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期末テストも終わり、春休みを待つだけの三学期の終わりは、学生たちにとって心ウキウキと浮かれても仕方のない時期だった。
しかし、三田唯香だけは違った。
中学一年もあと少しで終わり。
それさえ乗り越えれば、なんとかやり過ごせるとひたすら踏ん張って無理をしていた。
二年になればクラス替えもあるし、今いる友達と離れられる可能性だってある。
クラスでは木之内美代をリーダーとした四人グループの中に唯香は所属し、それがとても嫌だった。
この中では自分が一番立場が弱く、なんでもいう事をきいて当たり前のようにあしらわれている。
リーダーの美代は性格もきつく、負けず嫌いで人を支配するようなタイプなため、誰も逆らえない。
それに合わせようと、橋本ナズナと乙幡綾はいつも調子よく振る舞う。
この二人は美代の扱い方にとても慣れていた。
不器用な唯香だけ、そのノリに合わせられず、静かに波風立てずにそこにいた。
自分の本音を隠し、それでいてあまりこの三人と同調することもない。
はっきり言って、こんな居心地の悪いグループから抜け出したかったが、他に仲良くしてくれる友達もクラスの中で探せなかった。
何人かは無難に話す女の子たちもいたが、その子たちも自分のグループをすでに作っているから、唯香はそこへ自ら飛び込む勇気もなかった。
一人になるのが怖く、まだグループに所属させてもらえるだけでも有難い、そんな気持ちで三人と付き合っていたが、気の強い美代の言葉や、それに同調してきつい言葉を使うナズナと綾には、いつも傷ついていた。
唯香はグループの中ではストレス解消のサンドバッグ的ポジションであり、また唯香もそれに逆らえず、ヘラヘラと顔で笑って、ぐっと体に力を入れて我慢していた。
それもあと少しの辛抱。
二年になれば、きっと変化があるに違いない。
だけどもしまたこの三人と、または美代と同じクラスになってしまったらどうしよう。
唯香はそれがとても心配で、残りの中学一年を過ごしていた。
そんな矢先、問題が生じて、この三人とトラブってしまった。
ある日の放課後、美代が先頭に立ちナズナと綾を背後に連れて、唯香の前に現れた。
「ちょっと話がある。付き合って」
ぶっきらぼうに美代に言われ、不安な面持ちで唯香は三人の後をついて行った。
昇降口で靴を履きかえ、外に出る。
夕方の準備をした日差しが弱い外は肌寒く、前を歩く三人も冷たい塊に思えて、唯香は嫌な予感を抱いていた。
相手が話してくるまで、唯香は黙って言われるままについていく。
というよりも、唯香には自ら口を開く勇気がない。
ただびくびくし、これから何が起こるのか固唾を飲んでいた。
下校する生徒が校門に向かう流れに逆らい、すこし外れた学校の隅の人気のない場所に来た時、不意に美代が立ち止まり、一斉に三人が唯香に振り返った。
また何か言われる。
覚悟して三人を見つめた。
その三人が友達とは呼べない何かを感じて、唯香は追い詰められる危機感に怯えた。
「あんたさ、ナズナになんか言うことないの?」
美代が見下すように言葉を吐いた。
「えっ?」
唯香は何の事が分からず、ナズナの方を見れば、ナズナは美代に合わすように憤慨した顔を向けた。
唯香には思い当たることが全くなく、唯一まだ三人の中でましな存在の綾に助けを求めるように見つめた。
綾は自分には関係ないからと目を逸らし、唯香と距離をとった。
綾は唯香と二人の時は角が取れてまだ話が通じる相手だったが、美代とナズナが側にいる時は、二人に引っ張られて唯香を庇えない立場だった。
だから状況がややこしいことになると、美代とナズナの立場に身を置いて唯香を突き放してしまう。
綾も自分を守ろうとして必死なのだ。
唯香にはそれが分かるから、綾を責め切れずに、臨機応変にしていた。
だから綾は唯香と二人っきりになった時は、その埋め合わせをするように、唯香の肩を持っているような調子のいい言葉を時々漏らす。
力の強い友達の顔色を見て、その都度どのように接すればいいのか、その加減を調節しながら合わせていく。
なんて自分勝手でずるい奴だと思いながらも、唯香も強く突っぱねる事もできず、それにコントロールされてしまう。
不安定な仲間づきあいは、そのグループ内で強い者に影響されて、次第に得体のしれない逃れられないものと変化し、自分が本来の自分でなくなってしまって、都合のいいものを演じてしまう。
心の底ではそれが間違ってるとわかっていても、皆自分を守るために、本心を隠さずにはいられない。
強い者だけが、そのグループのイメージを築き上げてみんなをがんじがらめにしてしまう。
そこから離れたら、虐められるかもしれないし、また一人になって孤立してしまうかもしれない。
それが怖いから、逃げたくても逃げられない。
唯香も、この時、三人を前にして逃げられなかった。
唯香が何も言わないと、美代は益々苛立っていた。
ナズナの事なのに、自分の問題のようにとらえている美代の隣で、その張本人のナズナはとてもえらっそうにしてじっと唯香を見下していた。
自分を責めている分かりやすい態度に屈服し、唯香は口を開いた。
「ナズナちゃん、私何かしたの?」
唯香が弱々しい態度をいいことに、ナズナは力をみせつけ、目をぐるっとわざとらしく回してあきれ返った。
「唯香の弟が、私の弟のペンを壊したの知ってる?」
ナズナの問いかけに唯香ははっとした。
弟が最近元気がなかった事は気が付いていた。
訳を訊けば、友達のペンを誤って壊してしまったと言っていたのを思い出した。
それがナズナの弟だったとは知らなかった。
そういえば、唯香とナズナの弟たちは偶然にも年が一緒で同じクラスだった。
「ナズナちゃんの弟のペンだったの……」
初めて知った事実に唯香は戸惑うも、どうしていいかわからなかった。
ナズナは弟から聞いて、弟の肩を持ち、その怒りの矛先を身近にいた唯香に向けた。
唯香がお互いの弟の間でそういうアクシデントがあったことを知らなかっただけだが、ナズナは唯香の知らないうちに唯香が腹立たしくなって、美代に不満をもらしたに違いない。
姉御肌の美代はナズナに同情し、のんびりし過ぎてる唯香にお灸をすえようとした。
グループに所属していると、そのグループ内の問題のように思い込んで、身勝手な制裁をしようとする。
要するに意地悪に相手を虐めたくなる心理が働いてしまう。
唯香は低く扱われて舐められている事に悔しくもあるが、そういう事態が予測できて呆れてしまった。
だからついふっと軽く、諦めの溜息を吐いた。
その態度にイラつくようにナズナは声を荒げた。
「ちょっと、それだけなの?」
「えっ?」
唯香が対応しきれずにもたもたしている横から美代が割り込んできた。
「自分の弟がペン壊したんだろ。なんでナズナに謝らないんだよ」
それに脅されるように、唯香は素直に謝った。
「あっ、ごめん、ナズナちゃん。弟にちゃんと言っとく」
「弁償するって約束なのに、壊してから何にもないって私の弟が言っててさ、事情を聞いたら壊したの唯香の弟じゃん。それなのに唯香もずっと私に何も言わないっておかしいじゃないの。自分の弟が友達の弟の物を壊したら、普通謝るもんでしょ」
「ナズナちゃんの弟のペンだったって知らなかったの。ごめん」
例え唯香の弟の問題であっても、その姉として当たり前のように唯香からの謝罪を求める事は、それだけ唯香がナズナよりも下という位置づけだ。
唯香は感情を押さえて、言われるままに謝罪するも、心の中ではモヤモヤとしていた。
いくら弟のことでも、その姉も同じように謝らねばならないものだろうか。
これが反対の立場で、自分だったら『気にしないで』ときっと口先だけでも丸く収めようとしていた。
それよりも、唯香は自分からは責められないだろうし、ナズナも自ら弟の非を謝る事もしないだろう。
やっぱり唯香だからこういう事が起こってしまった。
冷静に考えたら、くだらない問題なのに、それを自分に取り込んで美代はナズナの味方をして、援護している。
綾はそれに付き添う形でその場にいるだけだが、唯香の目には三人から責められているように思えた。
そして美代はその場を仕切りたいと、益々調子に乗って声を発した。
「唯香の弟は自分の罪も認めず逃げてるんだったら、唯香が弁償すればいいじゃない。ナズナもそれなら納得でしょ」
美代の言葉が胸にひっかかる。
弟は罪を認めているから、気を落としているに違いない。
それでも唯香は反論せぬまま、美代に言われて仕方なく「うん」と頷く。
唯香は悪者にされ、その罪を償うまで許されない雰囲気がこの場に現れた。
責めるだけの理由があり、歪んだ正義をかざすことで、自尊心が高められて美代もナズナも興奮していた。
綾だけは自分は関係ないという態度を暫く保っていたが、美代が綾にも同意を求めたことで、綾もまたそれに逆らえなかった。
「うーんと、そうだよね。唯香ちゃんが弁償すればいいよね……」
綾は言いにくそうに声が弱々しい。
本心から思っている言葉ではなく、強制的に綾も自然と同調せざるを得ないのが唯香に伝わった。
こうやって状況を作られ、三人から弁償と責められると、唯香は困ってしまった。
「そのペンって、いくらするの?」
「お金の問題じゃないの。壊した事を反省して、同じものを用意するのが誠意じゃないの?」
美代が言った。
いかにも自分が正しい事を言っていると得意げになっている。
弟同士の事で、姉たちが仲たがいするのも納得いかないが、百歩譲ってもこれは唯香とナズナの問題であって、美代は全く関係ない。
だけど、美代に守られてナズナは却ってその援護を喜んでいた。
「そうよ、お金さえ返せばいいってもんじゃないわ。弟はあのペンすごく気に入って大切にしてたの。同じものを返してあげて」
「一体どんなペンなの?」
唯香が聞けば、ナズナはそのペンを説明した。
この町のゆるキャラが上部のノックするところについてるローカルな限定品のボールペンだった。
値段も一本600円とペンにしては高めで、普通の文房具屋さんでは手に入らなくてどこに売っているかわからなかった。
唯香もそのペンの事は知っていたので、説明だけで容易にイメージが湧いた。
「家に帰って、お母さんに訊いてみる」
唯香が母親の事を持ち出すと、突然ナズナは目が覚めるようにはっとした。
ここで母親が入り込んできたら、自分が唯香を責めて脅しているように思えてならなかった。
本能で母親が関係してくるのはまずいと感じた。
「お母さんは関係ないでしょ」
ナズナは慌てて言った。
それを擁護してほしいと美代に振り返った。
「そうだよね、美代ちゃん」
「うん、母親が入ってきたら、大人に圧倒されて、返して欲しいものも遠慮して断りそうだもんね。それに、母親なんかこういう問題、面倒くさいって思うだけだ。母親に頼ろうとするなんて甘ったれた事言ってるんじゃないよ、唯香が自分自身で責任取るべき」
美代は母親が絡むと幾分か機嫌が悪くなっていた。
ナズナはその分、美代の言葉にほっとしていた。
「でも私、今お金ないし、それにそのペンどこで売ってるか知らないから、どうやって弁償すればいいのかわからない」
唯香は困り果てた。
「そのペンだったら、あっちの方のコンビニで売ってるかも。この町の特産物やお土産みたいなもの置いてたから」
綾が大雑把に指を虚空に差しながら言った。
綾から場所を聞けば、多少遠くとも歩いていける範囲だった。
「じゃあ、売りきれないうちに今から行こうか」
美代が簡単に言うが、唯香は首を横に振った。
「私、お金持ってないから行っても買えない」
「だったら、万引きすればいいじゃん」
美代はゲームでもするかのように面白がって言った。
これにはナズナも綾もびっくりしたが、美代を否定する言葉が出てこなかった。
結局のところ二人も美代が怖いのだ。
「でも、私、そんなこと」
「それくらいの罰があれば反省もするでしょ。唯香はいつもとろいし、迷惑掛けてるんだから、根性みせなよ」
意地悪な笑みを浮かべ、美代は唯香を攻撃した。
美代は調子に乗ると、かっこつけようとしてしまう。
それが悪い方向に進むと手に負えなかった。
圧倒されてナズナも綾も何も言わないでいると、美代は歩き出す。
「ほら行くよ」
ナズナも綾も顔を合わせるが、美代の後を仕方なくついていく。
同じように唯香もそうせざるを得なかった。
ただ、心だけはぞわぞわとして、絶体絶命に恐怖に慄いていた。
嫌だといって、逃げれば済む事なのに、まだ中学一年の唯香には完全に美代に支配されて、刃向う勇気がなかった。