4 まだ、彼の目は覚めないようです
―――早く、バーナード先生の目が覚めますように。
何度、星に願いをかけただろうか?
なかなかルーチェの願いが叶うことはなかった。
結局、バーナードの家庭教師は続行されたし、ルーチェへの甘い態度と求婚も変わらない。
それがなぜなのか知りたい。
でも、前世の記憶のことを話すのは怖い。
バーナードがいつか私から離れていくかもしれなくても、これ以上がっかりされたくないから。
「ルーチェ、もうすぐ誕生日ですね? なにか欲しいものはありますか?」
「はいはーい、俺、剣が欲しい! よく切れるやつ!」
「……エリオット、君にはまだ早いです。そうですね、歴史の教本のセットを手配しますね」
「えー!!! そんなのいらないよう!!!」
「私も歴史の教本のセットでいいです。お兄様と一緒に使うから」
ぎゃーぎゃーわめいて腕にからみついているエリオットの頭をなでながら、バーナードは頭を横にふった。
「ルーチェ」
「……それなら、お花がいいです」
絶対に形に残るものはやめようと考えて答えた。
「ルーチェだけずるいーーー!!! 俺のリクエストも聞いてよー!!!」
「いつも真面目にがんばっているご褒美ですよ。エリオットもきちんとしたら来年は考えますよ。ルーチェ、これから誕生日はずっとお祝いしますからね。ちゃんと欲しいものをリクエストしてくださいね」
ルーチェの心を見透かすような言葉に、なぜか泣きたい気分になって、涙を誤魔化すようにして頷いた。
◇◇
そして、いつもは家族だけで祝う誕生日当日になぜかバーナードが現れた。
自然に家族に混じって談笑している。
エリオットがお父様からプレゼントされた片手剣を手にはしゃいでいる。
ルーチェからは剣の稽古で使うグローブをプレゼントした。
テーブルには有言実行とばかりにバーナードからエリオットに贈られた歴史全集が積まれている。
晩餐の準備をしているのか部屋にはおいしそうな匂いが漂っていた。
ルーチェはお父様からもらった大きなうさぎのぬいぐるみと、エリオットからもらった小さなうさぎのぬいぐるみを抱っこしてソファから家族の団らんの様子を見ていた。
ふかふかの感触のぬいぐるみを抱っこしていると幸せな気分になる。
窓際の花瓶には、バーナード先生が私に送ってくれた花束が飾られている。
とんでもなく大きな花束を持ってきたらどうしようかと思ったが、ルーチェでも持てるくらいの小さな花束だった。
可愛いピンク色の花を中心とした花を見ていると、笑みが自然とこぼれる。
前世で善行を積んだわけでもないのに、今世のルーチェは恵まれている。
お父様もお母様も大らかで愛情深い。
お兄様も双子とは思えないほど考えや行動はめちゃくちゃだけど、根はいい子だ。
前世の娘を託した国王陛下の活躍で、国の治世は安定しているし、貴族も平民も暮らしやすくなって平和を享受している。
だから、これ以上は求めない。
前世でなんの徳も積んでいないのに、ルーチェはめぐまれている。
今世では恋愛も結婚もしない。
八歳になって改めて、自分に誓いを立てた。
◇◇
ルーチェの決意とは裏腹に、バーナードからの猛攻は止まらなかった。
慣例となっている城で開かれた文官の懇親会でのこと。
家族が大好きなお父様は、今年もお母様とエリオットとルーチェを連れて参加した。
今回も、お父様が同僚の方と話すのを見ながら、お母様とのんびりおいしい料理とお菓子を楽しむのだと思っていた。
でも、今年は例年と様子が違った。
バーナードがルーチェの家族に混じったからだ。
エリオットはバーナードに大はしゃぎで、体によじのぼって、からみついて離れない。
さすがに八歳の侯爵家の嫡男としていかがなものかと、ルーチェが諫めるのも聞かない。
先ほどから、参加している若い貴族令嬢達がそんなバーナードに熱い視線を送っている。
文官の懇親会には家族や婚約者など親しい者を招待できる。
身元が確かであれば人数や関係性を問われないので、色々な思惑で縁を結ぼうと参加している者も多数いる。
せっせとルーチェやエリオットの世話を焼き、一向に離れないバーナードにしびれを切らした令嬢の一人が話しかけた。
「バーナード様、あの今日は懇親会ですから、子供の世話ばかりしておらず、こちらでお話しませんか?」
「おやおや子供は嫌いですか? こんなに可愛いのに」
バーナード先生はまとわりついてるエリオットをお父様に預けると、ルーチェを縦抱きにした。
うっとりするような笑顔で頬ずりしてくるバーナードに、頬が引きつる。
ルーチェは大人ではないけれど、抱き上げるほど小さな子供ではない。
周りからは声にならない悲鳴が上がる。
わかる、わかる。
将来有望でかっこいい宰相候補の青年が子供を猫かわいがりしてたら、そういう反応になるよね。
「ルーチェ、覚えてますか? あなたが小さい頃にもこの懇親会で抱っこしてたんですよ」
バーナードは周りの反応を気にした様子もなく、ルーチェの耳元に囁く。
八歳になったルーチェと外出用のドレスを合わせた重量はそれなりのはずだが、危なげなく抱き上げている。
「そ、そんな赤ちゃんの頃のことなんて覚えていません!」
抱き上げられていることと、耳に流し込まれたバーナードの艶のある声に顔が真っ赤になる。
「そうですか……。でも、僕にとっては大事な思いでなんですよ。ルーチェは色々と記憶に問題があるようですね……」
ひとしきりルーチェをからかって満足したバーナードは、思い出したように声をかけてきた令嬢の方を向いた。
頬を赤く染めて話しかけてきた令嬢は目の前のバーナードとルーチェの様子に顔を青ざめさせている。
「ああそれと、親しくもないのに名前を呼ばないでいただけますか? 懇親なら自分なりにしているのでご心配なく」
追い打ちをかけるようにピシャッと言い切るバーナードに周りの令嬢は散り散りになり、それからは突撃してくる令嬢はいなくなった。
ルーチェは若い貴族令嬢達の恨みがましい目線を一身に浴びて、居心地が悪くなった。
帰りたい。
「どうしたんですか? ルーチェ、お腹でも痛いんですか? ホラ、新しいデザートが並んでいますよ。見に行きましょう」
バーナード先生は、ルーチェを地面に降ろすと料理やデザートの並んだテーブルを指さした。
「わかりますよ。チョコのケーキかイチゴのケーキか悩んでいるのでしょう? 大事な問題ですね。どちらもいただいて、一口食べていらない方を僕が食べますから。もちろん、食べられるなら両方食べてもいいんですよ」
バーナードは、前世と同じくらい、いやそれ以上にルーチェに甘い。
ずっと甘やかされて、甘い言葉をささやかれたら、きっとバーナードに溺れてしまう。
バーナードに会う度に自分の決意がグラグラ揺れる。
そして、前世と同じ道を辿るのだ。
それだけは、してはいけない。
バーナードが持ってきてくれたケーキを食べながら、ルーチェはとある決断を下した。
懇親会から帰ってすぐにお父様に、家庭教師を代えるように頼んだ。
表向きは女性の家庭教師に淑女教育も含めて教えてほしいからという理由にした。
「本当にいいのかい? ルーチェ」
いつも穏やかだけど、お父様は意外と鋭い。ルーチェはお父様を直視できずに、顔を伏せた。
「……バーナード先生にとってよくないと思ったの。先生は将来、宰相になる人でしょう? 私なんかにかまってないで、似合った人と結婚した方がいいと思うの」
「バーナード君はきちんと自分のことをわかっていると思うけど。本当にいいんだね?」
私が本音を織り交ぜて語った理由にはなにも言わず、お父様が重ねて意思を確認してくる。
その言葉になんとか頷いた。
そう、この決断は間違っていないはず。
ルーチェの女性の家庭教師はすぐに見つかったようだ。
バーナードの最後の授業の日はなぜか二人きりだった。
ルーチェと違って社交的なお兄様はお友達と馬で遠乗りに出かけている。
バーナードも特にいつもと変わった様子もなく淡々と授業が進んでいった。
授業があっさりと終わり、一つだけ気になっていたことを聞いた。
「バーナード先生、もうすぐ誕生日でしょう? なにか欲しいものってありますか?」
「……婚約といってもダメでしょう? ならば肖像画ですかねぇ」
「肖像画?」
顎に手を当ててしばらく考えてから、バーナード先生は答えた。
さすが敏腕文官だけあって、ルーチェの肖像画を描く手はずはすぐに整えられた。
その瞬間、ルーチェは久々に前世を鮮やかに思い出した。
屋敷に現れた画家は、前世女王であった私が引きつれていた吟遊詩人の一人だった。
行き倒れているところを拾った幼い兄妹の妹の方だ。
当時は吟遊詩人を装わせるため男の格好をさせていたが、今は簡素だけど女性の格好をしている。
あの頃は少女だったのに、成長して綺麗な女性になっている。
そして言葉を話せない彼女は、私を一目見て涙を流した。
彼女は過去の辛い出来事があってから、言葉を話さなくなった。
表情もあまり変わらないし、言葉もない。
それでも前世の自分はたくさんのものを共有した。
その姿を見てたまらなくなって、自分より背の高いその人をそっと抱きしめる。
「あなたは今、幸せ?」
背伸びして、耳元に囁くと力強い頷きが返ってきた。
前世でできた唯一の善行かもしれない。自己満足かもしれないけど。
前世で娘を描いてもらっていたから、知っているけどすばらしい腕前だ。
あの頃と変わらない細密だけど、どこか温かさを感じられる絵。
そこに描かれたのは今の私。
ルーチェだけの肖像画が一枚となぜかバーナードと二人の姿。
やっぱり立派な大人のバーナードとはどう見たって親子にしか見えない。
せいぜい従妹といったところだろう。
改めて現実を突きつけられた気がして、後日ルーチェの元に届いた肖像画は机の奥深くにしまいこんだ。