VALUE・ハゲチャビン・深淵に潜む金の亡者
柔道はただの金儲けの道具に過ぎない―――
この世の理から逸脱していた人間が相手だとしても―――
君は柔道が楽しいか?
九条大助と名乗る刑事が、血の気が引くような言葉を告げた。
数か月前に起きた、あの悲劇。
九条の話が事実なら、それは偶然ではなく、誰かに仕組まれたものだったということになる。
情報の波に飲み込まれた青桐の思考は、そこで完全に停止した。
膝が震え、喉は鉛のように重い。
それでも、やっとのことで絞り出した言葉は、震え声の合間に怒を滲ませていた。
「……誰がやったんすか」
「まだ確実に特定できていない。目撃情報もあることにはあるのだが……捜索中故に多くは語れん」
「……」
「来年のインターハイはRivoluzioneのこともあって、嫌でも注目される大会になる。そこで優れた成績を残すため、悪事に手を染める大人達が例年以上に多い。君達も気を付けることだ」
「……理解りました」
「それとだ……Rivoluzioneの工作員らしき人間には気を付けろ。やつらが起こしたであろう事件が日に日に増えている。俺が追っている人間、審判寺四郎とも、深く関わりがあるそうでな。福岡では誘拐が多発している……用心することだ」
九条は、警告とも取れる言葉を青桐達に残し、踵を返すと、その背中は人混みに紛れて消えていった。
残された4人は、まるで時間が止まったかのように沈黙のまま立ち尽くす。
やがて、その静寂を破ったのは青桐の声だった。
その一言に背中を押されるように、彼らの足はようやく前へと動き出した。
「取り合えず……帰ろうぜ、みんな」
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2020年10月23日、金曜日。
蒼海大学付属高等学院では、文化祭の真っ只中だった。
校内は色とりどりの装飾で彩られ、賑やかな声が飛び交う中、青桐は1人、その喧騒の中を亡霊めいてさまよっていた。
柔道研究部の仲間達は、それぞれの役割を楽しんでいる。
伊集院は、柔道工学の研究成果を熱心に発表し、石山は大工の実家で培った腕を活かし、木工作業に励んでいた。
木場は屋台の看板役として軽快な声を響かせ、花染は執事カフェで妙に堂に入った態度を見せている。
そんな仲間達が充実した時間を過ごしているのとは対照的に、青桐の表情には笑顔がない。
祭りの華やかさが、むしろ彼の心を置き去りにしているかのようだった。
「………………」
「よ~う、龍夜ぁ!! なんだ? 買い出しか?」
「……なんだ隼人か。ちげぇよ、散歩くるだよ散歩くる……そういうお前はなんだ、買い出しか?」
「いいやサボりだぜ!!」
「お前……」
「そんなゴミを見るような目を……女子生徒に絡まれすぎて消耗ってんだよ」
「そっすか……」
「お前さ、九条刑事に言われたこと、まだ引きずってんのか? ……鈴音のことも」
「……流石に理解るか」
「バレバレだぞ。他の連中はお前に気を遣って、言わねぇだけだが……いい加減、切り替えたほうが良いんじゃねぇか? 龍夜、鈴音にも言われてなかったか? 気持ちの切り替えが下手だって」
「まあ……もう3か月近くなるし、いい加減切り替えねぇとな……けどさ」
「あん?」
「鈴音がいて当たり前だったからよ……アイツがいない日常に全然慣れねぇんだわ」
「……鈴音、まだ目が覚めないんだよな」
「……ああ、そうだな」
「なあ、龍夜……お前、明日暇か?」
「練習終わりなら」
「いい場所に連れて行ってやるよ。その死顔が、ちょっとはマシになる場所にな」
「……? ……っ!? おい隼人」
「ん、なんだよ。そんなに教えて欲しいのか?」
「ちげぇよ、アレ何だ?」
かつての旧友と談笑しながら歩いていた青桐。
校内を抜け、中庭に差し掛かった時だった。
ふと視線の先に、ベンチに座る1人の男の姿が目に入る。
黒いサングラスをかけ、頭はスキンヘッド。
その強面の風貌は、文化祭を楽しむために来たとは到底思えない。
やがてその男はベンチから立ち上がると、どこかへ向かって早足で姿を消していった。
「龍夜、アイツ知り合い?」
「あんな禿頭、知り合いなわけねぇだろ……九条刑事が言っていたこと、覚えてるか? Rivoluzioneの工作員には気を付けろって」
「……アイツが?」
「理解んねぇし勘違いの可能性もあっけど……後を付けてみねぇか?」
「おっ!! いいねぇ尾行か。興奮いて来たぜ!!」
正体不明の人物を目撃した青桐と草凪は、気づかれないように密かに尾行を開始した。
不審な行動を確認次第、すぐに警備員へ通報するつもりでいる。
人混みに紛れ、姿を集団の中に溶け込ませながら、2人はスキンヘッドの男を追った。
男が向かった先は、校内の駐車場。
青桐と草凪は車両の影に身を潜め、駐車場の隅で誰かに連絡を取る男の会話に耳を澄ませる。
「……ああ、こっちは順調だ。偵察については問題ない」
「偵察ねぇ……龍夜、もうちょっとそっち行ってくれ」
「無理、我慢しろ」
「……1月1日に柔県で……ああ、それまでにやることはやっておかないとな。東京湾で……」
「!! 柔県って言ったよな、隼人?」
「あぁ、俺もそう聞こえたぜ。確かRivoluzioneの領分みてぇなもんだろ? テレビで見たぞ。んじゃ~あの禿頭はやっぱ……」
「Rivoluzioneの工作員の可能性が高いな……!!」
「お、おい!! 何してんだよ龍夜!?」
「んだよ、止めんなよ……!!」
「相手は何やって来るか理解んねぇんだぞ? 警備員に密告って……」
「…………おい、お前らここで何をしている」
スキンヘッドの男へ特攻を仕掛けようとした青桐を羽交い絞めにする草凪。
落ち着くように説得するも、物音に勘付いたスキンヘッドの男が、青桐達の目の前に立ちふさがる。
「……ここで何をしていると聞いているんだ」
「柔道の練習っすね!! 寝技が苦手でレクチャーして貰ってたんですよ!! はっはっは……」
「んだこの禿頭、柔道んのか? あ"?」
「なんでお前そんなに喧嘩腰なんだよっ!?」
「…………………………………」
「あぁ~あぁ~こりゃダメだわ……龍夜、そのまま俺に体を預けとけよ」
「……は? 今から柔道る……」
「うるせぇ黙ってろって!! No.6……飛雷脚っ!!」
欺瞞しが通じないと悟った草凪は、両足に雷を纏い、一瞬にしてその場を蹴った。
雷鳴が轟き、彼の姿は疾風めいて駆け抜けていく。
青桐を羽交い絞めにしたままにもかかわらず、その速度は豹すら凌ぐ。
背後からの怒声が追いすがるように響くも、草凪の足は止まらなかった。
「あ"ぁ"ぁ"ぁ"!! 龍夜、お前さぁ"!! 昔と全然変わってねぇな!?」
「ふっ……」
「誇ってんじゃねぇよ!?」
職員室の前まで駆け込んだ草凪は、肩を激しく上下させながら、嗚咽混じりの荒い息をついていた。
目的地に辿り着いた安堵さからか、そのまま冷たい廊下に力なく崩れ落ちる。
青桐はそんな草凪に目もくれず、職員室へ飛び込み、教師に状況を説明していく。
一通りの対応を終えた彼は、廊下で虫の息を漏らす草凪の元へ戻り、事後報告を伝えるのだった。
「ぜぇー……ヒュー……!! ゴホゴホおえぇっぇぇぇ」
「先生には伝えておいたから一先ず安心だな。直ぐに警察にも伝えるってよ」
「おえぇ"ぇ"ぇ"ぇ"ぇ"!! おえぇ"ぇ"ぇ"ぇ"!!」
「アイツらが九条刑事が言ってた奴らか……こりゃ本気で信じるしかなくなってきたな……」
「ゲホゲホっ!! おげぇぇぇ!!」
「……おい、まだ息が整わねぇのか? 相変わらず体力が……」
「お前を担いで走ったんだぞ!? 無茶言うなよ……あぁ~明日お前を連れて行くの辞めよっかなぁー……」
「その連れて行く場所ってどこなんだよ……随分勿体ぶるなぁ?」
「そりゃそうだろ……古賀和彦さんの道場だからなぁ」
「あん? ……現実で? あのっ古賀さん!?」
「おうよ。いや~見つけ出すのに苦労したぜ。なんて言ったって……」
「あのっ!! 青桐さんですよねっ!?」
青桐と草凪のもとへ駆け寄って来た一人の女性。
彼女は青桐を見つけると、下心丸出しの盗人めいた表情で握手し始めた。
「龍夜、誰この一般人」
「俺が知るかよ……あの、誰っすかアンタ」
「あ、私ですね、青桐さんのバリューを買ったものです!! 青桐さんのバリューなら、今後凄い勢いで上がっていくと思って……思わず買っちゃいましたっ!!」
「はぁ……? バリュー……?」
「お、青桐じゃん!! 本物は瀟洒すじゃん!! 昨日俺、買ったんだぜ!! 頑張って試合に勝ってくれよ!! へっへっへ」
「青桐さん!!」
「青桐君!!」
「青桐……」
青桐と草凪に近づいてきた一人の成人女性。
どうやら青桐のファンのようだが、彼女の口から飛び出したのは聞き慣れない言葉だった。
顔を見合わせる青桐と草凪。
疑問に思っているうちに、次々とファンが集まり始め、気づけば周囲は人の波で埋め尽くされていた。
異常った熱気に包まれる校内の一角。
2人は次第に押し寄せる群衆にもみくちゃにされ、身動きが取れなくなっていく。
その時、群衆を強引に掻き分け、2人の人影が姿を現す。
彼らは迷うことなく青桐と草凪の腕を掴み、そのまま引きずるようにして人波の外へと連れ出していった。
お目当ての人間を横取りされ、腹を立てる群衆。
そんな彼らをその2人は、不愉快そうに睥睨ている。
「お、おい誰だお前っ!! ……あ」
「お~う、随分後輩に横槍いれてんじゃねぇか。あ"ぁ"?」
「風の知らせを受けて来てみれば……要件なら俺達が聞こう」
青桐の先輩である花染と木場。
彼らの態度は、ファンを迎え入れるにしてはあまりにも険しく、獲物を睥睨る猛獣めいた殺気を放っていた。
その圧迫感に気圧された群衆は、熱狂りから一気に冷め、足早にその場を離れていった。
「ふー……おう2人共っ!! 危険かったな、怪我はねぇか!?」
「ないっすね。けど……アレなんだったんすか?」
「俺達も理解らん。やたら青桐のことを聞いて来る人間がいたのでな。風に導かれるままここに来たら、お前達が絡まれていたってわけだ」
「そうなんすか」
「9割9分9厘、俺達も同じだ」
「石山に伊集院……?」
「だ、大丈夫? みんな無事やった?」
「先輩方の疑問は、これで9割9分9厘解決できます。このスマホの動画を見て下さい」
伊集院がポケットから取り出した愛用のスマホ。
そこには動画投稿サイトで流れる広告動画が、再生されているのであった。
『アナタに富をっ!! 財前ネットワークは、バリューを発行しておりますっ!! 手数料は無料、是非とも口座の開設を!!』
「バリュー? ……伊集院、それって何だ?」
「ざっくり言えば、株みたいなものだな。株が企業の価値を示す指標なら、バリューは個人の価値を数値化したものと考えればいい」
「人の価値?」
「そうだ。ある人物に価値があると判断されれば、購入者が増えて値段が上がる。逆もまたしかり。財前は城南の理事長だ。これも一種の妨害工作とみていいだろう。9割9分9厘、間違いなく」
「現実かよ……」
「青桐、お前は特に気を付けた方がいい。ざっと調べてみたところ、お前のバリューが一番高値がついている。どうやら高校生ランクと連動しているようだな……これからは迂闊に負けられんぞ。ランクが落ちれば、バリューの価格も下がり、購入者の不満が一気に押し寄せる」
「おいおい、とばっちりもいいとこだろ!? どうする? 警察に相談するか?」
「9割9分9厘無駄だな。賞金首ならまだしも、今回のバリューは単に値をつけただけに過ぎない。警察に事情聴取されても、価格を設定しただけで、危害を加える意図はなかったと言い訳されるのがオチだろ」
「ちっ!! 面倒くなってきやがったな……」
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