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 自分が遭遇したことが全て繋がっているとも知らず、サトミは気ままに出かけて、残りの滞在期間を複雑な心境で過ごしていた。

 昼間は春の陽気が暖かく、心の中までほんわかと温まって、ウキウキとさせてくれるものがありながら、不意にぐっと締め付けられて寂しいものへと変わっていく。

 それを繰り返しながら、ある街の中心部の繁華街の流れ行く人々に混ざって歩いていた。

 ここ数日は、過去に何度も訪れた事のある、お寺や博物館、庭園などを散策し、いつでも思い出せるようにしっかりと目に焼き付けていた。

 馴染みのある場所。

 いつでも来られると思っていた場所。

 それが遠く、遠のいていく。

 最後だからと思うと、何気ないものまでが愛おしく大切なものに見えてくる。

 悲観的になるよりも、潔く「さらばじゃ!」と去っていく方が自分に合っているように思えた。

 街の中で見かけるカラスや鳩などに、思わず「達者でな」とサトミは声を掛けていた。

 帰国してすぐ、唯香の虐めに遭遇し、それから不思議な偶然が立て続けに起こり、少しは誰かの役に立ったことで、自分へのいいはなむけかもしれない。

 最後に相応しい思い出になったと、このハプニングを好意的に受け入れていた。

 気持ちはすでに日本を去る準備に入っていた。

 滞在日数も残り少なくなっている。

 日本での滞在を大切にしながら、一日一日を噛みしめて過ごしていた。

 気まぐれに当てもなくでかけても、駅に着けばすぐに電車が来たり、難なく座席に座れたり、乗換先でうまい具合に次の電車が来て、スムーズに目的地へたどり着けたり、目に付いたガチャガチャをすれば、一度で好きなものが獲れたり、買い物先でイベントのくじを引けば500円のギフト券が当たったり、何かと小さな幸運が続いているように思えた。

 些細な事だから、ただの偶然かもしれないが、週末の日曜日、出かけ先で大きな古本屋のチェーン店を見つけて何気に入れば、サトミは確かに何かに導かれているように思えた。

 掘り出し物がないか、108円コーナーの本棚目当てに、真っ直ぐそこを目指せば、ポツポツ立っている人に紛れて、美代がいたからだった。

 一度会っただけだが、記憶も鮮明に、見たことあるとぴぴっときた瞬間、すぐに誰だか判別できた。

 サトミに見られているとも知らず、美代は無防備に上の棚にある本を見て、背伸びをして手に取ろうとしていた。

 擦れた感じのきつさとませた部分が特徴的で、本を見つめる目つきにもそれがよく現れていた。

 まだ子供らしさが十分残るあどけなさがあるのに、悪ぶろうとしている部分が、アンバランスで素直じゃないものを感じる。

 美代はフリルが付いた短い水色のスカート、ロゴが入ったピンクのパーカを着て、ハイカットのスニーカーを履いていた。

 肩にかけたショルダーバッグには、可愛いマスコットがじゃらじゃらついていた。

 彼女の事を何も知らなければ、普通にかわいい中学生の女の子に見えた事だろう。

 本を探しているくらいだから、賢そうにも思ったかもしれない。

 しかし、唯香とトラブルを起こしていると知った後では、思春期の難しい時期にいる不安定さがあり、放っておけないものがあった。

 サトミは気が付かないフリをしてやり過ごそうかと迷ったが、美代の真剣に本を探している様子が興味深かった。

 この年頃なら漫画の方が好きだろうに、わざわざ小説を見ているところに好感を抱いてしまう。

 一体どんな本を読むのだろうか。

 サトミも108円コーナーが目当てなので、ここを見ずには帰れなかった。

 そして、偶然にもこんなところで出会ってしまったからには、きっと声を掛けろと言うお告げなのかもしれない。

 サトミは自分も本を探すふりをして、さりげなく徐々に美代に近づいた。

「何か面白そうな本見つかった?」

 後ろから声を掛ければ、美代は振り返り、サトミに気が付き、目を見開いて驚いたが、何も言わず「ふん」と態度だけは生意気に無視をした。

 想定内の態度だったので、邪険にされてもサトミには微笑ましく映った。

 美代は逃げずにその場に留まって本を見ているので、サトミは隣に立って美代が見ていた辺りに視線を向けた。

「何か探してる本あるの?」

「別に」

「あっ、口をきいてくれた」

「ふんっ、何よ」

「別にいいじゃない。おばちゃん、美代ちゃんのこと気になってたの。その後、唯香ちゃんたちとはどうなった?」

「唯香なんかどうでもいい」

 苛立っているところを見ると、唯香に何か言われて対立しているのだろう。

 自分でも処理できない気持ちを抱えているのが良く見えた。

 その気持ちは痛いほどサトミには理解できる。

 美代のどこかに、かつて自分が犯した失敗を見ていた。

 サトミは唯香の事には触れないように話題を変えた。

「あっ、これ欲しかった本。108円だ。嬉しい」

 美代はサトミが手にした本にちらりと視線をむけた。

 サトミはそれを見えやすく美代に見せた。

 美代は分かりやすいように、顔を横に向けてムッとしていた。

「これ、読んだ事ある?」

「ない」

「すごくいい本だよ。大好きなんだ」

「読んだ事あるのになんで買うんだよ」

「一回図書館で借りたんだけど、文章がとてもよくて、話もぐっときて、すごく気に入ったの。英語にも翻訳されて世界でも読まれてるんだよ。それが108円で買えるなんて嬉しい」

「ふん」

「美代ちゃんも、ここにいるんだったら本を探しにきたんでしょ」

「当たり前でしょ。それとも万引きでもしにきたとでも?」

「ええー、それなら普通の本屋さんじゃないと。そんでもって古本屋に売るでしょうに。それとも売ったあと?」

「ちょっと人聞きの悪い事言わないでくれる。誤解されたらどうすんのよ」

「ごめん。だけど、はなっから、そんな事しないって思ってたもん。美代ちゃんが読書家って意外」

「ほんとにはっきり言ってくれるよね。外見で決めないでよ」

「ごめんごめん。でもね、昔、学校の先生が言ってた。学生のうちにしか本はたくさん読めないから、今のうちに一杯読めって。でも、おばちゃん、年取ってからの方が一杯本読んでるわ。これでも読書家よ」

「知らねーよ」

「で、美代ちゃんはどんな本を読むの。なんか面白い本あったら教えてよ」

 美代は適当に指を差してみた。

「それ、もう読んだ。まあまあだね。適当に指を差すんじゃなくて、美代ちゃんのお薦め教えてよ」

 美代はかったるいながらも、最近読んだ本の題名をぶっきらぼうに言ってみた。

「ああ、それか、話題になって映画にもなったもんね。やっぱり、学生はそういうのが好みやすいんだね。おばちゃんもそれ読んだけどね」

「それじゃ、聞くなよ」

「いいじゃない、人が何読んでるのか訊くの好きなんだから」

「それじゃ、おばさんのお薦めは何だよ」

「そうね、美代ちゃんにはまだ難しいかもよ」

「読もうと思えばどんな本も読める」

 美代はムキになった。

「あら、ほんと、それじゃ、聖書」

「えっ、おばさんキリスト教?」

「ううん、無宗教」

「からかわないでよ」

「でも、世界ロングベストセラーではあるからね。いつかは読んでみたいけど、意味わかんないだろうな。高校のときの友達が、かなりのキリストの大ファンでね。お寺や神社には行けないって子がいた」

「キリストの大ファンってなんだよ、それ」

「なんかもう崇拝しちゃってさ、本当にすごかったのよ」

「崇拝って宗教だから、合ってるんじゃねぇ?」

「でも宗教って拘り過ぎるとがんじがらめになって、しんどくないのかなって思う。一杯あり過ぎるから、宗派の違いで衝突したりして、ほんと大変だよね。おばちゃんね、昔、アメリカの小中学校で日本語教師した事あったんだけど、宗教が入り交じってる子供たちだから、宗教の話は絶対だめ。特にクリスマスシーズンは気をつけろって上から言われてたのよ。メリークリスマスは言っちゃだめで、ハッピーホリデーズなのよ。咄嗟に出てこないから、クリスマス時期に、先走ってハッピーニューイヤーっていっちゃったわよ」

「日本語教師?」

「そうよ、ちょっと意外でしょ。それでね、子供たちには触れちゃだめだし、宗教関連の事はタブーだし、あれしちゃだめ、これしちゃだめって禁じごとが色々あってね、大変。そこに銃乱射が入って来ちゃうから、神経使う使う」

 話がどんどん変な方向に行って美代はぽかんとして聞いていた。

 美代のバリアーが弱まって、話しやすくなって警戒心が薄れてきているようだ。

 サトミは棚から本を取り出しながら話し続けた。

「アメリカの学校って何かと恐怖がつきまとうの」

「おばさん、銃乱射を経験したの?」

「経験はしなかったけど、もし授業中に何かあったらとか考えてた」

「どんな風に?」

「ここで不審者が現れて、銃を向けてきたら、自分はどうすればいいんだろうとか、考えるだけで怖かった。結局何も起こらなかったけど、他所では頻繁に起こってるからねぇ」

 自分の知らない世界を体験しているサトミに、美代は知らずと興味を抱いていた。

「おばさん、なんでアメリカで日本語教師してたの?」

「ただの偶然っていったら驚く? 要するにたまたま応募したら、採用された。普通のアルバイトみたいなもの。日本だと、英語話せるだけで英会話の講師になる外国人一杯いるでしょ。あんな感じ」

「そんな簡単になれるものなの?」

「興味出た? 立ち話もなんだし、よかったらファミレスでもいかない? この近くにあったし」

「えっ」

「おばちゃんが驕るから、心配しないの。行こう」

 美代は戸惑いながらも、行きたいと思ってしまった。

 それを素直に表現できないで、黙ったままだった。

「そうだ、その前に、アレ貸して?」

「アレ?」

「うん、ここのポイントカード。貯めてるんでしょ。おばちゃんもってないし、どうせなら、美代ちゃんのカードにつけて貰ったら得じゃない。ほら、早く貸して。今、レジ空いてるから」

 美代は圧倒されるまま、鞄からカードを取り出し、それをサトミに渡した。

 サトミはそれを持ってレジで本の代金を払っていた。


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