5 とりあえず距離を置いてみることにしました
「ルーチェったら、またその栞ながめてるの?」
「大事な人からの贈り物かな~?」
「ふふふっ、内緒」
誕生日に貰った可愛いピンク色の花束は保存できるよう一部を押し花にして栞を作った。
唯一のバーナードの名残である栞をぼんやり眺めていると友達にからかわれる。
いつもの朝の風景だ。
お兄様以外にこんな風に気軽に話せる貴族の友人ができるなんてルーチェは思っていなかった。
全寮制の王立学園へ十歳で入学して、六年が経った。
「一応、侯爵令嬢なのに宝石じゃなくて、押し花の栞を眺めてるなんていじらしいわね」
ルーチェの侯爵令嬢っぽくない行動を見つけるたび、伯爵令嬢のサマンサはうれしそうに突っ込みを入れる。長女気質でしっかり者のサマンサは一人っ子なので、婿を取って伯爵家を継ぐ予定だ。
「本当に見かけは侯爵令嬢っぽいのにね。笑うと可愛いしね~」
ルーチェの頬をツンツンしながら、ルーチェなんかよりよっぽど可愛い辺境伯令嬢のメアリーがつぶやいている。ふわふわした外見に似合わずメアリーは本当は騎士志望だが、娘可愛さに反対され渋々この科に在籍している。
ルーチェは前世の女王だった時に女性と上手く交流できたためしがないので、同性の友達ができるなんて思ってなかった。
前世女王であった時の名残なのか成長するにつれ、目つきが鋭くなっていき、髪や瞳が燃えるようなはっきりした赤色になった。そのせいで、高慢な侯爵令嬢と噂されるようになった。
同世代の令嬢、子息からは距離を置かれがちだった。
入学当初は遠巻きにされていたルーチェだが、在籍する領地運営・文官科の令嬢はみなさっぱりしていて自立心のある子達で、ルーチェの真面目で穏やかな性格を知って、日に日に打ち解けていった。
こうして友人たちと何気ないひと時を過ごしている時に、お父様の反対を乗り切って王立学園に入ってよかったと思う。
ルーチェがお父様に王立学園に入りたいというと、当然のように反対された。
王立学園は、今代の王が始めた新しい試みで、希望者のみだが貴族と優秀な平民が通うことができる。
騎士や魔術師、文官、領地経営など自分の将来なりたいものの基礎を学ぶことができるシステムだ。
その理由を問われた時に、はじめて自分の将来についても話した。
「お父様、私は結婚するつもりはありません。その代わり、城に文官としてあがりたいと思っています」
「ルーチェ! 結婚しないとはどういうことだ? それに働く必要なんてない。女性も働ける環境にはなったが、まだまだ厳しい」
「どうしてもとお父様がおっしゃるなら、お父様の望む相手と結婚します。少しの間でもいいのです。お父様のように国のために働きたいのです」
「ルーチェ、聞き分けのいいお前がそこまで言うなら本気なんだね。結婚を強いる気はないけど、幸せな結婚はしてほしいと思っているのは忘れないでほしい」
私の真剣な様子に、とうとうお父様も折れてくれて、無事入学することができたのだ。
前世では自分の職務も責任もまっとうしなかった。
だから、せめて娘とその夫が治める知世でなにかの役に立ちたかった。
それだけでなく、一度きちんとバーナードと距離を置きたかった。
家庭教師が別の女性の先生に代わっても、バーナードはお兄様の家庭教師を続けていて、屋敷で見かけると目で追ってしまう。
前世の恋人だった頃の記憶が色濃く残っていて、その残り香を消したかった。
誰か新しい人と恋をしたいとか結婚をしたいわけじゃない。
でも、バーナードが別の人と結婚しても、心からおめでとうと言えるくらい吹っ切りたかったのだ。
全寮制の王立学園に入学してから、ルーチェはほとんど侯爵邸へ帰っていない。
科は違うが兄のエリオットもルーチェと同時に学園に入学したので、バーナードも家庭教師をお役御免となった。
バーナードがルーチェの誕生日に侯爵邸に現れることもなくなった。
ただ、毎年かわいい花束は届く。
それを押し花にした栞を眺めることぐらいは許してほしい。
あれから六年。
一度もバーナードに会っていないし、姿を見ることもない。
バーナードは前世のことも私のことも忘れているに違いないわ、きっと。
ルーチェに執着していたのは一時の熱病のようなものだったのだ。
それに、バーナードはお金と権力をこよなく愛している。
以前、なぜ騎士から文官になって、さらに出世を目指しているか聞いたことがある。
「世の中、お金と権力ですよ。騎士なんて物理的な力は役に立たないんですよ。必要な職業ではありますけどね」
バーナードは冷めた目でそう答えてくれた。
今もお金と権力のために仕事に邁進しているはずだ。
一人で大きく頷く。それでいいのだ。
今回はバーナードの人生をルーチェが捻じ曲げたりしない。
彼は幸せになるために、生まれてきたのだ。
◇◇
「ワトソン、君は今年デビュタントだろう? その……パートナーは決まっているのか?」
前世であまり勉強に熱心に取り組んでいなかったので、今世もあまり期待はしていなかった。
しかし、地頭は悪くないのか、バーナードに基礎を叩きこまれていたおかげか、ルーチェは優秀な成績を修めていた。
成績順で組まされる研究の課題のパートナーであるダナン侯爵家のベイジルにそう問われて、ルーチェは驚いた。
領地運営・文官科で一番優秀なベイジルが雑談をするのは珍しい。
「決まってはいませんが、おそらくお兄様にお願いすると思います。それより、ダナン様の考えた表はとても見やすいですね。この項目も足したらより比較がしやすくなると思いますが……」
「……そうなのか。うん、そうだな。あと、この項目も足しておこう」
一瞬、呆けたほうな顔をした後、ベイジルはいつもの淡々とした調子に戻った。
ベイジルと表や図が書き込まれた書類の前で熱く議論を戦わせる。
前世でも王太子教育や女王教育は受けた。
でも、それは傀儡の女王に用意された形だけのもの。
国に従うように、権力者のために働くように洗脳するためのもの。
その時と違って、今は学ぶことが楽しい。
国や民にとってなにが最善なのか?
それを学び、友人と共有して、疑問をぶつけあうのがこんなに心躍ることだなんて思わなかった。
◇◇
「ねー、ルーチェ、ダナン様ってルーチェのこと誘おうとしてるんじゃないの?」
「えー、すてき。ルーチェもダナン様も婚約者いないもんねぇ」
「なに言ってるの! ダナン様に失礼でしょ!」
近くの席に座っていたサマンサは、ルーチェとベイジルの会話を聞いていたのかさっそく昼休みになると興味津々で聞いてきた。
ルーチェは食べていたサンドイッチにむせそうになる。
今日は天気がいいので、中庭に点在する東屋でお昼ご飯を食べている。
特に今世は結婚しようと思っていないルーチェだが、王立学園で男子生徒に声をかけられることはほとんどなかった。
昨今は、実力主義になったせいで、政略的な婚約は減ってきている。
そうはいっても、年頃の貴族令嬢にはだいたい婚約者がいた。
貴族令息の婚約、結婚年齢は以前より遅くなる傾向にあるが、適齢期には結婚している。
自分の目で優秀な相手を見つけたいという思惑もあり、王立学園は出会いの場にもなっている。
ルーチェは外見も平凡で秀でた能力もない。
侯爵家令嬢という肩書きはあるものの、家を継ぐのはお兄様だし、結婚相手としてあまりうま味はない。
だから、ルーチェは驚くほどもてなかった。
時々、声をかけられることはある。
もしかしたら好意をもたれてるのかと思ったこともある。
でも、はっきりと告げられたことはないし、少しいいかんじの雰囲気になったと思った相手とはすぐに距離ができた。
自分に好意を持っているのかなと思った人が、数日後に別の令嬢と交際をはじめたこともある。
きっと少しルーチェと接するうちに皆気づくのだ。
ルーチェは空っぽでなんの価値もないということに。
「ダナン様は純粋に疑問に思って、質問しただけ。ご自分も侯爵家の人間で、お互い婚約者がいないという同じ状況だから、参考程度に聞いただけよ」
「ルーチェってなんでそんな自己評価が低いのかしらね?」
「ねー、こんなに可愛いのに」
「ふふっ、友達にそう言ってもらえる私は幸せね。でも、私がもてないのは事実だし、パートナーはお兄様にお願いするわ」
きっと、これが現実よね。
バーナード先生の頭がどうかしてたんだわ。
今世のルーチェに価値や魅力なんてない。
そして、今頃目が覚めているはず。
きっと自分に釣り合う方と婚約や結婚しているわ。
そう思うと胸がどこか痛むのは気のせい。
ルーチェは苦い気持ちをサンドイッチと一緒に飲み込んだ。