1 前世はまさかの女王だった?!
え? 私の前世って女王だったの?
しかもワガママで贅沢好きな悪徳女王?
兄の投げたリンゴがルーチェの眉間に命中した瞬間、頭の中に情報が溢れた。
胸を強調した真っ赤なドレスに、真っ赤なマニキュア、細いピンヒール。
綺麗にカールした紫の髪をなびかせる女性の姿。
え、私、こんなに下品でわかりやすく嫌な女だったの?
「ルーチェ、大丈夫ですか?」
目の前で長身の体を折りたたむようにして、こちらを覗き込んでいるのは家庭教師のバーナード。
その透き通った琥珀色の瞳を見て、ハッとした。
「……あ、ぼっと……」
目の前の人に前世の恋人であったアボットの面影を見て、ついその名をつぶやいてしまう。
前世の恋人は黒い髪に黒い瞳の重たい色彩だったけど、色味は違うのに顔立ちや背格好が驚くほど似ている。
バーナードの切れ長の目が一瞬大きく見開かれた。
「ルーチェ?」
「あー、ぼーっとしてました。ごめんなさい。大丈夫です。私の頭、頑丈なんです」
「腫れたり、傷にはなっていませんが、痛くないですか?」
「……大丈夫です、本当に」
いきなり思い出した刺激的な自分の前世の記憶に混乱して、バーナードを押しのけようとするのに離れてくれない。
ルーチェの頭や額のあたりを手で触って熱心に確認している。
「いえ、女の子ですし、なんだか熱っぽいですし……とりあえず冷やしましょうか?」
ルーチェの額にコツンと額を当てると、まっすぐに見つめてくる。
至近距離にある整った顔に、前世で恋人だったアレコレが浮かんできて、顔が真っ赤になる。
先ほどまで七歳児の記憶しかなかった私には刺激が強すぎるのよ!
「ひぇっ! めっそうもない! 大丈夫です!」
「なんだかおかしいですね……やはり頭の打ちどころが悪かったのでは……」
テキパキと侍女に冷やすものを持ってくるよう指示しながらも、至近距離からバーナードが離れる気配がない。
ルーチェの頬を指でなぞりながら、じっくりと観察している。
熊に食べられる前のうさぎってこんな気持ちなのかしら?
じりじりと炙られるような視線からルーチェも目が離せない。
騒ぎに気付いて、慌ててやってきたルーチェ付きの侍女によって、その沈黙は破られた。
侍女の後ろにへばりついて、ルーチェは呼吸を整える。
思い返せば思い返すほど、バーナードには前世の恋人のアボットの面影があった。
指が長くて綺麗なのに、手の皮は剣だこがあって厚いところ。
悩んでいる時は顎に手を添えて、手の指でトントンするところ。
なんでも知っていて、なんでも答えてくれるところ。
あまり表情が変わらないけど、本当に楽しいと思った時には片方だけ唇の端が持ち上がるところも。
それに、横顔の美しさも。切れ長の目も。
前世で私が夢中になった全てを今世も持って生まれてきたようだ。
「本当に大丈夫ですか? ルーチェ?」
侍女のスカートを握りしめているルーチェの前で跪いて、目線を合わせてバーナードが再度問いかける。
もういつもの家庭教師のバーナードで、その目にはさっきのような獲物を射るような緊迫感はない。
ルーチェは無言でコクコクと首を縦に振った。
「今日はしっかり冷やして安静にするんですよ。では、今日はお暇しますね」
いつものようにルーチェの頭を撫でようとして、額にリンゴが当たったことを思い出したのかその手はひっこめられた。
それを少し残念に思いながら、ルーチェはバーナードの後ろ姿を見送った。
◇◇
「生まれ変わっても、キレイな顔が好きって終わってるわね、私」
ベッドにつっぷして、ルーチェはため息をついた。
ルーチェは心配した侍女や家族によって、早々にベッドに送り込まれている。
ルーチェは、今世でもバーナードに夢中だった。
バーナードは、王宮で文官をしている。
二十五歳の若さで、宰相直下の政策室の一員だ。
なぜ、そんなエリート文官がお子様のルーチェの家庭教師をしているのかというと、問題児の双子のお兄様のせいだ。
そう、先ほども授業が嫌で逃げ出すために、リンゴを放り投げた。
授業が嫌なのとリンゴを放り投げたことの相関関係はわからない。
双子であっても、兄の行動原理はルーチェにとって意味不明だ。
そのリンゴがぼんやりしていたルーチェを直撃したというわけだ。
お兄様の策略はある意味成功したわね。勉強どころじゃなくなって、授業は中止になったんだから。
でも、悪い子じゃないのよねー、お兄様も。
「ごめん、ルーチェ。痛かったよね、ごめんね」
バーナードが帰った後も、ルーチェの後ろを付いて歩いて、ずっとぐずぐず泣いていた。
ベッドまでついて来ようとするのを引きはがすのに苦労したぐらいだ。
お兄様のエリオットは、頭も良く、身体能力も高い。だけど、やる気がない。
おもしろい事が大好きで、明晰な頭脳はもっぱらイタズラすることに使われている。
そんなお兄様に家庭教師が続くわけもなく、お父様は頭を抱えた。
そして、相談したのだ、自分より年若い上司に。
だれか問題児を相手にできる胆力のある教師はいないかとこぼしたら、なんと本人が来たのだ。
それがバーナードだ。
バーナードは問題児と言われるお兄様を上手い事懐柔し、家庭教師の在任最長記録を更新している。
双子で同い年のルーチェも一緒に授業を受けている、それだけの話だ。
前世恋人だったアボットも護衛騎士なのに博識で、なんでも知っていた。
バーナードは十代の頃は有能な騎士で、いきなり文官登用試験を受けて文官に転向したと聞いた。
兄に剣の稽古もつけている。
そういえば、剣の太刀筋や戦うスタイルもアボットと同じだ。
しかも文官になってメキメキと頭角を現し、現場を仕切り問題を解決していった。
当時、同じ財務部に配属されたバーナードのことを、お父様は目をキラキラさせて話していた。
現在の国王陛下は身分や年齢や性別に囚われない実力主義者なので、バーナードはすぐに出世したそうだ。
そして、宰相直下の政策室に引き抜かれてエリート街道を走っている。
「やっぱり、かっこいい……」
賢くて、強くて、かっこよくて。それに優しくて。クールな外見の内側には熱い情熱もある。
そんな人が傍にいたら、惚れてしまうのは仕方ないだろう。
前世で女王だった私も、現世で侯爵令嬢であるルーチェも。
「でもでもでも、これ以上はだめよ。だめだめだめ」
前世の記憶が蘇る前のルーチェもバーナードに憧れていた。
しかしそれは、七歳児が家庭教師の先生に憧れているだけだ。よくある初恋。
でも、これ以上、深入りしてはいけない。
だって、前世で悪徳女王の恋人になったせいで、彼は謂れのない罪で処刑されてしまったのだから。
もしルーチェの見た前世が真実で、生まれ変わりというものがあるとしたら、彼は幸せにならないといけない。
だから今世は絶対、アボットの面影のあるバーナードには関わらないわ!
ルーチェは自分の心に固く誓った。