TERRITORY・シマ・叛逆者の世界
未知の世界が行く手を阻む―――
己の常識が覆されたとしても―――
君は柔道が楽しいか?
柔道界の未来を嘱望される4人の若者が、思いもよらぬ場所――東京湾岸の港で鉢合わせた。
彼らの周囲には、付き添いと見られる者達がちらほらと立ち並び、当の本人達と同様に、状況を飲み込めずにいる。
人間が瞬時に処理できる情報の量には限界がある。
この場に居合わせた全員が、処理落ちしたパソコンめいて、思考を凍結させていた。
その沈黙を破ったのは、日頃から場を収めることの多い赤神だった。
「……俺は九条刑事と共に、ある高校とRivoluzioneとの繋がりを捜査いに来た」
「……刑事の九条だ」
視線を泳がせる赤神は、アイコンタクトで対角線上にいる黒城に、次はお前が話せと無言りつつ訴える。
訴えかけられた化石頭の男は、言行狼狽になりながら言葉を紡いでいく。
「あぁー……俺はこの……人……」
「なんや歯切れ悪いのぉ~黒城ぉ? こんにちは!! 領分荒らしとる馬鹿ども追っかけてぇ~はるばるやって来た、ヤクザの黒岩!! ぴちぴちの36歳でぇ~す!!」
「おまっ!? 何でヤクザだってバラしてんだよっ!?」
「あぁ~? んなもんワシの勝手やろがい、殴殺むぞ、ボケぇ!!」
どうやら、黒城の付き添いはヤクザのようだ。
小さな黒縁の丸眼鏡をかけ、こけた頬に不自然に剃り上げた髪。
見るからに近づいてはいけない雰囲気を纏っている。
その男と口喧嘩をしている黒城は、俺達のことは気にすんなとでも言いたげに、視線で早く続けろと促してくる。
隣にいた白桜は、目線をふわりと真上へ泳がせながら、1つ1つ丁寧に状況を説明し始めた。
「えぇっとぉー……この2人と新千歳空港で話してたら、不審者を見かけて……それで尾行してたら、いつの間にかここに……?」
「完璧ですぜぇ、白桜のダンナぁ。こんな感じでよろしいんじゃねぇですかねぇ? 蛇島のダンナぁ?」
「いや、あの……桐ケ谷先輩……!! 俺、もうカバーしきれないっすよ!? なんなんですか、この地獄めいた状況っ!?」
「まぁ~まぁ~蛇島のダンナぁ……青汁でも飲用いて落ち着いてくだせぇ。旅は道連れ、世は情けって言うでしょ?」
「どれだけ道連れにすれば気が済むんですか……っ!!」
自棄糞気味に青汁を飲用く、おかっぱ頭で小柄な男。
東京の新人戦に乱入してきた7人のうちの1人──Rivoluzioneの蛇島だ。
彼が先輩と呼ぶ流浪人めいた男、桐ケ谷もまた、その一味と考えて間違いない。
そんな、世界に喧嘩を売る連中を2人も引き連れている白桜。
本人はというと、体を小刻みに震わせ、今にも泡を吹きそうな有様で、青桐の方をチラ見していた。
順番が回ってきたので、青桐もこちらの事情を手短に説明し始める。
「……Rivoluzioneの人間らしき人物を追って、古賀さんとここまで来ました。……以上っす」
「……」
「……」
「……」
「……黒城、なんか喋れ」
「あぁ? 赤神、お前さ……話のフリ雑じゃねぇ!? んなこと言ったってよぉ~……あぁー……んじゃ~話しが変わるがよぉ……お前に聞きてぇことがあんだよ」
「なんだ、黒城」
「なんかさぁ……東京、変じゃねぇか!? 俺達、こっちに来る時わざわざ迂回させられたんだぜ!?」
「あっ!! それ、僕も思った!! ねっ!! なんか変だよねっ!?」
「赤神さん、何か知ってるんすか? 東京の住人ですし、なんか知ってるなら教えてくださいよ」
「おいおい、急かすな青桐……結論を言えば知っている。だが……話したくない」
「んでだよ? 俺とお前の仲だろ? 隠し事なんてお前!! ……なんか変わっちまったなぁ~~~? この短ぇ間でよぉ~」
「こんな状況で戯事るんじゃねぇ黒城!! お前のその言動が面倒いから、尚更話したくねぇんだよ!!」
青桐、黒城、白桜の3人に囲まれ、逃げ場を失った赤神。
なんとか場を仕切ろうと司会進行を続けていたが、眉間に深く刻まれた皺が、彼の限界を物語っていた。
頑なに口を閉ざしていたものの、ついに観念したのか、面倒そうに肩を落とし、重い口を開けて白状っていく。
「……東京じゃ今、悪魔に取り憑かれた900万人の市民が暴れ回ってる。連中は片っ端から柔道を挑んできて、一本を取れば正気に戻る。警察官も対応しているが、手一杯い状況だ。どうだ、この状況……理解るか?」
「あっ? なんて? なんて?」
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「……それぞれ、これ以上の詮索はよせ。一先ず……柔県へ向かうぞ」
東京の異変をまったく信じてもらえなかった赤神は、仕方なく話題を切り上げ、一同を柔県――Rivoluzioneの領分へと向かわせることにした。
案内役を買って出たのは、流浪人めいた風貌の高校生である桐ケ谷。
彼の導きで、小型の乗客船へと乗り込むことになった。
エンジンの振動と波を割る音が交錯する中、面々はそれぞれ、思い思いの場所に腰を下ろしていく。
港を離れて、すでに数十分。
いま、彼らの乗る船内には、異様な沈黙が満ちていた。
互いに距離をとって座ったまま、誰ひとりとして口を開こうとしない。
そんな重苦しい空気が漂っていた。
「……」
「……龍夜、龍夜」
「……なんだ隼人」
「もう我慢できねぇ……柔県ってさ、アイツらの領分じゃん? 何でこんな普通に行けてんの? これ罠か?」
「……知らねぇよ」
「一般人が行っていい場所なの? なあ、九条刑事の顔、見てみろって!! どう見ても本気でこのまま突っ込んで大丈夫か? って顔してんじゃん!!」
「知らねぇって!! 俺だって聞きてぇよ……」
「ってかさ、何で白桜はあんなにRivoluzioneの人間と和気藹々としてんだよっ!? 何で黒城さんはヤクザと行動してんだよっ!? 俺もう訳が理解らねぇよ!!」
「……隼人、落ち着け」
「古賀さん……」
「人生な、諦めが肝心だ」
「古賀さんっ!?」
沈黙に耐えられる性分ではない草凪。
ここぞとばかりに疑問をぶちまけていたが、古賀に半ば強引に宥められ、口を噤んだ。
息の詰まるような空気の中で、ただ時間だけが過ぎていく。
数時間後──彼らは目的地、柔県の港に到着した。
そこは、謎の集団Rivoluzioneが一から築き上げた人工の島だった。
日本の他の離島と比べても遜色のない土地で、港に掲げられた全体図には東京の大島ほどの広さと記されている。
事情を何も知らずに足を踏み入れた者がいれば、眼前に広がる優美な自然に魅了され、凄ぇ観光地と錯覚するかもしれない。
Rivoluzioneの人間である桐ケ谷と蛇島が先導し、青桐達は港に待機していたバスへと乗り込んだ。
時刻はすでに18時を回り、街灯の光が夜道を照らす中、運転手は快調にバスを走らせていた。
バスの前方では、バスガイドめいた桐ケ谷が闊達に案内を始めた。
その隣で、蛇島はこの世の終わりめいた顔で項垂れているが、流浪の男はそんなことに構う様子もなく、マイペースに言葉を重ねていくのだった。
「えぇ~この度は、柔県へとお越しいただき誠に感謝。あっし、僭越ながらこの短い旅のガイドを務めさせていただきやす、桐ケ谷仁と申します……あっし、ちったぁ様になってやせんかい? ねぇ……蛇島のダンナぁ?」
「あぁーもう駄目だなこれ。危機っ獅子皇さん激怒だわ」
「おっと、気を取り直してっと。皆さんにはこれから、ある場所へと向かっていただきやす。まあ、アレだ。あっしの仲間が練習している浜辺ですので、そんなに警戒なさらずに。多分ですけど、そこにゃあ……皆さんが捜索ってる相手の手掛かりが、落っこちてるんじゃねぇかと……あっしは、そう踏んでるんでさぁ」
そう桐ケ谷が話した場所。
バスの窓越しに現れた浜辺では、夜だというのに大勢の人影が走り回っていた。
砂浜には屋根付きの筋トレジムや、畳を敷き詰めた試合場がいくつも並び、夜景を眺めながら汗を流すには格好の環境が整っている。
その爽やかな情景を打ち砕くように、浜辺からは絶え間なく暑苦しい雄叫びが、現在進行形で響いていたのだった。
誰が作ったのか心底問いただしたくなるほど、奇妙な英語詞の筋トレソングを爆音で合唱しながら、我武者羅に己の肉体を追い込む集団の姿がそこにあった。
『Muscle!! (Muscle!!) Muscle!! (Muscle!!) Muscle!! (Muscle!!) Pump!!
Let's train muscles everyone!! Right arm Pump!! (Muscle!!)
Let's train muscles everyone!! Left arm Pump!! (Muscle!!)
It's too early to give up! ?? Why are you giving up there! ??
Bully the muscles!! Bully the muscles!!
Look muscles are happy! !!
It's too early to give up! ?? Why are you giving up there! ??
Bully the muscles!! Bully the muscles!!
It's a good pump up!!
Let's all scream together, the name of the muscle!!
Pectoralis major!! Deltoid muscle!! Latissimus dorsi!! Triceps brachii!! Trapezius muscle……
yeaaaaaah!!』
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「BA・HA・HA"A"A"A"A"~!! 2人共帰ってき……た、か?」
集団の音頭を取っていたのは筋骨隆々の大男―――
その正体は、かつて新人戦で黒城と対戦し、圧倒的力の差を見せつけた刃狼であった。
帰省していた桐ケ谷と蛇島を見つけるなり、大股で駆け寄ってくる彼。
直前まで鍛錬に励んでいたのだろう。
半裸の胸板からは、真冬の夜空へ白い湯気が勢いよく立ちのぼっていた。
桐ケ谷と蛇島と合流するなり、背後に見える青桐達の姿を見て、刃狼は口を半開きにして動きを止めてしまう。
そして、助け舟を求めるような目をして、桐ケ谷を問いただし始めた。
「き、桐ケ谷……お前何を……黒城だとっ!? はぁ"!?」
「ああ、刃狼のダンナぁ~コイツはですねぇ……以前白桜のダンナに借りがありやして。その恩返しってワケで色々あった結果がこれでさぁ。いやぁ~思った以上に人数が集まっちまいやしたねぇ~」
「へ、蛇島ぁ"っ!? お前、何のために付いて行ったんだぁ"!?」
「謝罪した。ってかさ、こんなの誰が同伴しても無理でしょ」
「開き直ってんじゃねぇ!! し、獅子皇っ!! ちょっと来てくれっ!!」
「なんだ刃狼……夜中に声がデカ……っ!? お前ら……なぜここにいる……!?」
Rivoluzioneの大将である獅子皇。
かつて赤神と対戦した彼は、刃狼とまったく同じ反応を示した。
事態が平行線のままでは埒が明かぬと判断した赤神は、敵の総大将へと事情を説明し始める。
行方の見えない展開に不安を覚えた草薙は、ひそひそ声で青桐に相談を持ちかける。
青桐もまた、同じく声を潜めて応じていった。
「おい龍夜、これいつまで続く感じなの?」
「知らねぇよ……すぐ終わるだろ」
「いつだよ……」
「……いつかだよ」
人数の多さゆえ、周囲から見て異様に目立ってしまう青桐達。
赤神と話をつけた獅子皇は、さらに2人を呼び寄せ、そのうちの1人を案内役として同行させる。
それはかつて青桐が完敗を喫した深紅の髪色を持つ相手。
福岡のコンビニエンス道場以来の再開となる烏川が、青桐、草薙、古賀、3人の案内役として抜擢されたのだった。
「……よりにもよって、お前かよ」
「あ"ぁ"!? 仕方ねぇだろ!! 獅子皇さんの指示なんだからよぉ!! 文句あんのか青桐っ!?」
「君が俺達の案内役か。よろしく熱望」
「……っ!? え、夢、古賀さんですか!? 俺、試合をテレビでよく見てました!! あ、握手してもらっていいっすか!?」
「あ、あぁ……」
「やっべ……本物だわ……え、古賀さん、こんな所までなんで来たんですか? 一般人が来るような場所ではないと思うんすけど」
「……ここの人間の行方を追って来たんだ」
「ああ、獅子皇さんもそう言ってました。行方を追っている……? 誰をですか?」
「禿頭の男だ。恐らくここの工作員の」
「禿頭……工作員? えぇ……そんな奴いたか……?」
「おいおい……お前らの組織の人間だろ? 知らないなんてことあんのかよ?」
「はぁ~俺に袋叩られた青桐君は、俺が何でも知ってると思ってんのかな? ん?」
「……」
売られた喧嘩を即座に買おうとする青桐を、後ろから羽交い締めにして押さえ込む草凪。
青髪を逆立てて不機嫌をあらわにする教え子を横目に、古賀は烏川と冷静に情報のやり取りを続けていた。
「俺達の組織は役割が細かく分かれてて、よく理解らないんすよ。工作員もいるっちゃいるんですけど……禿頭? 見たことがないっすね」
「手掛かりなし、か……」
「うぅん……街で捜索ってみます? しらみつぶしになるんすけど」
「ここから近いのか?」
「ええ。この島は主に東西南北4つのブロックと、中央の土地の計5つに分けられるんすけどね。各ブロックに街があるんすよ。今なら店の人らに聞けば、何か掴めるかもしれないっす」
「理解った。そこへ急ごう。龍夜!! 隼人!! 行くぞ!!」
これからの方針を定めた2人。
古賀は青桐と草凪を呼び寄せ、烏川を先頭に目的の街へと歩を進める。
4人は足早に進みながら、道すがらの沈黙を埋めるように、青桐は烏川達の組織について探査を入れ始めた。
「……お前らの組織って、いつ頃に出来たんだ?」
「知らね。少なくとも、俺が生まれる前からあったってことしか理解らねぇわ」
「さっき街って言ってたよな。そんなにこの島には人がいるのか?」
「あぁ? そうだなぁ……ざっと10万人くらいだったか? で、そんなこと聞いてなんになるんだよ」
「気になっただけだよ。一から作ったなら、移り住んだ人間が大半だろ? よくそんなに集まったな」
「そりゃなぁ~柔道絡みでこの世界に恨み持ってる奴なんざ、いくらでもいるからよ……あ、不覚」
「……柔道への恨み? どういう事だ」
「それ、俺も詳しく聞いてみたいな」
「げっ……古賀さんまで!? 不覚い、口が滑った……最悪だぁ~……まあ、大体の連中が色々ありましてねぇ~日本各地を転々として最終的にここに流れ着いた人間が大半なんすよ。だからまあ~……叛逆る気持ちが凄いっすねぇ……お!! 街が見えてきた」
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烏川の身の上話を聞きながら進んでいた青桐達は、やがて目的の街へと足を踏み入れた。
そこは田舎町の素朴さとは無縁で、ビル群が立ち並ぶ先進的な景観を誇っていた。
もし目隠しをされたまま連れて来られたなら、誰もが東京の都心だと錯覚してしまうだろう。
東京都知事の大沼百合子も同じ感想を抱くであろうことから、このサイバーパンクめいた光景がどれだけ異様なことかは、語るまでもないだろう。
烏川は一同にビルの影で待つよう指示すると、足早に姿を消した。
数分後、彼は紙袋を手に戻り、その中からマスクと帽子を取り出して青桐達に配っていった。
「なんだこれ」
「変装の小道具だよ。俺はいいけど、お前らはこの島の住人じゃねぇだろ? 見つかって騒ぎになったら面倒ことなっちまうからさ」
「……随分と協力的だな」
「あぁ? なんだ青桐、俺が罠に嵌めようとしてるって言いてぇのか? こっちもお前らが言う禿頭の輩が、どんなヤツなのか知りたくなっただけだよ。まぁ~……獅子皇さんにちゃんとやれって言われてっしぃ~中途半端なこと出来ねぇのもあっけど……つ~わけで、聞き込み開始ってことで……30分後にここに集合な。あっ」
「あ?」
「街をうろついている機械警備員……ほとんど人間と見分けつかねぇ連中がいるんだ。そいつらには絶対見つかんなよ。バイク乗る時のフルフェイスヘルメットを被ってっから、直ぐに理解るはずだ。そんじゃよろしく」




