伝説との邂逅
ランクが生む上下関係も、生まれによる時間の差も――
それらが形作ってきた世界のすべてが、今、ひっくり返る!!
歓声と悲鳴が入り混じる試合会場。
わずかな浮遊感ののち、仁王吽錬の背が畳へと叩きつけられた!!
兄とともに倒れ込んだ、弟の仁王阿錬。
地面に伏した顔を跳ね上げ、審判の方へと視線を向ける。
その先にあったのは――
天へと突き上げられた、勝利を告げる右手だった!!
「一本ぉ"ぉ"ぉ"ぉ"ぉ"ん!!」
「……っ!! しゃぁぁぁぁぁ!! どうだクソ兄貴ぃ!!」
「……」
「はぁ……はぁ……!! 完全に出し抜いてやったぜ……おいクソ兄貴ぃ!! 前より貧弱くなったんじゃねぇか!? 転校してから何やって――」
「……」
「……おい、兄貴?」
「……精悍く、なったなぁ」
「お、おう……そりゃな」
「油断してたつもりはないんだがな……昔のお前のイメージ、引きずりすぎてたかもしれん。あの頃は素直でいい子だったのに……今じゃこんなに捻くれて……」
「いや、捻くれてねぇけど!? このっ……もう一回ぶん投げてやろうか!?」
「勘弁してくれ……何度も投げられたら、さすがに俺の面子がもたん」
どこか憑き物が落ちたような面持ちの吽錬。
畳に手をつき、ゆっくりと体を起こすと、そのまま観客席へと視線を向けながら立ち上がる。
それにつられるように、阿錬もまた身を起こし、立ち上がった。
兄と同じ方角――観客席を、静かに見据えている。
「んだよ兄貴、観客席の方なんか見て。なんかあんのか?」
「あれ、廻偵高校の応援席なんだが……応援団の連中に、申し訳なくてな。どう詫びるか、考えてたとこだ」
「お、おう」
「なぁ阿錬」
「あ? なんだよ」
「あいつらな、転入してきたばかりの俺に、気ぃ遣わせないようにって、ずっと気さくに接してくれてた連中なんだよ。世話にもなったしな……だから、恩返しも兼ねて勝ちたかったんだが……」
「お、おいおい……こういうのは恨みっこなしじゃねぇのかよ? 今さらそんなこと言われても……」
「人間、そう簡単に割り切れるもんでもないらしい。 ……なぁ阿錬。お前の言いたいことは理解った。子供扱いしてたことも、悪かった。謝罪」
「あ、あぁ……理解ればいいんだよ理解れば。こっちも……もうちょいちゃんと話しとけばよかったかもしんねぇし、その……あ~……」
「だが、1つだけ」
「あ?」
「これからは対等に接するようにする。だが……それでも無意識に、お前をかばうことはあると思う。それは少しだけ大目に見てくれ。俺はお前の兄だ。心配するのは……たぶん、反射みたいなもんだ」
「お? おぉ……」
「お前を見下すつもりは一切ない。それだけは約束る。俺に勝った相手を、俺が無礼るわけないだろ? ……俺のことをよく知ってるお前なら、理解るはずだ」
「あ、あぁ……あ~……理解ったよ。それでいいよ、この際」
「……なあ、阿錬」
「あ? まだなんかあんのかよ」
「これからはライバルだ。共に精悍くなろう。全国大会――優勝目指して頑張れよ」
「……はっ!! はいはい、言われなくてもやってやんよ!!」
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試合の熱気をゆっくりと冷ましていく宵の口。
興奮冷めやらぬ観客達が、三々五々、会場を後にしていく。
全国大会出場を決めた聖鏡高校の面々も、その流れに紛れるように帰路へとついていた。
その途中、夕日を背にこちらへ向かってくる複数の人影がある。
見覚えのある顔ぶれだった。
先頭を歩く成人女性が足を止め、聖鏡高校の監督――金田一へと声をかける。
「本日は対戦、感謝した。お父様のライバルとの一戦……大変、実りあるものとなりましたわ」
「ん? 白雪監督、どうしたんじゃ? ……まさか、負けた腹いせに闇討ちでもする気かのっ!?」
「……はぁ。やっていいなら全員まとめて駆逐しますけど? 本気で調子が乱調るわね……お父様は、こんな方を相手にしていたのね……」
右手を頬に当て、ひとつ小さくため息をつく白雪監督。
気が変わらないうちにと、要件を済ませるべく、先ほどの試合について切り出した。
「先ほどの試合……私達を出し抜くために、いろいろ仕掛けていらしたけれど……あれは金田一監督の指示なのかしら?」
「ワシの名前を勝手に使って、罠を張っとったアレかの? いいや、ありゃあ全部生徒達の判断じゃ。普段から頭使って戦えと口酸っぱく言っとるからのう。その結果があれなんじゃろうが……まさかワシまで踏み台にされるとは思わんかったわい!! まぁ、白雪武のやつに煮え湯を飲まされてから決めた育て方じゃ。正直、結果が出るか半信半疑じゃったが……おかげで今日は気分が高揚るわい!!」
「……はぁ。お父様にあなたのこと、ちゃんと聞いておけばよかったかしら。帰ったら……八つ当たりついでに、全部白状ってもらいましょうかね……」
聖鏡高校と廻偵高校の監督達が言葉を交わす傍ら、両校の主将同士もまた、短い言葉を交わしていた。
それは激励とも、意地の張り合いとも取れるやり取りだった。
精気の抜けた目のまま、狐塚と向き合う東郷。
決勝で敗れた現実を、まだ呑み込み切れていない。
いつもの威勢は鳴りを潜め、悄気ているその様子に、隣に立つ仁王吽錬でさえ気を回すほどだった。
「……」
「なんや東郷。ウチらに用でもあるんか?」
「狐塚。全国、頑張れよ。以上だ」
「なんでカタコトやねん……おい仁王、これどうなっとるんや?」
「……別れの挨拶ついでに、激励しに来たらしいがな。狐塚の顔見た瞬間、吐き気がしてきたらしい」
「……お前、吐き気ってなぁ……」
「えぇいやかましいわッ!! 負けた直後に、お前の顔なんて見たいわけないだろうがッ!?」
主将達が軽口を叩き合うすぐ傍で、その様子を微笑ましく眺めている白桜と仁王阿錬。
輪に入るべきか迷いながらも、白桜の一言をきっかけに、2人は兄――仁王吽錬のもとへと歩み寄っていく。
主将同士の小競り合いをなだめていた吽錬は、その気配に気づき、わずかに目を見開くと、自然な流れで2人を迎え入れた。
「おっ、白桜に阿錬、どうしたんだ?」
「ん~とね~僕達も混ざろうかなぁ~って思ったんだけどさぁ~……これ、ちょっと入りづらい感じ?」
「まぁ、そんなとこだな。それより白桜、体は大丈夫か? 怪我したとこ、痛んでないか?」
「うん!! もう平気だよ!! 今日は負けちゃったけど……全国じゃ絶対に負けないもんね!! あの観客達、ぎゃふんと言わせないと気が済まないしさ!! へっへ~ん!!」
「……なぁ阿錬。白桜のやつ、ちょっと前より捻くれてないか? こう……狐塚の影響受けてる気がするんだが……」
「あぁ? ……いや、こんなもんじゃねぇの?」
「そうか? うーん……」
(あいつの影響を受けるのは、社会的に色々不味いんだがな……ん?)
かつての旧友達と談笑していた、その最中。
仁王吽錬は、夕闇に紛れたひとつの異質な気配を捉えた。
視線を向けた先――そこにいたのは、明らかに場違いな男。
右手には包丁めいた刃物を握りしめ、荒い呼吸を漏らしながら、じりじりと距離を詰めてきている。
次の瞬間――
男はその刃を振りかざし、白桜と阿錬めがけて、一気に踏み込んできた!!
「っ!! 阿錬、白桜っ!! どけっ!!」
「え? え!?」
「うぉっ……んだよ兄貴……!?」
襲い来る男と白桜、阿錬の間へ、仁王吽錬が庇護者めいて身を投げ出す!!
両手で相手の肩を掴み、押し返そうとする――だが、勢いに乗った突進は止まらない!!
銀の刃が、深く鳩尾へと沈み込んだ!!
袋を破られたかのように、体内から赤い液体が溢れ出す。
ぽたり、ぽたりと音を立てて、地面と滴り落ちていく。
膝が砕けるように折れ、傷害された仁王吽錬の体が崩れ落ちた!!
刃から手を離した男は、震える腕を押さえながら、その場から逃避しようと背を向ける。
だが――その足は、次の一歩を踏み出せなかった。
「……どこへ行くつもりかしら?」
「ひっ!? うわぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!! 助けて禿頭ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」
異変に気づいた白雪監督が、遁走ろうとした男の上着を乱暴に掴み取る。
そのまま体を捻り、左へ鋭く旋回――男の体を背負い上げると、勢いのままアスファルトへと叩きつけた!!
右腕一本で相手を地面に押さえ込みながら、白雪は顔だけを金田一監督へ向ける。
その声音には、猶予のなさがはっきりと滲んでいた!!
「金田一監督!! 救急車を!!」
「理解っとるわい!! おい、立往生ども、どかんかい!! 見世物じゃないんじゃぞ!!」
鳩尾に刃を受けたまま、地面に伏す仁王吽錬。
呼吸は浅く、か細い。
白桜と阿錬が必死に声をかけ続ける。
だが、その呼びかけが届くことはなかった。
この凄惨な事件を前に、聖女、ヴィクトリア・セリーヌは、この世界に神はいないのかと嘆き悼み荒涼感であろう。
――その日。
1人の命が、ここで途絶えた。
その事実は、やがて報道を通じて、北海道全域へと広がっていくことになる。
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2021年7月4日、日曜日の早朝。
激闘を終えた聖鏡高校のレギュラーメンバー5人と、マネージャー2人、監督を含めた計8人は、道場で昨日の反省会を開いていた。
全国大会への切符を手にしてなお、その場に漂う空気は重い。
誰もが言葉を選びあぐね、沈黙だけが時間を引き延ばしていく。
やがて、その沈黙を破ったのは仁王阿錬だった。
昨日、起きた出来事――諧謔は勘弁な結末を、彼は口にする。
「……あの、兄貴のことなんすけど……病院の人から聞いた話じゃ、臨終だって……」
言葉が落ちた瞬間、誰一人として続く声を出せなかった。
視線は阿錬から外れ、道場内のテレビへと向けられる。
画面の中では、複数の人物が慌ただしく動き回り、アナウンサーが繰り返しRivoluzioneの名を報じていた。
その様子を見つめる白桜達の額には、じわりと冷や汗が滲む。
重苦しい空気が、さらに深く沈んでいく。
やがて、監督の金田一が口を開こうとした、その時――
視界が、唐突に白く弾けた!!
光が一面を覆い尽くし、足場の感覚がふっと消える。
次の瞬間、8人の姿は――聖鏡高校の道場から、別の場所へと移されていた。
その場所とは―――
YAWARAMICHI第3章
白桜龍聖編終了
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「はぁ!? 何これ、糞危険ぇんだけど!?」
「俺の出番が来たし~!!」
「この景色、最高だね」
「何やってんだ、あの三馬鹿は!?」
「俺はこの柔道界の頂点に立つ男……名は―――赤神龍馬だっ!!」
YAWARAMICHI第4章
赤神龍馬編始動




