13 やっぱり、彼は相変わらずのようです
「ルーチェ!!」
突然、バーナードに抱きしめられて、ルーチェは目を白黒させた。
ぎゅうぎゅう抱きしめられて息がしにくい。
えーと、だから、これは陛下の御前での大事な会議で、まだ話し合いの途中で……。
「正解ですよ。僕はあなたの靴だったら喜んで舐めますよ。なんて可愛くて健気なんでしょう。見事な調査と啖呵でした。普段は優しくて穏やかなのに決めるところはバシッと決めますね。さすが僕のルーチェ。これでなにもリアクションがなかったらさすがの僕も諦めていたかもしれません」
「そうなの?」
バーナードの胸元から少し疲れがにじんだ顔を見上げる。
「嘘です。僕がルーチェを諦めるわけないじゃないですか」
「でも、距離を置くって……関係を白紙にするって……」
「顔のいい男が大好きなアバズ……王女殿下が来るって急に決まったからですよ。世話役に任命されてしまったんでね。しかも密命があって、なにも話せない。僕の大事な人だってわかったら、ルーチェになにされるかわからないでしょう?
……まぁちょっとね、押してだめだったから、揺らしてみようかななんて思ったりもしましたよ。この状況を利用したところもあります。ルーチェがここまで動いてくれるとは思ってもみませんでしたが。それで迷いは振り切れました? 僕に愛される覚悟、できましたか?」
あまりの展開の早さについていけなくて、ルーチェは言葉も出ない。
でもバーナードがまたルーチェの近くにいて、ちゃんと目を見て話してくれるのはうれしい。
ここが国王陛下や王妃殿下、そして宰相や隣国の大使達が顔を揃えている場でなければ。
「ちょっと、人のこと無視して! バカにしてるの!」
王女殿下の怒りの声が聞えて、ルーチェは背筋を正した。
まだ、バーナードに抱きしめられたままだけど。
そう肝心な話が終わっていない。
「落ち着け、ペンフォード。ワトソンを離して着席しろ。王女殿下も席にお戻りください」
宰相閣下の声がかかり、バーナードは渋々ルーチェから離れると、なぜか隣の席に座った。
ルーチェを一睨みすると王女殿下も元の席に戻った。
「先ほどのワトソンの述べたことは事実だ。彼女は独自で調査したようだが、こちらでもあがっている。あなたにとっての最終試験だったんですよ。結婚ではなく仕事に生きる。王女という肩書きと語学力を生かして外交官として、仕事をしたいと父である陛下に言ったそうですね」
「……だから、なんだって言うの?」
静かに問いかける陛下相手にも、王女殿下は失礼で尊大な態度を崩さない。
「今回の訪問のメインの目的は関税の会議ではない。あなたが態度を改めるかを見る試験だったのだ。隣国の王より頼まれた」
「は? そんなのお父様から聞いていないわ」
「本人に告げたら試験の意味がないだろう? ご自身の行動を振り返ってみてどうかな? これは仕事なのか? 王族の権力をちらつかせて、こちらの国の民を好きに扱う。恥ずかしくないのか? そちらの国で相当好き放題していたようだな。正妃の子だということに胡坐をかいて」
王女殿下は正妃の唯一の子供だ。王太子も下にいる二人の弟も全て側妃の生んだ子供だ。正妃を愛していて、正妃そっくりの王女殿下はそれはそれは甘やかされて育ったと聞いた。
きっと自分の国ではこの国でいる時以上に、好き勝手していたに違いない。
「そんな! 許してください。ちょっとしたいたずら心っていうか……。そういうことなら、ちゃんとするから!」
「もう遅い。それに試験を課したのはそちらの国の王だ。今回の大使はお目付け役だ。今回の件は詳細に王に報告されるだろう。お前に甘い王も今回ばかりは許さないと言っていたぞ」
「ひっ! お父様! やめて、言わないで!」
髪をふりみだして、隣国の大使達に懇願する。
しかし、こちらの国の関係者以上に冷たい目で王女殿下を見るばかりで誰もフォローしない。
「ワトソンのいう通り、国のために民を犠牲にすることはない。この国の歴史をよーく勉強するべきだったな」
国王陛下の芯は変っていないようでほっとする。
ルーチェも調べるうちに、なぜ隣国に頭を下げないといけないのか謎だったのだ。
そういう取引きが裏であったと知って、納得する。
バーナードはルーチェを少しばかり試す目的もあって、この話に敢えて乗ったのだろう。
試されて怒ってもいいところかもしれないけど、ルーチェはバーナードが戻ってきてくれたことがうれしくて怒りは湧いてこない。
ずっと煮え切らない態度をとっていたルーチェも悪いのだ。
「ベイジル、よくやった」
ルーチェとの隣に座るベイジルにバーナードは労いの言葉をかけた。
「ありがたきお言葉」
「ダナン様には指示を出していたの?」
「いや。今回のことは国王陛下と宰相閣下と僕しか知らない。この隙にルーチェに手を出したらどうしてやろうかと思ってたけど、大丈夫みたいだったな。ルーチェのフォローありがとう」
「俺も婚約者一筋なんで。ローゼマリアを紹介してもらった借りは返せましたかね?」
「騎士団の奴らは一遍、絞めとかないとな……」
「見てたの? でも、ちゃんと私あしらえたよ」
王女殿下が来て以来、ルーチェのことなんて目に入っていないと思っていたバーナードだったが、ベイジルと調べまわったり、騎士団の人にからまれていることも知っているらしい。
「ルーチェのことはなんでも知ってますよ」
「本当に怖ぇ。敵にまわさなくてよかった……」
ベイジルの言葉にルーチェも完全に同意する。
「嫌よ、バーナードはあきらめるし、判も押すからぁ。許して、仕事しないならダリウス帝国へ嫁入りしないといけないのよ。十八番目の妃として」
「仕事もせず、ちやほやされるならお似合いじゃないか」
王女殿下はまだ国王陛下にすがっている。
国王陛下につかみかからんばかりの勢いに、隣国の護衛騎士についに拘束された。
「あーあ、みっともないですね……。同じ王族でも全く違いますね。娘や民のために首を差し出した悲劇の妖精女王とは」
バーナードがルーチェに片目をつむる。
ルーチェが前世の自分と彼女を重ねたこともお見通しなのだろう。
そして、やっとルーチェが自分の前世が自分が思っているほど、ひどいものではないと思ったことも。
「あの……」
机の下で手をつなぐバーナードに、さすがにこれはいけないのでは?と周りを見回す。
みな王女殿下に注目していてルーチェ達のことは見ていない。
「ルーチェが不足してるんですよ。これでルーチェの憂いはなくなりましたかね?」
「……」
「婚約してくれる?」
「はい。もう、バーナードの隣は誰にも譲れません」
からかう様に言うバーナードにルーチェは姿勢を正して、即答する。
もうチャンスを逃したりしない。自分の気持ちからも逃げない。
ルーチェの返答にバーナードは顔を覆った。
「失敗した……。違う場所で聞けばよかった。可愛い。抱きしめたい」
ルーチェの横でバーナードが顔を手で覆っている。
指の隙間から見える頬は赤く染まっている。
ルーチェだって、周りに人がいなかったら今バーナードがどんな顔をしているのか見たい。
「お前ら退場」
いつのまにか来た国王陛下の側近のジンさんに告げられる。
みんなの視線が二人に集まり、ルーチェの頬が赤く染まった。
「ペンフォード、ワトソン、ご苦労だった。約束通り一週間の休暇を与える」
国王陛下があきれたように告げて、その横で王妃殿下がにこにこしている。
こうして、隣国の王女殿下が来たことにより巻き起こった騒動はあっさりと収束したのだった。
「関税の件は大丈夫なの?」
退場の許可を得たルーチェはバーナードと手を繋いで、庭園を散歩しながら聞く。
「ああ。もうその件については合意して調印していますよ。先月に宰相閣下が隣国に出向いて話はついています。今回、王女殿下の試験をすること、彼女がある程度の問題行動を起こすことを加味して、こっちに有利な条件でね」
「それなら、今回のことは本当に王女殿下の試験のためだったということですね?」
「向こうの王が娘に甘すぎるんですよ。今回の件も側近達の提案で渋々飲んだみたいですし……」
「迷惑な話ねぇ……」
今も昔も愚か者が権力を握ると周りが甚大な被害を被る。
ベイジルの伝手で話を聞いた隣国の貴族からも王女殿下のゴシップを山ほど聞いた。
曰く婚約者がいても自分の好みの男がいると脅して侍らせるとか。
曰く自分の好みの装飾品やドレスを身に着けているとどんな高位貴族の令嬢でも取られるとか。
王女殿下は特に人のものが好きなようで、人の物や友人や婚約者を奪い、愉悦に浸っていたようだ。
「でも、よくわかったでしょう?」
「え?」
「そろそろ前世の自分が傲慢で我儘な悪徳女王だったって思い込みをはずしたらどうですか?」
「……」
「確かに多少わがままで反抗的だったのは認めます。でも、悪徳女王っていうのは王女のような人のことを言うのです。男を侍らせて、下々の者を虐げ、贅を尽くす。あなたは違うでしょう? 確かに護衛騎士を秘密の恋人にして、体を許し子を孕んだのは褒められたことじゃない。でも、必要以上に自分を卑下する必要もない」
ルーチェ自身も今回の事で同じようなことを思ったので、ただ無言でバーナードの言葉に頷いた。
そろそろ前世の記憶にしがみつくように生きるのを辞める時だ。
「それにしても、なんでこんな試すようなことをしたの?」
怒りはないけど、ルーチェの中にある純粋な疑問をぶつける。
「ルーチェを諦めるって選択肢は僕にはない。でも時間は有限なんですよ。同じ時代を生きているなら一分一秒も惜しい。ルーチェも僕を好きなら早くイチャイチャできる関係になりたいじゃないですか?」
バーナードは立ち止まりまっすぐにルーチェを見る。
「ずっと待ってたんです。罪悪感や常識をぶち破って、それでも僕を求めてくれることを。間違えたかと思いました。一瞬、僕のこと諦めましたよね?」
図星を突かれて、ルーチェは言葉につまる。
バーナードへの気持ちが諦められるくらい小さかったんじゃない。
いつだってルーチェはバーナードの幸せを祈っている。
一瞬、自分ではなく王女殿下と共にいるのがバーナードの幸せなのじゃないかと思っただけだ。
それも、勘違いだったわけだけど。
「だって、本当は復讐だったのかとか王女殿下に心変わりしたのかって思って……。自信がなかったの、自分に。あなたに愛される。でも、いいの。あなたの気持ちがどうであれ。私、わたし許されるならあなたといたい……。もうずっとずっとバーナードが好きなの……」
バーナードがルーチェから離れて、物わかりのいいふりをしていたけど、本当は寂しかった。
辛かった気持ちとバーナードが恋しい気持ちがあふれてきて、子供みたいにしゃくりあげてしまう。
嗚咽がとまらない。
「あーもう、せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか……。ああ、もうグチャグチャでブサイクで、この世で一番愛おしいよ」
バーナードは泣き続けるルーチェの目元にキスを落とした。
「気持ちが通じ合ったから、もうキスもそれ以上も許されるかな?」
口調は冗談まじりなのに、その目は真剣だ。
その琥珀の瞳に魅入られるようにしてルーチェは頷いた。
バーナードがかがむようにして、顔を近づける。
そして、今世では初めてになる口づけをそっとした。




