TOKYO・アヅマ・潜入捜索柔県
敵の本拠地への殴り込み―――
変わり果てた東京の姿を目の当たりにしたとしても―――
君は柔道が楽しいか?
2020年12月18日、金曜日の夕暮れ時。
蒼海大学附属高等学院の柔道部員達は、過酷な修練を終え、冷たい外気の中へと解き放たれていた。
練習後に力尽きて倒れた青桐は、石山の肩を借りながら、ふらふらと博多駅前の歩道を歩いている。
顔面は蒼白、足取りは酔っ払いめいておぼつかない。
だが、そんな彼を見て、いつもの1年生メンバーである石山、伊集院、草凪は、どこか太平楽に冗談を飛ばしながら、青桐を支え、その家路をともにしていた。
「龍夜君、この前の俺と立場が逆だねぇ。とりま、今の感想を聞いても良いかな~?」
「…………殺す」
「言い過ぎじゃねっ!?」
「9割9分9厘、死にかけだな」
「青桐君、大丈夫ばい?」
「……なんか……川が見える……」
「9割9分9厘、あの世が近いな……渡りきる前に連れ戻した方がいいんじゃないか?」
「よっしゃ、親友の俺に任せとけっ!!」
「青桐君、昇天ったらいかんばいっ!!」
草凪が青桐の頬を平手で打ち、石山もそれに加勢してこの世へ引き戻そうとする。
一方その横では、伊集院がスマホを操作しつつ、青桐がボコボコにされる様子を冷静に見守っていた。
数分間、顔面に愛の鉄拳を浴び続けた青桐は、ようやく腫れ上がった頬をさすりながら、わずかに焦点の合った目で3人を見回す。
打擲れすぎたせいか、目尻にはうっすら涙がにじんでいた。
「わ、わりぃ……永眠るとこだった……」
「気にすんなよ龍夜。俺達、永友だろ?」
「礼には及ばんよ」
「あ、青桐君、これを毎日やると……? そのうち本気で臨終になるばい……」
「だ、大丈夫大丈夫……なぁ? 隼人」
「いや俺に振るなよ……つかお前、ここんところ熱を入れすぎじゃね? ……古賀さんの所に連れて行かねぇ方が良かったか……?」
「あぁ? んな事ねぇよ……こんくらいやらねぇと、Rivoluzioneの連中には勝てねぇからな。そんで……不死原はどうだって?」
「警察官が身柄を保護している。9割9分9厘、快復に向かっているそうだ」
「そーか。んでコイツらは……」
「お、青桐発見っ!! 野郎ども、バリュー空売したかぁ"!?」
「ウォ"ォ"ォ"ォ"!!」
青桐達の姿を見つけるやいなや、道着に早着替えして柔道勝負を挑んできた男達。
街中で何度も挑まれてきた青桐は、もはやその回数を数えることすらやめていた。
舌打ちひとつ、青桐は吐き捨てるように言葉を投げた。
「ちっ……しつけぇなぁ。腐った果実みたいな顔面しやがってよぉ……!!」
「龍夜、俺が代わりに柔道ってやろうか?」
「お気遣いど~も、草凪様。 ……悪いが心配いらねぇよ。コイツら程度ならなぁ!!」
練習後に街中で不意の試合を仕掛けられ、明らかに日に日に消耗っている青桐。
目を離せば何をしでかすか理解らない彼を案じる3人は、青桐の意志を尊重しつつも、いざという時には即座に動けるよう、決して目を離すまいと心に決めていた。
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2020年12月19日、土曜の夕暮れ。
部員全員での合同練習を終えた青桐は、草凪と共に古賀道場へ向かい、さらに追加の特訓に打ち込んでいた。
実業団の選手達に交じって乱取りをこなす青桐は、以前に指摘された通り、左右逆の技を実戦の場で一つずつ試していく。
「……っ!! ここか……?」
青桐は、右足で相手の右足内側を刈る小内刈りを繰り出す。
続けざまに、右手で横襟を引き寄せながら体を時計回りに旋回させ、逆方向の一本背負いを狙った。
意表を突かれた相手の体は、青桐の仕掛けた方向へ大きく流れる。
だが、青桐自身も足元が定まらず、同様に体勢を崩してしまう。
投げは不発に終わり、青桐は畳に這いつくばるように倒れ込む。
直後、古賀から厳しい指導が飛んでいった。
「龍夜っ!! 両足が揃っているぞっ!!」
「了解!!」
一段と熱の入った指導を行う古賀に連れられて、周囲の人間も自然と気合が入る。
意気揚々な道場内の別の場所で乱取りを行う草凪は、相手選手としばしの談笑を行っていた。
「いや~今日はなんか熱気が凄いっすね」
「そうだねぇ……多分、青桐君の影響じゃないかな?」
「ですよねぇ~」
「若い子にしては、やたらガツガツしてるからさ。おじさん達も気合が入っちゃうよね」
「でもまぁ……最近はちょっと熱が入り過ぎっすけどね……あれ? 古賀さん、どこ行くんすか?」
「ん? ああ、薬でも飲みに行ったんじゃない? 持病あるからさ」
「そうなんすか……おぉ!?」
「はい隙あり。談笑るのはここまでだね。僕達も全力でやろうか」
青桐の戦いを横目に、乱取り相手と軽口を交わしていた草凪。
親友の勝負が終わるや否や、目の前の実業団選手は、業火めいたものをその身に宿し、全身から燃え盛る闘気を立ち上らせた。
それに呼応するように、閃光めいた雷が草凪の足元をきらめかせる。
いま、真っ向から火花を散らす、全力の激突が始まろうとしていた。
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数時間にわたる激しい乱取りを終え、青桐をはじめとする門下生達は、汗をぬぐいながらクールダウンに励んでいた。
やがて、古賀が静かに場を回り始め、1人ひとりのもとを訪れては、なにかを確認していくのだった。
「……? 古賀さん、何してんだろ」
「さぁ……あ、こっち来るぞ、龍夜」
「2人共、ちょっと時間いいか? 聞きたいことがあるんだが……」
「はい? なんすか?」
「こう……禿頭にサングラスをかけた、見るからに怪しい男を見かけたことはないか?」
「禿頭……」
「龍夜、アイツらじゃねぇか?」
「……Rivoluzioneの連中の?」
「……何か知っているのか? 龍夜と隼人は」
「そうっすね……この前の文化祭のときっす。古賀さんが言ったような奴が、学園内をウロチョロしてたんすよ。後をつけてみたら、そいつ……多分、Rivoluzioneの人間でした。な? 隼人」
「そっすね。大体そんな感じっす」
「そうか……実は最近、その男がこの道場の周辺をうろついていてな。不審に思っていたんだ。噂じゃ、近辺の土地の売買にも関わってるらしくて……この道場も買収されるかもしれないって話が出ていてね」
「え? 買収されるんですか、この道場」
「いや、今のところ問題はない。十中八九、嫌がらせだろうし、誘いが来ても断るつもりだ。ただな……周囲の土地が買い占められて、立ち退きを命じられたら、そう容易くはいかないかもしれない」
「現実っすか……」
「まあ、あくまで最悪のケースだ。それでな、禿頭の男について、他に何か覚えていることはないか?」
「えーっと……たしか、1月1日に東京湾でどうとかこうとか……柔県の名前も出てましたね」
「柔県……確か、Rivoluzioneの縄張だったな。夏の宣戦布告で龍夜が派手に投げられてるのをテレビで見たから、よく覚えてるよ」
「ぐぅっ……!? それ、できれば忘れててほしかったっすね……」
「東京湾か……少し調べてみようか。どうだこの際。2人も搭乗ぶかい?」
「え? 東京に搭乗ぶんすか?」
「龍夜と隼人のチケット代は俺が出す。目撃者の案内があった方が、手がかりをつかみやすいだろう」
「俺は良いっすけど……隼人は?」
「行くに決まってんだろ!? へっへっへ……東京旅行、楽しみだぜ……」
「お前さぁ……」
「よし理解った、決定だな。2人の安全は俺が保証する。その代わりお前達は、禿頭の男を見つける手伝いを頼むぞ」
「「了解」」
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2021年1月1日、金曜日の昼過ぎ。
年明けの穏やかな空気が流れる中、青桐、草凪、古賀の三人は、お台場近くの港でRivoluzioneの関係者と思しき人物を探索っていた。
飛行機で東京に乗り込んだ彼らを出迎えたのは、テロめいた騒ぎで混乱る、想像とはかけ離れた東京であった。
幾つもの閉鎖された道路に進路を遮られ、警察官からの再三の指示を受けながらも、隙を突いて都心部への潜入に成功していた。
無機質なコンテナが無数に積み上げられた湾岸地帯を、3人は手分けしてくまなく探索っていく。
しかし目当ての人物は見当たらず――代わりに姿を現したのは、想定外な迎撃者だった。
「ジュウドウゥ"ゥ"ゥ"ゥ"ッ!!」
「ちっ!! またかよっ!! やぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」
「ギャ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"!! ……あれ? 俺はどうしてここ……」
「はぁっ……はぁっ……どうなってんだよ東京はっ!? 進む先々で柔道を挑まれるって……全員、瘋癲かよ!?」
「龍夜っ!! そっちはどうだ!?」
「空回です古賀さんっ!! それっぽい影も形もないっす!!」
「古賀さんっ!! こっちも龍夜と同じっすっ!! なんか危険ぇ連中に柔道を挑まれるんすけど!?」
「隼人もか……青桐、この状況に心当たりは?」
「……伊集院って同級生が、それっぽいことを言ってたんすよ。東京が危険ぇことになってるって。まさか、ここまで意味理解らねぇ状況とは思ってなかったっすけど……」
彼らが見つけ出したのは、東京の各地で散発的に起きている、不可解で説明不能な現象ばかりだった。
学園祭で盗み聞いた情報は、やはり徒花だったのか。
苛立ちと疑念が、額に深い皺を刻ませており、3人を取り巻く空気感は、いと最悪である。
諦めかけたその瞬間、どこからともなく微かに声が届いた。
その声に反応したのは、青桐1人。
Rivoluzioneの関係者かどうかは不明だが、確かに以前、耳にしたことのある声だった。
青桐の気配に導かれ、3人は足を止めることなく声のする方角へと駆ける。
やがて視界に人影が差し込んだ瞬間、青桐の表情が凍りついた。
そこにいたのは、禿頭の男ではない。
かつて新人戦で、Rivoluzioneの選手達に容赦なく投げ飛ばされた、あの3人だった。
黒城、白桜、赤神。
そしてその傍らには、彼らに同行する者達の姿もあり、現場には異様な緊張感が生まれるのだった―――




