3 悪徳女王ではなくて悲劇の女王らしいです
それから婚約の話はうやむやになった。
なったはずなのだが……。
「ルーチェ、今日は王国史の勉強をしますよ」
「はい」
「今日は現在の国王陛下が起こした革命のあたりを学習しましょう」
「はい」
「ルーチェ、僕と婚約しましょう」
「……」
「手ごわいですね」
「バーナード先生、エリオットが逃亡しました」
「はぁ。ルーチェ、二章を読んでいてください」
「はい」
―――逃げると男は追ってくるのよ?
そんなことを言っていたのは城に勤める侍女だったか?
七歳児にあるまじき記憶がふいによぎるのはやめてほしい。
「もー、どうしたらいいって言うのよ~」
あれから、相変わらずバーナードは忙しい仕事の合間をぬって、エリオットとルーチェの家庭教師を続けている。
なぜか挨拶のように、会うたびに婚約を迫られるけど。
お父様やお母様も求婚するバーナードとそれを拒むルーチェを温かい目で見守っている。
窓から庭を疾走するエリオットとそれを追いかけるバーナードを見る。
距離を置こうとしても、意識してしまうし、気が付くと目で追ってしまう。
ルーチェはバーナードと家庭教師と生徒として適切な距離を置かないといけないのに。
前世、バーナードはルーチェが女王になる前の王太子だった頃の護衛騎士だった。
我儘で傲慢だった次期女王のエレノーラの護衛騎士や侍女はしょっちゅう入れ替わった。
そして、腕は立つけど没落寸前の伯爵家の次男だったアボットにもお鉢がまわってきたのだ。
アボットはエレノーラがどれだけわがままを言ってふりまわしても、淡々としていた。
ダメなことはダメだと諫めて、ある程度の事にはつきあってくれた。
そんなアボットにエレノーラが夢中になって、何度も恋人になるように迫ったのだ。
今のバーナードがルーチェにしているように。
エレノーラにアボットが押し負けて、二人は恋人になれたけどそれは公にできないものだった。
でも、エレノーラが身ごもったことでそれは表沙汰になった。
アボットと結婚して王配にすることはできないが、愛人として護衛騎士を続けられる。
そんな条件を提示されて、エレノーラは女王に即位し、同時に国から指定された王配達と婚姻した。
しかし、エレノーラが娘を出産している間にアボットは無実の罪で処刑された。
そして、エレノーラは娘が断罪されても守ることもできず、悪政を敷く女王として処刑されたのだ。
だめだ、最低すぎる。
前世の自分はろくでもない女だ。
なんで、バーナードはこんな最悪な女に執着しているのだろう?
彼の人生を破滅させた悪女だというのに……。
「ルーチェもさぼりですか?」
机につっぷしていると、甘くて低い声がして、頭をなでられる。
それだけで胸の奥がくすぐったくなる。重症だ。
顔を上げると、頭に葉っぱをつけたエリオットの腕を掴んでひきずってきたバーナードと目が合う。
「なー、ルーチェ。歴史なんてやりたくないよなー。昔は振り返らない主義なんだよ。せんせー、剣術の稽古をつけてよー」
自分の腕を掴むバーナードに、エリオットは甘えるように縋り付いて訴えている。
「だめですよ。歴史は大事ですよ。過ちを繰り返さないために。ほら、エリオット一時間座っていられたら、剣術の稽古をしましょう」
「せんせー、約束だよ」
エリオットにバーナードが微笑むと、さすがの兄もおとなしく席に着いた。
「エレノーラ・レイヴンズクロフト。今日は悲劇の女王について学びましょう」
喉の奥がひゅっと締まった。
それはルーチェの前世での名前だ。
処刑された時のことが頭をよぎり、首筋をなでる。
じっとりした目でバーナードがルーチェが見ている気配がする
誤魔化せていなかったのだろうか?
バーナードは前世の記憶があることを全面に押し出してくるけど、ルーチェは記憶があると明言していないはず。
なんでもない顔をして教本に目を通した。
「あれ?」
てっきり「パンがないなら、ステーキを食べればいいじゃない?」と言った贅沢三昧の悪徳女王として書かれていると思ったのに。
ルーチェは食い入るように教本を読んだ。
それは真実に近いものだった。
歴史なんて捻じ曲げて伝えられるものなのに。
この国は代々、妖精の血を引く女王が統治していた。
しかしそれは表向きのもので、女王はその魔力と魔術を国のために使うことを強いられ、ただ次代を生む胎として存在していた。
女王はただの操り人形で、高位貴族の一部の権力者達が甘い蜜を吸っていた。
私も例外なくただの操り人形で、女王即位の際にはめられた女王の指輪によって行動を制限されていた。
娘を生んで、恋人だったアボットを処刑されてから、ただの生きる屍として存在していた。
娘が新たなる国の操り人形となることを阻止することもできずに。
私とアボットの娘は正義感が強くてまっすぐだった。
一部の高位貴族や権力者だけが甘い汁を吸う腐った国をなんとかしようと奔走していた。
それが権力者のカンにさわり、娘は婚約破棄されて、廃太子された。
ただがんばっていただけなのに、いわれなき罪で断罪されたのだ。
無力で愚かな私は無実の罪で裁かれる娘を救うことはできなかった。
そして、高位貴族達の圧政により、苦しい生活を強いられていた民達による暴動が起こり、悪徳女王の私を斬首刑にすることで当時の宰相はことを収めようとした。
しかし、妖精の末裔である私の首を跳ねてから、小雨が降り続いた。
雨が降ることもあるが、基本的には晴れの多いこの国では異常なことだった。
曇天は人の気持ちを落ち込ませる。
さらに、王宮で政事を主に行っていた娘が断罪以来、厚い氷に自らを閉じ込め深い眠りについてしまった。
娘の不在で国政は混乱し、その動揺は貴族から民達へと伝播し、再び各地で暴動が起こった。
そのタイミングで、娘の婚約者が革命を起こした。
民達にこの国のカラクリと本当の黒幕を賢者様の魔法の力を借りて伝えた。
そして、この国を腐らせていた宰相をはじめとする高位貴族の権力者達を処刑した。
その後、娘の婚約者は妖精の女王制度の廃止を宣言して、自らが王位につき、目覚めた娘を妃とした。
そんな民達にとって衝撃的な事実が余すことなく書かれている。
まだ、七歳児が学ぶには血なまぐさいこの国の歴史について書かれた部分を夢中になって読んだ。
ふいに、金髪碧眼の青年の顔が頭をよぎる。
娘を唯一愛してくれた娘の婚約者。
この国と娘を託した青年は、私が処刑された後、革命を起こし王の座についた。
彼が、私の名誉を回復してくれたのかしらね?
近代史で自分が悲劇の女王として扱われていて仰天する。
悪徳女王のままでよかったんだけどな……。
だって、事実、恋人として巻き込んだアボットとその娘を不幸にしてしまった。
私は悲劇の女王ではなく悪徳女王で間違いないのだ。
「ルーチェ、聞いていますか?」
「あ……ごめんなさい」
教本を読みふけって、そのまま考え込んでしまっていたようだ。
「……どうやら事実に近いようですね」
「なななな、なんのことです?」
自分でも顔が真っ赤になっているのがわかる。
バーナードは片頬を上げて微笑むと、深くは追及せずに授業に戻ってくれた。
本当にアボットは私のどこがよかったんだろう?
わがままばっかり言ったし……。
窓に映る自分の姿を見てため息をつく。
胸か? 顔か?
確かに女王だった頃は、派手だったけど容姿は整っていたし、女らしい熟れた体型だった。
きっと、次期女王という権力者に嫌々つきあっていただけよね……。
「……、ルーチェいいですか?」
「……すみません。何がですか?」
「僕との婚約です」
「お断りします」
油断も隙もなく、婚約の話を織り込んでくるバーナードにため息をつく。
なぜ、バーナードはこんなにルーチェに執着してるんだろう?
今世の私はごくごく平凡な貴族令嬢だ。
唯一可愛いと言えるのは、少し吊り上がり気味の大きな目くらい?
性格だって、兄のエリオットといるからおとなしく見えるけどいたって普通。
人を惹きつけるものはなにも持っていない。
前世の自分が持っていたのは、権力と外見。
今世の自分はなにも持っていない。
バーナード先生が早く目が覚めて、ルーチェを解放してくれる日を待つしかない。
早く気付いてほしい。前世の私も今世の私も価値がないということに。
そうしないと、グラグラと自分の決意が崩れそうだから。