4千字で大人になる女子高生
その1 なんと学生がファミレスですって!?
その1 ファミレスって、あのファミレス!?
「夏憐ちゃん、ファミレスいこっ」
その時私は震えた。大袈裟ではなくマジで戦慄した。まるでお手洗いに行くかのようなノリだ。高校で初めてできたこの友達の金銭感覚はどうやらバグっているらしかった。
「え?! ファ、ファミレス!? あ、あのごめんなさい、私、今日お金あんまり・・・」
「お金? いいよ、いいよ、そのくらい。今日は私が奢るからさ。どこ行く?」
午前中の入学式で話しかけてくれた事には深い感謝を覚えた。しかしとてもじゃないが友達作りに長けているとは言えない私の容姿から察してくれたのだろう。「こいつはカモだ」と。十一だが十五だが分からないが、まるで金貸しで商売をするらしかった。パパに会いに来るスーツの人と同じ匂いがするもん、ほら財布が黒光りしてるよ!!!ぎょえ!
「ど、どうしたの? 急に叫び声なんか上げて」
「えっと、美月さんはお金をたくさん持っているのですね」
夏憐は怯えながらも美月の顔色を伺ってみる。美月も急に叫び声を上げた夏憐に興味が尽きなず話を続ける。
「そんなことないよー! こんなんじゃ欲しい物も買えないし、うち弟いるからさー、あんまり贅沢できないんだ」
「じゃあ、どうして・・・」
「夏憐ちゃんは、どこのファミレスが好き? そこ行こうよ!」
夏憐の問いも待たず質問を投げる。美月にとっては初めてできた友人だ。この子といれば面白いことになりそう。そんな予感が頭から離れない。
「あの、お恥ずかしいことなのですけれど、実は私生まれてこの方ファミレスに行ったことがなくて」
「うっそ! それ本当!?」
夏憐の顔を見るに嘘ではないらしい。申し訳なさそうに顔をしかめていたからだ。綺麗な黒髪に柔らかそうな肌。絶対に友達になっておくべきだ。
「夏憐ちゃんのお家けっこう厳しかったとか?」
上品な物腰の夏憐のことだ。大層な教育を受けてきたに違いない。
「いつも家には黒服の人が出入りしているんです。いつもお父様と部屋に入っていって。それでお父様は私に言うんです。一緒に食事に行けなくてすまないな、と。でも私はいいんです。家でする食事の方が好きですから」
「夏憐ちゃーーーん」
そう言いながら美月は夏憐の胸に遠慮なく飛び込んだ。慎ましくも確かにあるそれにぶつかり内心笑顔になる。ワンワン泣く演技をしながら母親のような気持ちで夏憐を慰める。
「私と友達になろっ! 一緒に色んなとこ行こ!? ねっ!?」
夏憐はこの時、困惑していた。自分の胸で遠慮なく泣くこの少女を。私の家の事情を察してくれて出来得る限りのことをしようとしてくれている。
私は一種の感謝を覚えた。会って間もないこの女の子は私の人生を変えてくれるのではないか。淡い期待に胸を膨らませることに我慢はできなかった。
「美月さん、もしご迷惑でなければ、私も美月さんのご友人になりたいです。返せる物は少ないかもしれませんが、できる限りの事をします。ですから、どうか、どうか」
演技とはいえ思わず零れた涙を制服に袖で拭う。か細い声で友人になろうと懇願する夏憐をこのまま放っておくことはできない。家族の温かみを、楽しい友人関係を私が教えてあげなくては。静かに美月は心に決めた。
「よし。じゃあ今日は私がおススメのファミレスに連れて行ってあげます!!! 夏憐ちゃん、私についてきて!」
ビシッと指を指し、美月は夏憐の背中を押した。夏憐も「よろしくお願いします」と丁寧にお辞儀を返す。夕暮れに染まる教室の中、最後まで残っていた生徒はようやくいなくなり、無人の教室へと変り果てる。斜陽が入り込む窓は儚くも教室を照らす。そこにポツリと本来ではあるはずのない人影がにゅいと飛び出した。けれどそれはまた別のお話。
夏憐が自転車ではないと言い、驚いた美月だったが歩いて行ける距離のお店にしようと学校近くのファミレスを選んだ。早くて美味しい。そして友達と行けばなお楽しい。夏憐にはうってつけだと美月は心の底で微笑んだ。
「ほら、ここだよ! イタリアンファミレスって感じかな!」
ここが、あの! しかもイタリアンとは! 私、入る高校間違えたかな? でも兄さんも一年間通ったわけだし。いや、ダメだ。やっぱりちゃんとお金を渡さなきゃ。
「あの、美月さん、私お父様に電話してお金を持ってきて・・・」
「大丈夫だって! コース料理が出るわけじゃないんだし、単品で」
「え、単品で食べられるですか!? コースじゃないイタリアンなんて、一体どんなお料理が頂けるんでしょうか・・・」
わっと驚いた顔で夏憐ちゃんが近づく。髪が揺れ動いてフワリと優しい香りがした。とても高校1年生とは思えない色っぽい彼女に思わず見惚れてしまう。頭に響くのは少し低い夏憐の声、優しくも気品高い声音に耳まで幸せを覚える。
「うん、単品で頼むから得に高いってわけじゃないんだ。だからお金は心配しなくてもいいよ」
「美月さん、この恩は必ず返します。必ず、必ず」
私が気を遣わなくていいように、値段を気にしなくてもいいように配慮をしてくれた美月の思慮深さに最大限の敬意を払う。金銭の余裕があるのに決しておごらず同じ目線で。いつか私はお金を持ったときにも同じ態度ができるだろうか。この友人には見習う点が多い。一緒に居ればパパから言われた教養ある人物へと近づくヒントを得られるかもしれない。
「いらっしゃいませ。何名さまでしょうか」
席に案内された夏憐が不思議そうに周りを見渡す。
「夏憐ちゃん、どう? 初めてのファミレスは?」
「ええ、イタリアンと聞いていましたが、これは何とも不思議な空間ですね。この仕切りはなんですか?」
「ああ、それは向こう側にもテーブルがあるんだよ。隣が丸見えだったら、食べるのに集中できないでしょ?」
「ああ、なるほど。レストラン側の配慮が見えますね。素晴らしいと思います」
夏憐は心底納得したような顔で頷く。まるで自分の子供みたいに見えて美月もさらに昂る。
「これ、メニューね。どれにする?」
向かい合った二人の間に美月がメニューを広げる。パラパラとめくり大方の商品を把握していく。時折、夏憐も「あっ」と声を上げ、興味がある料理を見定めているようだった。
「私はこのドリアにしようかな。やっぱりこれが一番おいしいからね。夏憐ちゃんはどれか気に入ったのあった?」
「ええ、どれも美味しそうで悩むのですが、このポテトフライとはなんでしょうか。あと、エスカルゴやムール貝なども興味深いですね」
「おっけー、じゃあ決まりね」
夏憐が料理を言うと同時に美月はコールボタンを押す。慣れた手つきでウエイトレスに料理を告げる美月を見て、やはり只者ではないと再び夏憐は悟るのであった。しかしなぜか美月は夏憐が呟いた3つの料理全てを頼んでいるではないか。
「美月さん!全部頼まなくていいです! 一つ、一つで、このポテトフライだけで大丈夫です!」
「ん、そう? じゃあ他のやつは今度にしよっか。すみません、やっぱりポテトフライとドリアだけで大丈夫です」
ウエイトレスはにこやかに女子高生二人を見守る。夏憐のあたふたした様子からかつての自分に重ねているようだった。
暫くして運ばれてきた料理を夏憐は目にした。そしてこの僅かな時間で用意されたとは思わない出来栄えに驚きを隠せなかった。
「驚きました。こんなに早く提供されるなんて。一体、厨房はどうなっていることやら。いやはや、御見それしました」
「夏憐ちゃん、ここは日本で一番イタリアンを安く提供するお店だよ? そんなに人はいないと思うよ?」
「なるほど、誰もが厨房に立てるわけではないということですね。いや、失礼なことを聞いてしまいました。失言です」
夏憐の首をうなだれる様子が面白くて美月はさらりと受け流す。一介のお嬢様の御戯れみたくまるで自分が優秀なメイドの気分だ。
しかし、夏憐がいかに気品高き女性であるかを知るのはこれからであった。フォークを上手にポテトに挿し込み、ゆっくりと口に運ぶ。小さな口に器用に棒状の物を入れ込む姿に背徳感を否めない。しかしそんな自分の下心を他所に小奇麗に食事を勧める姿はまさに、林篠夏憐の前評判通りの美しさであった。
自分が食べた温玉付きドリアの味など全く感じないほど、夏憐の食事姿は凛々しく見惚れてしまうものであった。
「美月さん、本日は誠にごちそうさまでした。このお返しは必ず」
夏憐がお手洗いに行っている間に、会計を済ませた美月は素手にドアに手をかけていた。レジを扱っていたウエイターに、これまた丁寧なお辞儀をする夏憐にこれは慣れるしかないな、と心の中でつぶやいた。
学校帰りに友人と食事を取る。まるで小説の中の女の子になったような幸福感に包まれていた。同じく空はオレンジに暮れ、春の陽気は沈む直前まで彼女たちの友情に一筋の光を照らし続けた。そしていつまでも彼女の未来に幸あれ。
「ちょっと! 夏憐ちゃんお会計はもう済んだって!」
けれど、どこから持ってきたのか、店員にユーロ札を手渡す夏憐ちゃんを止めるのは一苦労だった。
【後日談】
「お父様! お兄様! わたくし、友人とファミレスに行ってまいました!」
「こら! 夏憐ちゃん! パパでしょ!」「お兄ちゃんでしょ!」
ここは林篠家の一角、家族が集まる大広間だ。今日は母親が遅くなるとのことで部屋には夏憐を含めて4人の人物が集まった。
「それで、夏憐ちゃん、パパが言った通りだったろ? ファミレスというのは高級料理店だったろ?」
父は重く、深い声で娘へと声を投げる。
「ええ、まさかイタリアンが単品で提供されるとは、そして提供するまでのスピードを考えれば十分な品質だったと思いますわ。値段はどの通貨か分からなったのですが、イタリアのお店だったようですし、ユーロでよろしかったですよね?」
一同は笑いに包まれ、夏憐もまた自身の成長を微笑みながら喜んだ。