7 まだまだ、彼の頭はおかしいままのようです
そして迎えたデビュタント当日。
「お兄様! どういうことですか? エスコートしてくれるって言ったでしょう?」
めかしこんで早々に家を出ようとする兄のエリオットにかみつく。
ダンスレッスンを無断欠席して以来、当日のエスコートについて何度も確認した。
その度に、「大丈夫、大丈夫」と言っていた口を縫ってやりたい。
「ごめんね、今日はルーチェのエスコートはできない。だって、僕、運命の出会いがあったんだ。仕方ないよね?」
「運命って……?」
「もう婚約してるんだー。ルーチェもぐずぐずしてるといい相手逃しちゃうよ!」
「私は婚約とか結婚とかはいいんです! ねぇ、それより、私のエスコート」
「ごめーん、遅れるわけにはいかないんだ。ルーチェのエスコートは手配したから、大丈夫!」
「お兄様!!」
浮かれたエリオットは振り返ることもなく、玄関から出て行ってしまった。
取り残されたルーチェは白のドレス姿でうずくまる。
もうこうなったら、お父様に頼むしかないのかしら……?
「どうしたの、ルーチェ、せっかくのドレスが汚れてしまうよ」
顔を上げるとそこにいたのはバーナードだった。
黒のスーツをビシッと着こなして、手には花束を持っている。
いつもは長めの前髪を前に流しているのに、今日は髪をあげていて綺麗な形の額が出ている。
整った顔立ちや琥珀の瞳が強調されるようだ。
いつもの仕事のスーツ姿も素敵だけど、正装がこれほど似合う人がいるだろうか?
こんな状況なのに思わず見惚れてしまう。
「うん、可愛い」
ぼんやりしているルーチェのイヤリングをバーナードは手で揺らしている。
「え? このイヤリング?」
あまりドレスやアクセサリーに頓着しないルーチェに代わってお母様とお父様が手配してくれたと言っていたけど。
ルーチェの頭が疑問で埋まる。
「ふふふ、ルーチェの晴れの日なんだ。ドレスも装飾品も贈るに決まってるだろう?」
「……婚約者でもないのに?」
「今は、ね」
まだ、バーナードがルーチェのことを諦めていないことに戦慄した。
そう、バーナードの頭はおかしいままだったのだ。
ルーチェが貴族学園に入学して、六年間音沙汰がなかったので完全に油断していた。
案の定、城につくとルーチェとバーナードは人に囲まれた。
ルーチェは琥珀色の髪飾りにイヤリングにネックレスとバーナードの瞳の色をまとっている。
バーナードもルーチェの色味である赤いカフスにタイをしている。
どう見ても親しい間柄の二人に見える。
「バーナード、お前が誰かをエスコートしているのを初めて見たよ!」
「なんだ、姪っ子のデビュタントか?」
「お前、やんごとなき方の愛人かと思ってたけど、宗旨替えか?」
バーナードの同僚や友人らしき人達からのヤジが飛んだ。
涼しい顔でエスコートしているバーナードの隣で、私は戸惑った。
「あのお話があるので、少しお時間よろしいですか?」
挙句の果てには若い貴族令嬢まで声をかけてくる。
声色は優しいけど、目はルーチェを睨んでいる。
ルーチェはそっとバーナードの腕から手を抜いて撤退しようとした。
バーナードが脇を締めたため、ルーチェは手を引き抜けなくなった。
「今日はルーチェの大事な日なので邪魔しないでもらえますかね」
怒った表情のバーナードに周りのざわめきが一瞬静まった。
「え、そのお相手は誰なの? 姪? 親族の子? そんなに子守りが大切か?」
「僕の婚約者……………………になる予定のルーチェです」
最後の部分は小声だったし、悲鳴にかき消された。
周りの人間が退いて空いた空間をバーナードが悠々とルーチェをエスコートしていく。
なんだか、毎回バーナードといるとこんなことになっていない?
しかも、婚約者って誤解されたんじゃない?
今世も平凡とほど遠い……とルーチェは内心頭を抱えた。
つつがなく国王陛下と王妃殿下に挨拶をすませると、質問攻めにしてくる人達から逃げるように、バルコニーから庭園に出た。
むせるように香るバラの花と静寂に響く噴水の音。
バーナードと並んでベンチに腰掛ける。
しばらく夜空に広がる星を眺めていると気持ちが落ち着いてきた。
誤解を招くような言い方をしたバーナードへの憤りも、前世の自分の娘と娘を託した青年に対面した戸惑いも、全て暗闇に溶けていくような気がした。
今日も雲一つない濃紺の空には月がかかり、星が瞬いている。
庭園には赤やピンクの鮮やかな色合いの花が咲き誇っている。
王宮のホールの賑わいが少し離れたこちらにも伝わってくる。
生まれ変わって初めて対面した前世の娘。
今は王妃である娘のフェリシアはふっくらして幸せそうだった。
娘の夫である王は、もう青年の頃の甘さは残しておらず、王としての威厳が感じられた。
さわやかな風が頬を撫でて通り抜けていく。
「平和な世の中になったのね……よかった……」
ルーチェはすっきりした気分で微笑んだ。
「ねぇ、ルーチェ。正直に答えて。ルーチェも僕に惹かれている。時間が経っても距離を置いても」
琥珀色の瞳に真剣に問われて、ルーチェは「はい」とも「いいえ」とも答えられない。
流れる噴水の水音がやけに響く。
ルーチェは久々に追い詰められたような気持ちになった。
「ルーチェも自分の前世の記憶や思いを整理したいでしょう。なにがあって、なにを思っていたのか教えてください。そして、今のあなたがなにを思っているのかも」
バーナードの長い指がルーチェの頬の輪郭をなぞる。
ルーチェは自分の心の淵をなぞられているような気がして背中がゾクゾクした。
「もう逃げずに向き合うときですよ。無理に婚約や結婚を迫ったりしませんから、会ってくれませんか? 前世の僕や今の僕を知ってください。それから答えを出しても遅くないでしょう?」
バーナードがまるで聞き分けの悪い生徒を諭す時のような口調で迫ってくる。
綺麗に整った顔が間近まで近づいてきた。
キスをされるのかと思ったルーチェは目をつむって、体を固くした。
「あなたの許可を得ない限りはキスもそれ以上のこともしませんから」
耳元でささやくと、バーナードはいたずらっぽく笑ってルーチェから離れた。
ルーチェは未だにバーナードの一挙一動に振り回されてしまう。
胸の鼓動はいつまで経ってもおさまらない。
前世の恋ってこんなに次の生に深く浸食するものなのかしら?
それでも、バーナードとなにを話しても、なにを聞いてもルーチェの下す決断は変わらない。
今のルーチェや女王であったときの自分を知ったらバーナードの謎の執着もなくなるのかもしれない。
だって前世のルーチェはただの強欲で我儘な女王だし、今世のルーチェは魅力も価値もない。
心のどこかがずきずきする。
でも、バーナードのためにも決着をつけなくては。
ルーチェはしっかりと頷いた。