親の指導による、子の勉強嫌いと反発……
以前、読んだ作品の感想と考察。
先日、ここで投稿されていた繰言の様な話を読んだ。しかし、読んだことは覚えているのだが、題名は忘れてしまった。――とは言っても、別にその小説がなんだっけ?というわけではない。
とりあえず、その話の内容は要約すれば『親の指導によって己の可能性と人格は潰されてしまった』そんな話だったと記憶している。
思ったのは、かつて読んだ本などの話である。
立身出世を成した父親が後を継ぐ事を望み教育を施した、子であるフランツ・カフカは父親に対して、上のような内容に近い、長い……それはそれは長い恨み言の手紙を送りつけた。
芥川龍之介は侏儒の言葉にてこんなことを綴っている。『古今如何に大勢の親はこういう言葉を繰り返したであろう。――「わたしは畢竟失敗者だった。しかしこの子だけは成功させねばならぬ。」』
出発点は、片や成功、片や失敗と違いはあるが、子に対して親が成功を望むと言うのは古今東西、変わらないものだろう。
そこで疑問が湧く。
大概にして成功は誇るものだから、尊大・謙虚の振れ幅があっても、子に伝えようとするだろう。――だが、失敗は?
案外、伝えないものなのではないだろうか?
わたしは一人者だから、子はいない。だが、居るとして、己は失敗者だからその轍を踏まさぬため、きっと成功するためにコレ(多分は勉強)をするべきだ。と、そんなことを言うのだろう。
しかし、「なぜ?」と問われたら……そこでおそらくは、子に対して気恥ずかしい。弱みを見せたくない。と、なんとも下らない意地を張って「なぜ?」に対して自分の失敗は明かさず、ありふれた押し付けをしてしまうと考える。
そして、狭い範囲ながら過去を振り返ると、わたしの周りに居る年長の方々は、自らの失敗談を語るということは、近しくなるほど語ったことが無いと記憶している。
什麼生。
親である皆さん。勉強する理由に、貴方は子に対して自らの失敗を打ち明けられますか?明かしましたか?
子である皆さん。貴方の身の回りの大人・親は自らの失敗を教えてくれましたか?
こうも考えると、どうも反抗期の仲違い……少なくとも子の勉強嫌いと言うのは、プライドと言うにはいささか低俗な、下らない見栄を親が張り、それを見透かす子の反発が基で起きてしまうのではないだろうか。と、わたしは思えるのです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
内容が重いなぁ……最近、書いてみたモノで当たり障りのないモノを選んでみたけど、どうにも苦しい。
なんで軽いのが書けないんだろう……。
なにより、文章が重いし硬いし、どっかで読んだ様なものだ。OTZ