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 唯香が家に戻って、玄関で靴を脱いでる時、貴光は喜び勇んで廊下を駆けてきた。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

「どうしたの、何そんなに慌ててるの」

「これ見て」

 貴光はペンを姉の前に差出した。

「あっ、そのペン。一体どうしたの?」

「優しいおばちゃんがくれたの」

「えっ、どういうこと?」

 貴光は興奮して勢いつけて話した。

 まだ上手く筋道を立てて話せないので、唯香はこんがらがっていた。

「えっ、石をぶつけたら、褒められた?」

「だから、その、僕が泣くから、心配してくれてね」

「ちょっと待って、そのおばちゃんって言う人って、誰?」

 唯香はまさかとは思ったが、話を聞けば聞くほど、サトミに思えてならなかった。

 サトミは自分の弟の名前を知っていたのを思い出すと、辻褄が合ってくる。

 弟を助けたのがサトミだと確信した。

 姉弟揃って、サトミに助けられ、唯香は不思議な縁に驚いていた。

 貴光はすっかり元気を取り戻し、明日学校に行くことを楽しみにしていた。

 だが、唯香はただ弁償してそれで終わりに済ますには、あまりにも不公平に思えてならなかった。

 母親が、帰って来た時、自分の事も含めて全てを話すつもりだった。

 だが、今日に限って中々帰ってこない。

 ご飯の支度も遅れて、お腹を空かせた唯香と貴光は「遅いね」と母が仕事を早く終えて戻ってくるのを心待ちにしていた。

 その母が仕事から帰ってきたのは、7時を過ぎた頃だった。

 スーパーの買い物袋を両手に持って、慌てて玄関に入って来た。

「遅くなってごめん。すぐにご飯作るから」

 母親は、キッチンに入ると、壁にかけてあった時計を見つめ、顔を歪ませた。

 もうすぐ夫が帰ってくる時間だった。

 ご飯が何一つ出来てないのはまずい。

 仕事の帰り、知り合いと出会ってつい話し込んで遅くなってしまった。

 夫の帰りが遅いときは責め立てるだけに、自分のときは夫にこれ見よがしに言われたくなかった。

 パニックに陥りそうになりながら、急いで夕飯の支度をし始めた。

「ねぇねぇ、お母さん、聞いて、あのね」

 唯香が側に寄ってくると、母親はイライラしてついきつくいってしまう。

「今忙しいの。後にして!」

 唯香は不満を抱くも、仕方なく待つことにした。

 テレビを見ていた貴光が振り返り、唯香に同情したぎこちない笑顔を向けていた。

 貴光の言いたい事が分かった唯香は、苦笑いした。

 いつもなら「もう!」と文句の一つでも垂れていたかもしれないが、サトミが言ってた事を思い出した。

『人には事情があって、それがそういう行動を起こさせているって事もあるのかも』

 自分も素直になれなかったと思うと、ピーラーを手にして母親の横に並んでいた。

 何も言わずにニンジンの皮を剥きだし、母の手伝いをする。

「えっ、どうしたの唯香」

 母親の方がびっくりしていた。

「お母さんも大変だもん。手伝う」

「あ、ありがと」

 突然大人になったような唯香の態度に、母はびっくりしていた。


 唯香が手伝ってもご飯はすぐにはできなかった。

 その内、玄関の開く音が聞こえ、「ただいま」と父親が帰ってきてしまい、母は焦った顔つきで、台所を右往左往していた。

 父親が居間に入ってきたとき、ダイニングテーブルに何もおかずが用意されていないのを見て、露骨に顔を歪ませた。

「えっ、まだご飯できてないの?腹へってるのに」

「ごめん、ちょっと今日は仕事が忙しかったの。それで帰ってくるのがいつもより遅れたの」

「お前、誰かと話して、油売ってたんじゃないのか」

「いいじゃない、すぐ作るから、少しぐらい遅くなっても」

「ほうら、都合の悪い事があると、話をはぐらかしてすぐそれだ。図星だな」

「んもう、そこじゃまだから、座ってて」

 母親はイライラして、夫を突き放した。

 いつもの事なので、唯香と貴光は静かに見守っていた。

「あっ、そうだ、さっき、姉からメールがあって、千夏が、なんか入院だって」

「えっ、千夏ちゃんが? どこが悪いの?」

 それを聞いた唯香はびっくりしてしまった。

「耳だって。突発性難聴になって、それで点滴治療するらしい」

「とっぱつせーなんちょーって何?」

 呑気に貴光が質問した。

 唯香もなんとなくしかわからなかったので、耳を触って、耳の病気と大雑把に教えた。

「それなら、安静にしておくだけだから大したことないわね。すぐに治療始めたら、あれは治るし」

 母親が手を動かしながら、軽く言った。

「でも、一週間くらいは入院らしい。病名がなんであれ、やっぱりお見舞いにいった方がいいんじゃないか」

「だったら、あなたが行けばいいじゃない。あなたの姪なんだから」

「俺は、仕事があって忙しいじゃないか」

「私だって仕事あるわよ」

「お前なら、融通もきいて休み易いだろ。行かないと姉に何言われるかわからないから、ちょっと行って来てくれよ。顔を出すだけでいいから」

「そんなの突然言われても困るわよ。すぐに仕事休めるわけないじゃない。シフトチェンジするのだって大変なんだから」

 両親がキッチンで言い争いしているのを、困った顔で唯香と貴光は見ていた。

 その時、玄関のチャイムが鳴ったので、唯香が室内のモニターで確認した。

「あっ、おばあちゃん」

 唯香が言うと、いつもの訪問者なので、両親は気に掛ける事もなく、まだ揉めていた。

 唯香はすぐさま玄関のドアを開けに走った。

 隣町に住む祖母は、車で気軽によく娘の家へと尋ねてくる。

 来るたびに何かを持ってくるので、唯香は祖母が来るのはいつでも大歓迎だった。

「おばあちゃん、どうしたの? おじいちゃんは?」

「おじいちゃん、今、友達と温泉旅行にいった。同窓会みたいなものよ」

「ふーん。おばあちゃん一人で寂しいね」

「ううん、却って何もしなくていいからせいせいしてる。それより、はいこれ」

「ありがとう。なんだろう」

 唯香の期待した通り、玄関先で祖母から紙袋を渡され、それを手に取るとずっしりと重たく、中身に期待した。

「ソーセージやらハムの詰め合わせもらったんだけど、唯香や貴光が好きそうだから持ってきた。おじいちゃんもおばあちゃんもこんなの沢山食べられないし、生ものだから、早く持ってきた方がいいと思ってね」

「うわぁ、ありがとう、おばあちゃん」

 唯香よりも、後ろに居た貴光の方が喜んでいた。

 貴光は早く見たいと、唯香から紙袋をひったくった。

 それを持って、すぐキッチンに運んで行った。

 ご飯がまだできてないので、すぐそれを食べる気でいた。

「もう、貴光ったら」

 恥ずかしいとばかりに唯香は苦笑いしていた。

「喜んでくれたみたいでよかった。それじゃ、用事はそれだけだから」

「えっ、おばあちゃん、もう帰っちゃうの? ちょっと上がってよ。お父さんとお母さん、なんか言い争いしてるの」

「いい年こいて、子供の前で喧嘩してるの? 仕方ないね」

 そういって祖母は家に上がった。


「あら、お母さん」

「あっ、どうも、お義母さん、いらっしゃい」

 娘である母親はあっけらかんとして、義理の母にあたる父親の方はかしこまっていた。

 食材が無造作に放りだされたままで、中途半端な状態にまだ食事の用意ができてないのが見てわかる。

「あんたたち、何を喧嘩してるの?」

「いや、違いますよ、お義母さん」

 父親は苦笑いで弁明した。

「唯香、貴光、変なことおばあちゃんに言わないでよ」

 母親はきっーと子供たちを睨みつけた。

「だって、お互いなすりつけてたじゃない。子供の目から見たら喧嘩に見えた」

 唯香が当てつけで言うと、紙袋から中身を取り出しながら貴光も「そうそう」と相槌を入れていた。

 二人に言われると、両親は気まずく黙り込んだ。

「ん、もう、一体何が原因なの?」

 唯香たちのために、祖母は仲直りさせようとした。

「あの、実は私の姉の娘が入院しまして、そのお見舞いをどっちが行くかでもめてたんです。私は仕事があるので、病院の面会時間を訪れるのは忙しくて、それで妻の京香に行ってもらえたらと思ったんですけど……」

「私だって、仕事があるし、休めません。それにそんな大した病気じゃないみたいなの。点滴打って寝てたら治るくらいの入院。だから、お見舞金や品物をだけ送っておけばいいっていってるのよ」

「修哉さんのお姉さんの娘さんでしょ。唯香と貴光を遊びに連れて行ってくれたりしてお世話になってるじゃない。やっぱり無理してでも、向こうのお姉さんの義理を立てるようにお見舞いに行った方がいいんじゃないの? 京香、一日ぐらい仕事休んでもいいんじゃないの?」

 祖母は娘の京香をじっと見た。

 義理の親戚づきあいはきっちりとしておいた方がいいと知らしめている。

 その視線を浴びながら京香は、病院で安静にすればいいだけの入院に、無理してお見舞いに行くのが躊躇われていた。

 本当は自分の時間を割いてまでお見舞いに行くのが面倒くさいと本音が言えなかった。

「でも……」

「それじゃ平日はやめて、日曜日に行けばいいんじゃないの?」

 自分の母にさらりと言われて、京香は困った。

 貴重な休みの日曜ぐらいゆっくりしたい。やりたいことだってある。

 修哉をちらりと見れば、目を逸らし、押し付けたい嫌々感が伝わる。

 修哉も日曜日は予定がありそうだった。

「一週間くらいの入院でしょ、この日曜が来るまでには退院になってるかもしれないからさ、だったら、唯香と貴光に行ってもらうわ。お母さん、付き添いで一緒に行ってきてくれない」

「ちょっと京香、なんでそうなるのよ」

 祖母は呆れた。

「私は別にいいよ。千夏ちゃん大好きだし、お見舞いに行きたい」

「僕も行く。おばあちゃん連れてって」

 唯香と貴光が乗り気になって頼んでくるので、祖母は断る理由もなく、仕方なくつき添わずにはいられなくなった。

 荷物を渡してすぐに帰ればよかったと後悔していた。

 いやな顔は隠し、寄って来てくれる唯香と貴光には笑顔を見せる。

「仕方がないわね。その代り、お見舞い品はそっちでちゃんと用意してよ」

「わかってます。でも何がいいか、お母さん選んでちょうだい」

 唯香は祖母とお見舞いの日と時間を決め、ついでに何を持って行くか、インターネットでめぼしいものを探し出した。

 急にやる事ができて、唯香はペンの事やサトミの事を話したかったのに、そういう雰囲気ではなくなり、母親に言えなかった。


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