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片手で提げられる荷物こと全財産を持って宿舎を出る。
振り返って見上げてみると、意外にもしみじみとした気分になった。ロクな思い出は無かったはずなんだが。
だがまあ、体を動かすのは好きだったし、訓練や演習はそこそこ楽しかった。
だが、今日限りでそんな生活とはおさらばだ。
「······まあ、悪くはなかったよな」
望んだ訳でもないし、パラダイスとは言い難い場所だったが、それなりに充実していた。俺みたいな戦闘しか取り柄の無い人間でも誰かの役に立てたりしたからな。
頭の中にちょっとした想い出が甦っていく。
そんな風に感傷に浸っていた時だ。
「おやあ~? そこに居るのは田舎者庶民のトレイル君じゃないか~い?」
と言うイラつく声が後ろから掛けられた。
うざったいので、シカトして立ち去ろうとすると
「無視するなこの負け犬が」
ズイッと、わざわざ目の前に回り込んでくる馬鹿が現れる。同期のスティングだ。
ボマードを着けて整えた金髪も、軍服に付けるには派手なスカーフも、鼻に纏わりつく不快な香水の匂いも、みんなうざったい。
凄んでるつもりなのか睨み付けてきている。
「んだよスティング。俺忙しいんだ」
「ほう? 君が忙しいだって? ククク、庶民ジョークは寒いね。軍をクビになってやる事もないのにかい?」
「······」
なんで今さっきの事をこいつが知ってるんだ?
まあどうでもいいか。こんな馬鹿と付き合ってる暇は無い。
スティングは貴族の息子、つまりボンボンだ。ただのボンボンじゃない。絵に描いたような性根の曲がった馬鹿貴族息子だ。
スティングの家は有力貴族とかいうやつで、国家の政界にも影響を及ぼす家柄らしく、こいつはそんな家の次期当主だそうだ。
そしてこいつの家はノビリティ主義のアホどもで構成されている。
ノビリティ主義とは労働階級者や、エルフやドワーフと言った亜人を見下して平然と差別する輩の事だ。つまり一言で表せば、傲慢差別ウンコ連中だ。
ニタニタした笑いを避けて通ろうとしたら、また目の前に回り込んできた。
「聞いたよトレイル。君の配属は取り消しになったそうじゃないか。何でか分かるかい?」
「いいや。さっぱりだな」
適当に答えると、スティングはいよいよ愉快そうに笑った。
「教えてあげよう。軍が解雇対象にしているのは田舎者とか亜人とかのような社会のゴミどもだからだ。学も身分も無い、血統だって確証もないクズな連中をここらで一掃しようって訳なのさ。生きてたって大した価値も無くて、エリート達の足を引っ張る事しか出来ないカスみたいな連中。何の取り柄もない、生まれながらの負け犬どもがやっと消えてくれるって事だよ。君のようなねぇ」
「······」
「トレイル、前から思ってたんだ。君のような奴がこんな所に居るのは何かの間違いだと」
「······ああ、そうだな」
「おや。素直じゃないか。やっと自分の身の程が理解出来たのかな? ククク」
「確かに、お前みたいなクズと一緒の場所なんて俺の居るべき所じゃねえな。その腐った脳ミソから漂う腐敗臭が移ったらかなわん」
「何だと?!」
一気に逆上したスティングが腰にある剣の柄を掴んで睨み付けてくる。
「もう一度言ってみろ!!」
「あー、何だっけ? お前みたいに身分だとか血統だとかしか言えない馬鹿とは同じ空気を吸いたくねえだっけ?」
「き、貴様っ······!」
額に血管を浮かび上がらせて、血走った双眸を震わせるスティング。が、それ以上の行動には出る事なく、吐き捨てるようにこう言った。
「失せろっ! この下賤な庶民がっ!」
「そうさせて貰うわ」
そのまま横をすれ違ったが、斬りつけられる事もなく通り過ぎた。
そして少ししてから、背中にスティングの罵声が浴びせられた。
「貴様に行く場所なんて無いぞ! どうせどこかで野たれ死にだ! 教養も何も無い庶民なんだからな! すぐにくたばるぞっ! こんなご時世だっ、社会にお前みたいなカスの居場所なんてせいぜい共同墓地の墓穴ん中だ! お前なんてなぁっ──」
大声で捲し立てていた。
何だろう、あいつ暇人なのかな? だったら関わってなんかいられるか。俺は忙しいんだ。
無職だからな······。
外へ出たは良いがどうしよう。
裸一貫。という訳ではないが、着の身着のまま放り出されたのだ。
「えー、持ち金が500ゴールドくらいか。安い宿なら七日間かもっと持つな。だが食費の事も考えると······くそ、これなら訓練時代にもっとサバイバル実習真面目にやりゃ良かったぜ」
次の仕事が見つかるまでは野草とか山菜を採取して足しにしないと持たないだろう。貧乏生活の始まりだ。
まさかお国が雇用主の軍隊で即日解雇されるとは思わんかったからな。何の対策も用意も無い。まあ、こんないざという時のためにせっせと貯蓄を用意しなかった俺も俺だが。
この後どうしようか。しばらくはロクな物も食えないだろうし、今日くらいは英気を養うためにガッツリ食い溜めするか。いや、それは駄目だ。節約しないと。だけど腹減ったしなぁ。
と、真剣に考えている時だった。
何者かの気配が後ろに迫り
──ピトン──
「うおっ?!」
視界が、しっとりとして温かい手に塞がれ
『だーれだっ?』
という声が、吐息と共に耳にかけられた。
甘い香水の匂い······。
お疲れ様です。次話に続きます。