澎湃の渦
時間は決して巻き戻らない―――
大罪を犯した人間が相手でも―――
君は柔道が楽しいか?
夜の船着き場に木霊する悪漢の声。
面食らったようにその場で立ち尽くす青桐は、試合が始まったにも関わらず、その場から動こうとしない。
企みがが上手くいった財前は、上機嫌な様子を隠そうとすることなく、青桐の道着を掴み取りに行きながら、彼を必要以上に煽り始める。
「ンフフフっ!! 今話題のリヴォルツィオーネから依頼が来た時は、どうしようかと悩んだのですが~……あのスキンヘッドの方々、報酬が良いんですよねぇ~!! ワタクシがガッツリ中抜きしたのもありますが、ぼろ儲け出来てうまうまですよっ!! まっ人生いろいろありますよぉ~~~別の彼女でも作ってみてはいかがですかぁ"ぁ"ぁ"!?」
「ぶっ殺す」
財前の両手が青桐の道着に触れようとした瞬間、回瀾を従えた青桐はそれらをいなし、弾き飛ばしていく。
体が横に流れる財前。
彼が目にした青年は、獰猛な目の奥に冷え切った殺意を抱いており、喉元を噛みちぎらんとする神話上の生き物を、その身に宿しているかのようである。
「ブヒブヒィィィィィ~っ!! ワタクシ、恐怖!! ではぁ~……早々で決着をつけましょうかねぇ"ぇ"ぇ"っ!!」
両足に雷を纏った財前は、青桐の目と鼻の先まで急接近する。
一度は両手を弾かれた彼だが、今度は確実に横襟と中袖を握りしめると、先ほどの試合と同じように力による支配を開始した。
「んんんっ!! さてと……どう倒してくれましょうかねぇ!! 内股? 支釣込足? 火鼠払い? さあさあさあぁ"ぁ"ぁ"!?」
「……本当でよく喋る豚野郎だ……な"ぁ"っ!!」
財前の横襟を持つ右手に力を込めると、荷物を移動させるように奥へと押し込む青桐。
無理やりスペースを作り出すと、空いた空間へ体をねじ込み、敵の左足を内側から足を刈り取る大内刈りを仕掛ける。
大木に技をかけているようにビクともしない財前。
だがそれは青桐の狙い通りのようで、財前が技を返そうとした瞬間に別の技へと移行する。
目にも止まらぬ早業で、右足と左足を1度ずつ振るう青桐。
財前の体の後方には、牙のように鋭利な衝撃波が生み出されており、財前がその存在に気が付くよりも先に、アルファベットのxを描くように、彼の両足のアキレス腱を断ちに行く。
小外刈りの派生強化技。
No.33―――
「双牙……っ!!」
「んんんっ!!」
(油断ると投げ飛ばされますねぇ。 ……小市民の決め技は主に投げ技ぁ……どっしり構えて受け止めればぁ~すぐさまコチラの攻撃ですよぉぉ!!)
財前の思惑通り、バランスが崩れた体に追撃を仕掛ける青桐。
雲に紛れた小内刈り、水塊を設置して足が揃った瞬間を刈り取る出足払い……
数々の足技が飛び交う中、本命の投げ技のモーションに入った青桐。
左手の引き手を引きつけ、右ひじを財前の右腋に入れ込む彼。
背負い投げを繰り出してきた彼に絶望を味わわせるべく、腰を落とし、研ぎ澄まされた刀をへし折りにかかる財前……
「あり?」
確かに背負い投げのモーションに入っていた青龍の男。
彼は今、引き手で握っていた財前の中袖を手放すと、今度は右手である釣り手を引きつけ、左腕を財前の左腋に入れ込むと、巨漢の男の左肩を左手で掴み、体を時計回りに回転させながら一本背負いを繰り出していく。
それもただの一本背負いではない。
逆方向、左の一本背負いである。
「お……お"ぉ"ぉ"ぉ"!? 小市民~……貴様ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"~~!?」
「……ベラベラベラベラ煩い野郎だなぁ……なぁ"ぁ"ぁ"!! 舌噛みたくねぇなら黙ってろやぁ"ぁ"ぁ"!!」
青桐が子供に見える程の巨体を有している財前。
そんな彼が、青桐の技によって、今まさに投げ飛ばされようとしている。
青龍の背中でもがき、間一髪の所で左足の指で畳にしがみついた財前。
投げられるまでには至らなかったが、完全に虚を突かれた悪漢は、張り裂けそうなほどの心臓の鼓動を己の耳で聞いている。
「はっ……!! はっ……!! 左……左ぃ!? ……ちょっ!?」
「ら"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」
頭を整理する時間が欲しい財前。
潤んだ目で停戦を訴えかけるが、怒りに燃える青年は受け入れるはずもなく、激流の勢いは増していくばかりである。
右利きがおこなう小内刈りで右足を刈り取ると、今度は左利きの人間がおこなう逆の小内刈りで、財前の左足を刈り取る青桐。
右へ左へ絶え間なく押し寄せる荒波に、防戦一方になる財前は次第に吞み込まれていく。
「ん"ん"ん"ん"っ!! がぁ"ぁ"ぁ"ぁ"っ!!」
「どうしたぁ豚野郎……? え"ぇ"っ!? キャラ付け忘れてんぞっオ"ラ"ァ"ァ"ァ"ッ!!」
「ブヒィ"ィ"ィ"ィ"!! 殺すっ!!」
青桐が成長した後の情報を知らない財前。
じわじわと敗北への道を辿っている彼は、不服な思いを試合中にも関わらずぶちまけていく。
「このワタクシが小市民ごときにぃぃぃぃ!! こんな貧乏人があぁぁぁぁ!! 資本主義社会の申し子であるワタクシにぃぃぃぃ!! この……汚物がぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」
「静止っ!!」
「……はい? 審判寺さん、なぜ試合を止め……」
「処分っ!! 太っちょよ、少し暴言り過ぎじゃのぉ……喧嘩るなら他所でやれ。互いに熱くなってた故、今回は甘く見てやったが、次やったら反則負けじゃぞ……? そっちの青髪も同様に処分じゃ……いいな」
「ちっ!! ……了解」
「ぐぐぐぐ!! 了解!!」
「開始っ!!」
財前への指導を行い、中断された時間は再び動き出す。
試合開始直後に、周囲は桜が舞い踊り月夜が静かにたたずむ、水が地平線を満たした世界へと変貌する。
静まり返った水面は、やがて嵐がやってきたかのように、波同士が激しくぶつかり合い、財前を海の底へと引きずり込もうとする。
(この糞小市民めぇ!! 潰す、絶対に潰すぅ……うぉ!?)
「こ、れ、はぁぁぁ……桜花水月……っ!? あの小市民はどこへ……」
「ここだよ見えねぇのか老眼がっ……!!」
目を離した隙に、既に上半身が投げのモーションへと入っている青桐。
強化された背負投げを直に受けることを避けるべく、財前は反射的に足が左方向へと動いてしまう。
後出しじゃんけんを行う青桐は、その方向へ投げ飛ばすべく、体を180度逆回転させ、左手から中袖を手放し、逆の一本背負いを繰り出していく。
「……っ!! 2度も、同じ手を、食らうかぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!! あぁ!?」
(今度は何なんでしょうねぇ"ぇ"ぇ"!? ……ワタクシの足に力が入らない!? 体力切れ……? ……っ!! まさか……小市民っ!?)
「やっと絞め技が効いてきたか。寝技は胸部や首を圧迫する関係上、呼吸が乱れやすいんだよなぁ……さっきの俺との試合で削られた体力……激昂で無暗に動きまくった代償は、結構多額ぇんじゃねぇか? なぁ……理事長っ!!」
場外で観戦する城南のキャプテンである大原は、先ほどの試合を振り返りながら、背水の陣で戦う学校の理事長へと、語気を強めて突き放した言葉を投げつける。
逆方向への一本背負いを行う青桐。
今までの恨みを晴らすべく、畳から引きはがした巨漢を、力の限り畳へと投げつけていく。
「う……ぉおぉぉぉ!?」
(ワタクシが……一本負ける? こんな奴にぃ? こんな貧乏人にぃ!? ……疑心暗鬼?)
「ワタクシ一本負ける? 疑心暗鬼ぇ"え"ぇ"ぇ"え"ぇ"!?」
「やぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」
「一本っ!! そこまでっ!!」
背中から勢いよく投げつけられた財前。
彼は畳の上に散っていった。
この試合の審判を務めた審判寺は、総括するように口を開き始めた。
「さてと……試合はルーカス・ジョンソン側の勝ちじゃな。約束通り、財前富男は身柄を確保らせていただくぞ」
「ちょ、審判時さん!! 最後の投げ技、偽装攻撃じゃないですかっ!?」
「なんじゃ……ワシの審判に苦情をつける気か? 小僧が言っておるのは、一本背負いの前の桜花水月か? ……残念じゃが、上半身だけの動きでは、偽装攻撃とは言えんのぉ……」
「ぐくぅぅ!! ……くくく!! おほほほほ!! はい、理解りました、負けましたよっと!! ですがですが~……このまま終了して本当でよろしいのですかぁ? 負けた時に備えて、別のプランもあるのにぃ!? ……もしもし!! そっちの方はどうですかぁ!? 蒼海の校舎は……」
『財前様ぁ!! 助け……ギャァァァァ!!』
「……ふぁっ!?」
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青桐達が戦いを終えた同時刻。
蒼海高校のグラウンド内には、事前に襲撃を見越して設置された無数の畳の上で、財前の部下と戦い続ける蒼海高校柔道部の人間がいた。
ジョンソンヘッドコーチからの情報を受け、戦いに備えていた蒼海高校柔道部ガチ勢の面々。
監督の井上も彼らと同じように道着に袖を通し、一心不乱に試合を行っている。
「はっ……はっ……!! クソ、何でコイツら待ち構えてやがったんだよぉ"ぉ"ぉ"!? 財前さん話が違ぇじゃねぇか!!」
「ギャァァァァァ!!」
「お、おい!! ……ひっ!?」
「おーおー随分と派手にやってくれんじゃねぇか……覚悟出来てんだろうなぁ!?」
「武人として風上にも置けんな……少しは根性を見せたらどうだ?」
「回生の木場に……幻術使いの花染じゃねぇか!? 俺達じゃ勝てっこねぇよっ!! に、逃げるぞ……」
「オリバー見参だヨ!!」
敵う相手でないと判断した財前の部下達が、一目散にその場から逃げようとするも、背後からぬるりと現れた城南柔道部の部員、オリバーの手によってその場に拘束される。
「はぁ!? 何でお前らが……」
「HAHAHA!! そんなに急いデ、何処に行くんダ? もっと楽しもうゼ~!!」
「Fleeing in front of the enemy is... pathetic(敵前逃亡とは……情けない)」
「おい、ちょ、待てって……あ、あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」
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渾身の最後っ屁すら不発に終わり、後は捕まるのを待つのみとなった財前。
無言で唇を噛みしめる彼は、脇目も振らず逃亡していく。
ただ一目散に、青桐達から背を向け走り出す悪漢。
タダですら醜い顔面が、潰れたトマトのようにぐちゃぐちゃにしながら奇声を発していく。
「はぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!! やってらんないですぅ"ぅ"ぅ"ぅ"ぅ"ぅ"!!」
「何処へ行く気じゃ」
音もなく財前の目の前に現れた審判寺。
逃亡を図る財前は、汗を流しながら最後の抵抗を始める。
「邪魔邪魔邪魔っ!! どけや老いぼれがぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」
「アホみたいに怒鳴りおって……そらっ!!」
「っ!?」
「……No.95」
右手で財前の道着の襟の部分を握りしめる審判寺。
軽く襟を握られただけで、財前の体勢は大きく前へと崩れていく。
そのまま地面の小石を蹴るように、優しく右足で、財前の左足の裏側を払う審判寺。
100㎏を軽々超える男は、老人の洗練された技によって、畳の上へと投げ飛ばされる。
そのまま取り押さえられた財前。
最後まで悪あがきを続ける彼を抑え込み続ける審判寺は、戦の終わりを告げていく。
「さあ……これで終了としようかのぉ!!」




