動的なフィナーレとなっていた。
いつの間にか舞台は終わり、皆が立ち上がり拍手と歓声でいっぱいになる中、ルーチェは座り込んだままでとめどなく涙を流した。
「もう、あなたを泣かせたくなんてなかったのに……」
涙の向こうでバーナードの顔も歪む。
「ごめんなさい……あなたを巻き込んで……ごめんなさい」
ルーチェの口からは謝罪の言葉しか出てこない。
「あなたにとって、僕とのことは過ちですか? 出会いは間違いだと思ってます?」
「だって、不幸だったって……」
バーナードの問いに、馬車で聞いてからひっかかっていた言葉について問う。
「僕の不幸と後悔は君と娘を残しておめおめ殺されたことだけだ。そして、愛する人が殺されるのを目の前でただ見ていることしかできなかったことだけだ」
「目の前で?」
バーナードの意外な返答に涙が止まる。
「君が処刑される瞬間に前世を思い出したんだ」
バーナードはルーチェの目元の涙をハンカチでぬぐいながら、なんでもないことのように言う。
「あの時、私を呼んだのって―――」
ルーチェは思わず息をのんだ。
悪徳女王として処刑される瞬間に、アボットが私を呼ぶ声を聞いた気がした。
あれは、幻聴ではなかったっていうこと?
あれは、アボットが生まれ変わったバーナードの声だったというの?
「聞こえていたんだね。助けられなくて、一人で苦しい思いをさせて、死なせてしまってごめんね」
ルーチェを労わるように頭を大きな手で撫でてくれる。
何度も何度も。
心にぽっかりあいていた穴がじんわりふさがっていくような感覚になる。
でも、それならバーナードはどれほどの絶望を味わったのだろう?
だから、ルーチェにこれほど固執しているのだろうか?
「僕は前世で君に恋したことも、今の君に夢中なこともなに一つ無駄なことだと思っていない。だから前世のことも今の思いも否定しないでほしいんだ」
両手でルーチェの頬を挟んで懇願するようにバーナードは言葉を紡ぐ。
「ゆっくりでいい。僕を受け入れて……」
ルーチェは返事もせずに、その綺麗な琥珀の瞳を見つめることしかできなかった。
自分の前世を客観的に見たことと新たに知った事実に、ルーチェの気持ちは整理されるどころか余計にかき乱されていくのだった。