MEMORY・シャンス・色褪せた記憶
かつての記憶が蘇り―――
現実から逃れたくなったとしても―――
君は柔道が楽しいか?
2020年10月17日、土曜日夕方。
自衛隊も音を上げるほどの苛烈な特訓を終えた青桐は、博多駅で解散後、本日開催される柔祭りに参加するため電車で移動していた。
大濠公園に設営された野外道場で行われるこの祭りは、日没後も活気に溢れ、会場周辺には出店が並ぶ。
柔祭りでは5人抜きを行う特別な試合が開催されており、それに挑む青桐は、開始までの時間を少し離れた公園の片隅で過ごしていた。
そこは雨風に晒された畳が置かれた荒れ果てた場所。
かつて青桐が夏川鈴音、そしてもう1人の幼馴染と汗を流した思い出の地である。
しかし、今では1人は病院のベッドで眠り続け、もう1人は別の中学に進学して音信不通となっていた。
懐かしげに古びた施設を見つめる青桐。
彼の心には、かつての日々の記憶が鮮明に蘇っていた。
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『やぁぁぁ!!』
『ぐぇっ!! ……龍夜、この御転婆の相手を頼む。へへっ……俺、もう無理っぽいわ……』
『お、おい、隼人っ!? 困憊んの早すぎだろっ!? 言い出しっぺお前のくせにっ!!』
『龍夜……その軟弱放っておいて、さっさと練習の続きやるわよ』
『ちょ、ちょっと待て!! 俺さっきやったばっか……』
『問答無用、さあ、こぉぉぉぉい!!』
『く……お"あ"ぁ"ぁ"ぁ"!?』
『やぁぁぁ!! ふー……ワタシの勝ちねっ!!』
『ず、ずりぃ……俺、全然休めてないのに……』
『もう、泣き言を言わないの!! ほら、手ぇ貸してあげるから!!』
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(……よく3人で練習試合やってたなぁ……隼人の野郎は速攻で困憊るし……あの頃は鈴音にもボコボコにされてたっけか)
「…………………」
「お~う青桐っ!! ここにいたか、そろそろ時間だぞっ!!」
「!! 木場先輩、乙です。理解りました、すぐ行きます」
浪華節な青桐の背後から、足音と共に現れたのは、彼の一つ上の先輩、木場燈牙だった。
猩々緋色のトゲトゲしい髪型と顎髭、そして屈強な体格を持つ彼。
額に鉢巻を巻き、汗ばんだ表情からは、暴利店の手伝いをしていたことが窺える。
「セコンドの花染も待ってんぞ、気合い入れてけよ」
「了解。木場先輩は来るんすか?」
「あー……俺はアレだアレ。糞親父の出店の世話しねぇといけねぇんだよ。今がかき入れ時だからよぉ……見に行けっかどうか理解んねぇわ」
「そうなんすか。んじゃ行って来ます」
「お~うっ!! 頑張れよ~!!」
一礼しその場を立ち去っていく青桐。
その後ろ姿を見守ると、木場も自分の持ち場へと戻って行ったのだった。
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濁流めいた人の波を搔き分け、父親が切り盛りする暴利店へと辿り着いた木場。
注文の声が途切れることなく飛び交う中、鉄板で麺を焼き上げる父親の横顔が忙しさを物語っている。
ソースが焦げる香ばしい音を耳にしながら、木場は挨拶を兼ねて声を掛けた。
「親父~帰って来……」
「てめぇ何処をほっつき歩いてやがった!? あ"ぁ"ん"!?」
「いやいやいや……青桐んとこ行くって言ったろっ!? 忘却てんのか!?」
「……あぁ~? あー……そう言えばそうだったな」
「おいおい……」
「ちっ!! こんな忙しいと、1分前のことも忘れちまうよっ!! オラっ!! ちったぁ~手伝えっ!!」
「へいへ~い」
出来上がった焼きそばを客に手渡しながら、木場は軽い調子で父の手伝いを始めた。
注文をこなしつつも、足元に置かれたラジオから流れる実況中継にも耳を傾ける。
ラジオでは柔祭りに挑む選手達のインタビューが熱く語られていた。
『さあ、皆様! 本日5人抜きに挑む選手達をご紹介します! 注目の顔ぶれが揃う中、なんと蒼海高校から青桐選手が出場です! 早速インタビューをお届けしましょう。青桐選手、現在の心境をお聞かせください!!』
『了解。えぇー相手選手への敬意を胸に、一戦一戦を全力で挑み、勝利を積み重ねたいと思っています』
「か~……未熟いのに礼儀正しいねぇ~……見習って欲しいなぁ~どっかの誰かさんもなぁ!?」
「親父……酒でも飲酒いてんのか……?」
「はっ!! 馬鹿にしては冴えてんねぇ……!!」
「おいおいおい!? 仕事中に何やってんだよっ!!」
『今回の青桐選手の相手はー……外国人選手が勢ぞろいしていますね。何か不安ることはありますでしょうか?』
『いえ、特にないっすね。誰が相手でも一本負けってもらうだけっす』
「……なんか口悪くね?」
「そうなんだよなぁ……青桐の野郎、いっつも注意してんだけどなぁ……夏川が事故ってから、更に口が悪くなっちまったよ。前までは夏川の存在が抑止力みたいだったんだけどな。アイツがいねぇからな……」
「俺達の母ちゃんが倒れた時とは、わけが違げぇってか? ……お前ちゃんと支えてやれよ? 先輩だろ」
「理解ってるよ。チームの切り札はアイツだが……おんぶにだっこになるほど、俺は不甲斐い男じゃねぇよ」
「そうかよ。んじゃちょいと青桐君とこ行ってきな」
「あぁ? 店の手伝い良いのかよ。つ~か向こうには花染もいんだぞ?」
「1人よりも2人いた方が心強いだろ? それに……ほれ、差し入れ持っていけっ!! 青桐君と花染君の分だ。オメェのはねぇからな」
「いらねぇ~よ。食ったら食中毒になるわ……あっぶねぇ!? ヘラ投げんじゃねぇよ糞親父がっ!!」
父親から、ビニールに入ったパック詰めの焼きそばを受け取る木場。
軽口が思わぬ火種になりかけた彼は、暴利店を追い出されるような形で、青桐達のいる中央ステージへと向かっていくのだった。
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中央ステージへ近づくにつれて、観客の熱気が肌を刺すように高まり、青桐と花染が待機する試合場外に到着した頃には、伝説のロックスターであるエリック・サバスのライブ会場めいた歓声がこだましていた。
白い柔道着に身を包み、打ち込み練習を重ねる青桐と花染。
その様子に先に気付いた花染は、駆け寄ってきた仲間に軽く目礼し、言葉を静かにかけた。
「……その風姿、雑用係か?」
「正解。俺の親父からだ、試合終わったら食えってよ。青桐の分は多めに入れといたらしいぜ」
「現実っすか。感謝」
「んで……対戦相手はどいつだ? ……あぁ? あの4人って……」
これから始まる戦いの相手を見据える木場。
試合会場を挟んだ向こう側には、外国人選手達の姿があった。
つい昨日、道場に殴り込みに来た大原の連れの4人である。
2人組になって打ち込みを行い、周囲には英語が飛び交い、その発する声がどこか威圧感を伴っているように感じられた。
「木場もあの風貌に気付いたか。大原が連れて来た4人の外国人選手だな」
「あ? んじゃ5人目は大原だったりすんのか? つ~か5人目どこだよ」
「大原は今回来ていないそうだ。電話したんだが……アイツは家だった。それに、祭りに参加することも把握してなかったらしい」
「アイツら当日参加かよ、大原の奴も大変そうだなぁ……青桐、頑張れよっ!!」
「了解、んじゃ行って来ます」
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中央ステージでは試合開始の合図が鳴り響こうとしている。
その裏で、公園の薄暗い個室トイレの中、一人の男が静かに動いていた。
彼の右手には注射器。
薬品を満たしたそれを、躊躇なく左腕に突き刺し、冷たい視線を宙に向ける。
青桐の5人目の対戦相手。
昨日の昇格戦で青桐と共に戦い、屈辱を味わった不死原は、その悔しさを胸に秘め、報復の意を込めてこの柔祭りに参戦していた。
「高揚ってきたな……さぁ……柔道るか……!!」
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