唯一の救いは山の中
「今日は土曜日。一日中ダンジョン行くぞ!」
俺は準備を整えて家のドアを開けた。
「行って来る」
「いってらー」
妹の返事を受けて、俺は外に出た。
すると、珍しく早起きしたアリスが笑顔で紙袋を持って立っていた。
「おはようアリス」
「おはようキリヤ」
「俺はこれからダンジョンに行く。さらばだ!」
逃げようとする俺の足を引っ掛けてバランスを崩し、関節技によって捕まえられる。まるで刑事ドラマで逃げた犯人を捕まえる構図だ。
「ぐぬぬ、何をする」
「ほら。先生のところに行くから準備して」
準備ならこれだけでも十分だと思うのだが⋯⋯他に何かいるのだろうか?
そう考えていると、アリスの持っていた紙袋に視線が向かった。
中に入っているのは服のようなモノ。今回の目的は俺の飛行能力向上。
「おいアリス⋯⋯まさかそれは」
「ちゃんと女性用だし、サイズも考えてるよ」
「そんな気遣いは要らんっ!」
部屋に戻されて、妹の怪しむ目を掻い潜り、俺はアリスの用意した背中に二つと尻に一つの穴があるスポーツウェアに着替えた。
「うぅ。違和感しかない」
「そりゃ女性用だし、胸のサイズはかなり大きいからね」
「お願いだから言わないで」
「キリヤの恥じらいに価値は無いぞ」
スポーツウェアの上からコートを羽織って、俺達は駅へと向かう。
憂鬱なこの気持ちが治る事はなく、電車に揺られて三時間、山の中を歩いて行く。
「サキュバスになって飛んで行こうよ」
「絶対に嫌」
「なんでさ。もう誰も見てないよ。アタシはサキュバスのキリヤ、かっこいいと思うよ」
「ありがとっ! でも嫌だ!」
山の中を進んでいると、一つの家が目に入る。
家の前で子供に剣術を教えている男の人のところに無意識に目が行く。
俺達が訓練施設を卒業してから退職し、今では山の中で隠居生活をしている先生。
貫禄のある老人などではなく、三十代前半と七歳の子持ちとは思えない年齢をしている。
童顔なのか、顔は二十代前半と言われても疑われないだろう。
モデルと並んでも遜色無い容姿を持った先生にアリスの口元は緩む。
「相変わらずのイケメンっ!」
「妻子持ちだからな」
「大丈夫だって。目の保養だから」
「はぁ。⋯⋯先生!」
大声で呼びかけると、手を振ってくれる。
子供に目をやりながらも、俺達の事はちゃんと見えていたようだ。相変わらず視野が広い。
「キリヤにーちゃんとアリスねーちゃん久しぶり!」
「お久ー」
「お久しぶりだね。元気してた?」
俺が質問すると、元気良く「超元気ー」と返してくれた。
「ご苦労さん。まずは荷物を置いてくると良い」
先生に案内されて家の中に入ると、ご飯の準備をしている奥さんが笑顔で手を振ってくれた。
「お久しぶりです」
頭を下げて挨拶をしてから、荷物を置きに行く。
まさか先生のところで土日を使って訓練する事になるとは、考えてもみなかった。
昼食をありがたく貰いながら、今日の本題を切り出す。
「俺に、空での戦い方を教えてください」
「⋯⋯ほぉう」
お茶をすすって、一息置いてから言葉を出す先生。
「飛行能力のある種族に選ばれたのか?」
「はい」
「なるほど。人型か?」
「はい」
人型なのは間違いない。
「ふむ。中々に当たりじゃないか? でも、お前ならすぐに飛び方をマスターしそうだがな」
その信頼がグサリと心に刺さった。
飛行訓練なんて恥ずかしくてまともにしていない⋯⋯なんて言えなかった。
「で、どんな種族だったんだ?」
期待を込めた目が、出す言葉を遮る。
見かねたアリスが溜息を吐いてから、俺の背中をポンっと叩き、子供を連れて外に出た。
奥さんと先生、そして俺だけの空間ができあがる。
意を決して、だけど目を逸らしながらボソリと言う。
「⋯⋯女淫魔です」
「そうか。サキュバスか。⋯⋯キリヤ、それはインキュバスの間違いでは無いのか?」
「そうであったら、どれほどマシだったか」
俺が涙混じりに言うと、信じてくれたのか苦笑を浮かべた。
「そうか。お前がサキュ兄だったのか」
「知ってたんですか?」
「探索者の道を歩んだ人間ならば知っていてもおかしくないだろう。世界初の性別反転の種族、それも淫魔系だからな」
クスッと笑われた。
「龍人や鬼人の種族を得るって豪語していたお前がなぁ。良い種族を持ったじゃないか」
ずっと笑ってるんだけどこの男。
殴りたい。
一頻り笑った後、真面目な顔になった先生は俺と一緒に外へ。
外ではアリスと子供がキャッチボールをしていた。
「すまない。家の中で遊んでやってくれ」
「分かりました。何しよっか?」
「ママと一緒に神経衰弱!」
「わはは。アタシあの人に勝った事なーい」
「僕も!」
二人が中に入ったのを確認して、俺に視線を送る先生。
頷き、俺は紋章を可視化させて見せる。それが種族の明かし。
「俺はお前の言葉を信じている。今のはサキュバスになれと言う意味だ」
「⋯⋯ならないとダメですか?」
「ならないで何になる?」
俺は歯を噛み締めて、コートを脱いで地べたに置く。
種族を解放して、サキュバスとなる。
翼に違和感無く広げる事ができた。
サイズもちょうど良いのか、動きが制限されている感覚は無く動きやすい。
「ふふ」
「わ、笑わないでくださいよ!」
「難しいな。さて、それじゃ始めるか」
そう言って先生は上の服を脱ぎ捨て、種族へと変身する。
進化を経験している先生の今の種族は上位獣人族、ハヤブサ種である。
身体に羽毛が広がり、背中からは大きな茶色の翼が生える。
片翼のサイズだけでも二メートルはあるだろう巨大な翼。
「まずは飛ぶ基礎を教えよう。キリヤ、お前は呑み込みが早い。基礎を伸ばして万能タイプを目指しているお前だからこそ、すぐにコツは掴むだろう」
先生が空高く飛ぶので、俺も合わせて飛ぶ。
「高く飛ぶに連れて身体が不安定になってるぞ」
「それは⋯⋯」
地面に居る時の癖のせいだ。
歩行の癖が染み付いた下半身の重心移動が空中に居る時に不安定になる。
「それではスピードも出せないし、攻撃も弱い。地に居る感覚を捨てろ」
「そう言われても⋯⋯」
「そうか。なら、死ぬ気で俺の攻撃を防ぐんだ」
刹那、俺の視界から先生は消えた。
一瞬で背後に現れた先生は容赦なく拳を叩きつけて来る。
防げと言われても、反応できる速度で先生は動いてくれない。
「今のお前はサキュバスだ。それを受け入れろとは言わない。だが、制空権を握っている事は自覚しろ。今のお前は地面で戦ってない。空中で戦っているんだ」
運命の魔眼の力を使ったところで先生のスピードには追いつけない。
目は役に立たない。
空気の流れを肌で感じ、羽ばたく音を聞き取り、嫌な空気を嗅いで味わえ。
全身全霊で先生の動きを捕まえて、予測しろ。
「ここだ!」
「遅いっ!」
俺の突き出した拳は確かに先生の攻撃に合わせていたはずだった。
しかし、先生は背後にいて俺を蹴飛ばしたのだ。
軽めの蹴り、普段なら防御できる程の力。
しかし、今は身体が不安定故に地面まで落下する。
「休めると思うなよ」
落下の力ではなく、空を飛ぶ能力を利用してのドロップキック。
スピードの乗ったその蹴りは重い鉄の塊に等しい。
「がはっ」
地面に突き刺さる俺。全身に響く衝撃が感覚を麻痺させる。
「さっさと飛べ。学びたいのなら、強くなりたいのなら。死ぬ気で防げ」
「感覚を、思い出せ」
あの夜、満月を見て月光を浴びた時の感覚を。
あの高揚感が高めてくれた、身体に馴染んだ翼の感覚を。
それから何回も飛び上がってはフルボッコにされる時間が続いた。
地面に居る時の感覚、『歩行』の感覚が抜けない。
剣を振るうにしても、下半身には力を入れる。
しかし、空を飛んでいる状態でそれは無意味。
力を入れて踏ん張る場所、それは足じゃない。
「掴んだっ!」
力を加えて調整する場所、それは翼の中心だ。
力の加え方や動かし方。
翼を自由自在に操る事によって自由な飛行を可能にする。
さらに重心の移動。これも新たな感覚として掴んで来た。
地を捨て空を手にした感覚。
「せやっ!」
先生のパンチを俺はギリギリで回避した。既に月が昇る時間、そこでようやく、ようやく俺は⋯⋯かなり手加減した先生の攻撃を回避した。
「うん。後は明日またやろうか」
「つ、疲れた」
「今日はその状態で生活だからね。人間に戻っちゃダメだよ」
「え、なんですかその苦行は!」
先生は人間の姿へと戻り、家の中に入って行く。
俺は⋯⋯この状態でいないとダメなのか。
「強くなるため強くなるため」
決意を胸に、俺は中に入った。
子供と目が合い、驚かれた。
「キリヤにーちゃんが女になってる」
「俺って分かってくれた」
嬉しいあまりに涙が⋯⋯。でも、あまりマジマジと見ないで。
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