14 前世を越えて幸せになります!(終)
「ルーチェ、楽しいですか?」
「うん、生まれ変わってこんなに楽しいのははじめてかも!」
ルーチェとバーナードは手を繋いで、城下町を歩いている。
今日は、妖精の祝祭だ。
悲劇の女王である前世のルーチェが処刑された日だ。
当初は、悲劇の女王の魂の冥福を祈る日だったのだが、いつのころか自然の恵みや妖精の加護に感謝する日となったのだ。
大通りでは妖精の末裔である王妃殿下が国王陛下と共に馬車に乗って巡るパレードもある。
町中、華やかに飾られて露店などもたくさん出てにぎやかになる。
あのプロポーズの日以降、ゆっくりデートするのははじめてでルーチェははしゃいでいた。
あの騒動の後に王女殿下も隣国に送り返されて、隣国とのあれこれはすぐに収まったのだが、バーナードの勢いは止まらなかった。
ここまでの道のりもあっという間だった。
ルーチェが婚約を受けたその日のうちに侯爵邸へ向かい、両親立ち合いのもと婚約の書類を前に署名するように言われた。
正式な婚約の書類で、バーナードの両親とバーナードの分はすでに署名済みだ。
もちろん、ルーチェの両親の署名もすでに入っている。
あまりのスピード感に戸惑うルーチェの右手にバーナードがそっと手を添える。
「あのー、私の手に添えて書かないで。なんでこんなに筆跡が似てるの?」
「強いて言えば、ルーチェが手を怪我した時に代筆できるようにですかね? 僕は左利きですけど、右手でもそっくりに書けますよ」
「え? なにそれ、怖い……。あの、ちゃんと自分で書きたいから、手を離して」
そんなやりとりを両親にあたたかく見守られて署名をした。
バーナードとルーチェの婚約の書類はその日のうちに受理されたという。
そして、数日後にはバーナードの実家の伯爵家へと挨拶に向かった。
距離的には日帰りできる距離なのだけど、尻込みするルーチェにバーナードが餌をぶらさげる。
「うちにも行きましょう。大丈夫、怖くないですよ。ホラ、うちの実家っておいしいワインとチーズの産地なんですよねー」
「えー、チーズとワイン……」
ルーチェの好みを熟知しているバーナードはまずは食べ物をあげる。
「犬も羊もいますよ。今はまだ毛刈りの時期ではないので、さぞかしふわふわでしょうねぇ」
「ふわふわもこもこ!」
ぬいぐるみが大好きなルーチェはふわふわの誘惑に抗えなかった。
息子の婚期を大幅に遅らせた婚約者にどんな反応をするのかとビクビクして行ったのに、バーナードの両親や家族は冷徹なバーナードが育ったと思えないくらい素朴で温かい方達だった。
約束通りおいしいチーズやワインと用意されたご馳走を堪能して、もこもこの羊を見学して、ふわふわな大型犬を触ることができた。
一週間の休暇が明けて、職場に出勤すると皆がバーナードとルーチェの婚約を知っていた。
政策室へ着くまでに、会う人会う人に「おめでとう」と祝福される。
おめでとうの嵐だ。
バーナードとルーチェが休暇を取っている間にバーナードが二人の婚約の話を広めたらしい。
周りからするとルーチェを囲い込んでいたバーナードの本望がようやく叶ったかという感想で、驚きはないようだ。
「大丈夫です。結婚した後も仕事は続けても、辞めてもどちらでもいいですよ。本当はルーチェを閉じ込めて誰にも会わせたくないですけどね。でも、ルーチェは仕事が楽しくなってきちゃったんでしょう? でも、残念ながら部署移動は却下しますよ」
そう、あんな騒動があったけど、人に話を聞いて調べるのはとても楽しかった。
今となっては王女殿下のわがままに振り回されて、みんなと協力しあったこともいい思い出だ。
なんでもバーナードはお見通しらしい。
そしてルーチェを囲い込むけど、自由は与えてくれるみたいだ。
バーナードの目の届く範囲で。
「さあ、結婚式の日取りはどうします? 一応、侯爵家のゆかりの教会はおさえてありますよ」
「ルーチェの方の出席者はリストアップしてあります、チェックしてもらえますか? 僕の方の出席者の選別はもちろん終わってますよ」
「ウェディングドレスはどうしますか? 侯爵家の伝統的なものとルーチェの好きな形を準備しましたよ。デザイナーとお針子は抑えてあるので、それ以外でも大丈夫ですよ。どうしますか?」
あれ、貴族の結婚ってこんな簡単なものだったっけ?
ルーチェがそう勘違いしまいそうなくらい、恐ろしいほどスムーズに結婚式までの道のりが定まってしまった。半年後には式をあげる。
戸惑うことはあるけど、もうストップをかけることはない。
ルーチェだって、これ以上横やりが入る前に二人の関係を確かな物にしたい。
今回は相手が自滅してくれたけど、宰相補佐という地位についているけど今は伯爵令息にすぎないバーナードは高位貴族や他国の王族などが出張ってきたら、簡単に奪われてしまうかもしれない。
「ほらほら、前を見ていないと危ないですよ」
ぼんやりとこれまでのいきさつを思い出していると人にぶつかりそうになって、バーナードがルーチェを抱き寄せるようにしてかばってくれる。
そのまま大きな胸板に甘えるように頬を寄せる。
「あんまり可愛いことをしないでください。結婚まではって我慢してる僕の理性が切れそうなんで」
これまでは、ぐいぐいと押してきたのはバーナードなのに、最近では彼の方が冷静だ。
おとなしくルーチェはバーナードの胸元から離れた。
前世ではルーチェの勢いに押されて体の関係を持ってしまった。
やはり順番を間違えた事を気にしているのか、婚約してもバーナードは頑なにキス以上のことはしない。
体の関係を持つのは結婚してからと心に決めているようだ。
ルーチェは堂々と婚約者としてバーナードの隣りにいられる事がうれしくて仕方ない。
今まで引いていたのが嘘みたいに、気持ちを素直に伝えて甘えるルーチェに、バーナードは理性と煩悩に挟まれて苦悩しているようだ。
以前とは攻防が逆になっているのがおかしくて、くすくすとルーチェから笑いが漏れる。
「まったく、悪魔みたいな婚約者ですね」
それでも、しっかりとルーチェと手を繋いでくれる。
今はこれで満足しよう。
ルーチェはバーナードの顔を見て微笑んだ。
二人は目的の場所に向けて、石畳で出来た坂道を大通りへ向かう人の波に逆らう様に歩いて行った。
「あの、バーナード様」
一目もはばからずいちゃつく二人に声をかける者がいた。
振り向くと、美しい令嬢が護衛や侍女を引き連れている。
祝祭に賑わう往来で邪魔になっているのも気にしていないようだ。
「……経理の件でなにか問題でもありましたか? 今は私的な時間なのですが。あと名前で呼んでいいのは家族と愛するルーチェだけなんで止めてください」
ルーチェも仕事で見知っている財務部の女性文官だ。
普段の仕事の文官の制服姿より祝祭だからか、煌びやかな印象だ。
ルーチェより年上で二十代後半だった気がする。
「まだ、遅くないです。結婚式を取りやめるなら、ギリギリ間に合います」
「……」
「どう考えても客観的に見て、お似合いなのはわたしの方だと思うんです」
ルーチェが何回も様々な令嬢から言われたセリフを吐き出すのをどこか冷静な気持ちで見る。
王宮の会議でバーナードがルーチェに愛を叫んで抱きしめたというご乱心は王宮のみならず社交界でも話題になった。
これまでルーチェを執拗に囲い込む噂も合わせて正式な婚約以来、こういう横やりは入らなくなったというのに。
「へー、どこかどう、僕とお似合いだって言うんですか? もしかして、外見だけの話ですか? ちゃんちゃらおかしいですね。そもそもあなたは僕の愛しいルーチェに敵う部分が一つもないっていうのに。爵位も外見も能力も可愛らしさも健気さもおもしろさも。どこからその自信が湧いてくるんでしょうね?」
バーナードはイライラして、一気にまくしたてた。
「だって、年齢もずいぶん若いし、バーナード様にはそんな毒々しい赤髪より金色のがお似合いでしょう?」
バーナードの言葉にめげることなく、本当に親切心で言っているというような穏やかな表情で続ける。
「わかりました。じゃあ、赤色に染めますね。鮮やかなリンゴみたいに」
「……」
このご令嬢は、鈍いのか頭がどこかおかしい人なのかもしれない。
でも、頭のおかしさならバーナードに勝ち目はない。
それを知っているルーチェはもう心を揺らされることはない。
バーナードの隣から逃げ出さない。
手を繋いで身を寄せて、ただ静かに見守る。
「愛し合ってる婚約者の時間を邪魔しないでもらえますか?」
「バーナード様がなんて噂されているかご存じですか? 幼い少女が好きとか、それをカモフラージュするための偽装婚約って言われているんですよ。なら、わたしでもいいじゃないですか? わたしは十年以上前から釣書を送っていますし、父を通して何回もお見合いをお願いしていました」
それでも涙目ですがるような目でバーナードを見る。本気なのはわかる。
「四十年です」
「は?」
「たかだか十年くらいのうすっぺらい憧れと一緒にしないでください。それにあなたは既婚者と適当に遊び歩いているじゃないですか。そんな人と僕の純情な気持ちを一緒にしないでほしい。僕の体も心もルーチェに捧げてるんです。僕は四十年以上前からルーチェに恋してるんです。訂正しておいてもらえますか? 幼い少女じゃなくてルーチェが好きなんです。前世から。とにかく僕はルーチェ以外とは結婚しないんで諦めてください」
「わたしを断るなんて、将来後悔しても知りませんよ!」
「そんな日は永遠に来ませんよ。……あと、ルーチェに手を出したら、あなたの方こそ後悔することになりますよ?」
令嬢に対すると思えないくらいドスのきいた声に、令嬢はついに泣き崩れた。
お貴族様の騒動に集まっていた野次馬の群れをかき分けて、バーナードはルーチェの手を引いて歩き出す。
「ねー、バーナード」
「なんですか、さっきの女のことなら勝手に懸想してきてる勘違い野郎なんで、嫉妬する価値もありませんよ」
「もう心配はしないけど、ちょっと疑問があって。バーナードはお金と権力が大事なのよね? さっきの方って財務大臣の娘でしょう? そうしたらその縁談は出世につながる気がするけど……」
「相変わらずおバカ……いえ、少々考えが足りませんね、ルーチェは」
「それ言い換えても、一緒ですよ! もう、人のことバカにして!」
「少々脳みその回転の悪いルーチェ、よーく聞いてください。金と権力は大事です」
ふにとルーチェの頬をつまむ。
冗談めかしてるけど、その目は本気で怒っているようだ。
「だったら!」
「愛と平和を守るためにね。目的と手段を取り違えてるんですよ。一番大事なのは愛とそれをはぐくめる平和でしょう? そのために金と権力が必要なんですよ。なんで出世のために愛してもいない人と結婚しないといけないんですか? 何回言えば伝わりますか? 僕はルーチェを愛しているんですよ。結婚したいのはルーチェだけなんです。何度言ったらわかるんですかね? 僕はルーチェ以外の女性とは結婚しません。毎日言ったら、物わかりの悪いルーチェの脳みそに染みますかね?」
とたんにこれまでの、バーナードの全ての言動がつながった気がした。
十代で前世のエレノーラが処刑された後に騎士から文官に転向したこと。
それから、財務部所属の文官から宰相補佐まで昇りつめた。
だから、騎士から文官になって権力の最高峰の宰相を目指しているの?
ルーチェはまだバーナードの愛の深さをわかっていないのかもしれない。
「そろそろ潮時なんで、あの財務大臣にも引退してもらいましょうかねぇ。いつの時代も権力にこびへつらう太鼓持ちで、いろんな派閥にふらふらと中途半端で、仕事もできない。革命の時には、中途半端だけどなんの力もないから見逃された貴族のうちの一人です。娘があの調子なら親も調子に乗っているんでしょう。そろそろ引退していただきますか……」
ルーチェが感傷にひたっているのに、横でバーナードがぶっそうなことをぶつぶつと言い出したので現実に引き戻された。
坂道を登り切った高台から大通りが良く見える。
ふと目を向けると国王陛下と王妃殿下が乗る馬車がゆっくりと走っている。
大通り沿いには多くの民達が押し寄せている。
それをバーナードと二人、手を繋いで見つめる。
ルーチェが前世の最後に見たこの世界は絶望と憎悪に溢れていた。
曇天の先に見えた民の顔にはどこにぶつけたらいいのかわからない怒りと憎しみがあった。
自分が前世で処刑されてから、およそ二十年。
今ここに溢れているのは人々の笑顔と歓声。
国を挙げて祝い事ができるくらい、平和になったのだ。
王族も貴族も、そして民達も。
なぜか今、強烈にそれを自覚した。
繋いだ手に力が入っているのに気づいて、隣を見上げるとバーナードが静かに涙を流していた。
そして、その輪郭がぼやける。
ふわりと甘い香りがして、安心するぬくもりに包まれる。
いつもと変わらない感触に安堵して、ルーチェも涙が止まらなくなる。
「信じられない。信じられないくらい幸せ。見つけてくれてありがとう」
「それはこちらのセリフですよ」
「生まれてくるのが遅くてごめんなさい」
「ルーチェは年齢差を気にしますね?」
「だって、その分一緒にいられる時間も短いし、私もずっと悩んじゃったし」
「いいんですよ。前世であなたに出会ったのはあなたが十五歳の時だった。見られなかった子供時代を見守ることができて、得した気分です。それに僕は早死にする気もルーチェより先に死ぬ気もないですから」
「ふふ、バーナードが言うと本当にそうなる気がする」
「おじいちゃんとおばあちゃんになって、子供や孫に囲まれて、あなたを見送って、後片付けしてから旅立ちますよ」
「そう? よろしくね」
「お任せください」
わぁっと歓声があがる。
パレードの馬車が近くまで来たようだ。
馬車の周りでふわふわと光が舞っている。
きっとフェリシアの魔法だろう。
あのとき、この国には絶望しかなかった。
人々は憤り、失望して、怒りにまみれていた。
でも、今は笑顔があふれている。
前世の娘とその思い人も笑顔だ。
なぜ自分や彼が生まれ変わったのかはわからない。
でも、どうせ生きていくなら幸せになろう。
気持ちが高ぶったルーチェはその気持ちのままに体から溢れるなにかを解き放った。
その瞬間に高台から街中に花びらが舞った。
この日を祝うかのように。
どこから湧いたのかわからない薄桃色の花びらに、わっと観衆が湧いた。
前世にした自分の過ちは消えないし、忘れない。
でもその分、自分の愛する人を大事にして生きて行こう。
せっかく巡り合えたのだから。
「ルーチェ」
「えへへ、あれ、なんか使えちゃった」
「使えちゃったじゃないですよ。あなたが生まれ変わりってばれたら大変なことになりますよ」
「もうしないってば」
二人でその奇跡みたいな景色に見とれた後に、バーナードから釘をさされる。
ルーチェも気づいていなかったけど、前世に妖精女王だった時の魔力と魔法を操る力がルーチェの中にあるみたいだ。
「一つだけ約束してください。なにがあってもあなたの命を粗末にしないでください」
「……」
「どうやってわからせようかな……」
その不穏な言い方に、ふいに前世で彼と体を重ねた記憶がよみがえる。
交際自体はルーチェが押し切ったが、体の関係を持つ頃には立場が逆転していた気がする。
そう、前世の彼は言葉にすることはなかったけど、確かに自分に夢中だったのかもしれない。
「わかりました! 十分わかった気がする! 気を付ける! 気を付けるから勘弁してぇ……」
バーナードの腕にすがるようにして訴える。
「逆効果だってわかってませんね、あなたは」
ルーチェがその言葉の意味を知るのは初夜のベッドの中。
ルーチェの側を離れずに大事にしてくれるバーナードがいるおかげで、命を粗末にしない、その約束は今世ではちゃんと果たされた。
本編はこれにて終了です。お読みいただきありがとうございました!
番外編がニ話(ヒーロー視点とおまけの話)続きます。
よかったらそちらも、どうぞ。




