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その日、玉は部屋で小説を読んでいた。
「おい処女。ショッピングに行くぞ」
「はい?」
*
「__で、いきなり部屋に来てショッピングに行くぞとは、どういう風の吹き回しですか。私、今は持ち合わせが少ないんですが」
椅子に座りながら尋ねる玉を誘った本人__蜻蛉はつり革を掴みながら、電車の振動に揺られながら見下ろす。
一応女子だからなのか、単に屋外だからか、席は玉に譲ってくれた彼は、つまらない質問をするなと言いたげな顔を隠そうともしないで答える。
「ただ、暇だから。あと、お前はオレをなんだと思ってる。急に誘ったからには、金はオレが出す」
臨時収入もあったしな。
お金を出すと言われて、すぐに断ろうとしたが、その後に続いた言葉に口を閉ざす。臨時収入とは、謎多き彼のオシゴトで得たものだろう。詳しくは把握してないが、彼がまともな仕事をしてない事は知っているから、それの臨時収入なら気にしなくてもいいだろう。
「そうですか。でも、人嫌いな蜻蛉さんがショッピングだなんて珍しい事もあるんですね」
「まあな。一番の理由はお前の服だけどな」
彼の言葉に、玉は自分の格好を見下ろす。
今着ているのは、学校指定のセーラー服では無く、シンプルなデザインのワンピースだ。上には七分袖のパーカー。足元はスニーカー。……変ではないはず。
「どこかご不満でもありますか」
「変だとかじゃなくて、単純に少ないと思っただけだ」
「少ない、ですか……」
少ないとは思ったことが無かった。そもそも、基本は学校と家の往復しかしなく、蜻蛉と会うのも学校帰りだったりが多い。洗濯もほぼ毎日している。つまり、服自体そんなに必要無いのだ。
「まあ、臨時収入あってもオレはそんなに使わねェしつてのもあるけどな」
「あぁ、蜻蛉さんって物欲無さそうですよね」
「お前は仮にも女子高生なんだから、もうちょい物欲持て」
言われてしまった。しかし、学生である玉が必要なものといえば、文房具などの消耗品が大半。それ以外は、今買わなくても困らないものばかりだ。服だって、ぶっちゃけ下着・ズボン若しくはスカート・トップスがそれぞれ三日分程あれば、それをローテンションさせる方が楽だしいいと思っている。それに靴とか上着。流石に靴下は学校もあるので、予備も考えて五つ程ある方が良いだろうが。……まあ、彼女の父がたまに服を買ってくるので、三日分よりも多くは持っている。しかしそれでも、同年代と比べるとどうしても玉の服の所有数は少ない。
「まあ、折角の蜻蛉さんの気まぐれですし、ここは素直に甘えさせて頂きますね」
「ん」
やがて二人を乗せた電車は、都心にある大型ショッピングセンターの最寄り駅へと到着した。
*
「それ、別の色の方がいいな」
「そうですねぇ。これだと若干安っぽく見えますし」
薄ピンク色のスカート姿の玉を、蜻蛉は却下する。彼女自身も同意する。
今二人がいるのは、服屋だ。しかも、ちょっとお高めの。玉としては、もう少しリーズナブルな店に行くと思っていたのだが、蜻蛉は迷わずここへ来た。玉は全てを受け入れ、彼の言う通りの服を試着していた。
目に付いた物を片っ端からカゴへ入れて、玉に試着させる。その作業もこれで二十回目だったか。
蜻蛉はオシゴトで、女のデート相手もしたりするのでそこまで苦ではないし、玉もショッピング自体に慣れていなくても、特に面倒くさがる様子も見えない。それよりも彼女の脳内を占めているのは店内の視線だった。
蜻蛉は顔が整っている。否、顔だけじゃなく、全体が完璧なのだ。彼のことは美しいと認識しているし、女性にモテるのは分かっていたので覚悟はしていたが、やはり凄かった。一歩足を踏み入れた途端、店内にいた客は勿論、店員や果ては男の視線すら奪ってしまった。そして次に自分に向いた視線には、「なぜあんな地味な奴が」という、憎悪のような視線だ。そう短くは無い付き合いだ、慣れた。しかし、彼と共に都心に出たのは久しぶりだから、いつもより多い視線に少し疲れてきた。
「おい、玉。これ着てみろ」
流石に人前だから、いつもの渾名は封印されている。
玉は服を受け取りつつ、蜻蛉を伺う。彼は何も気にした風な様子は見せない。実際、気にしていないのだろう。そっと溜息を吐く。あくまで、バレないように。しかし侮ることなかれ、彼は鋭いのだ。
「……それ着て、大丈夫そうだったら下のカフェに行くぞ」
「え」
「こんくらいでいいだろ」
そう言って彼は大量の服が入ったカゴを軽く持ち上げる。それが彼なりの気遣いだと解釈して、玉は軽く微笑んで同意する。聞いたら絶対に否定されるので聞かないでおく。
「はい、分かりました。しばしお待ちください」
*
買い物も終わり、カフェでそれぞれ飲み物を片手に一息つく。ただ服を選ぶだけなのに、随分疲れた気がする。顔には出さないが。
玉の前に座る蜻蛉は、財布の中身を確認していた。服屋では何枚かの諭吉さんがそこから出てきた。その量が想像よりも多かったので、彼女は何枚あったかは数えるのを止めた。
「蜻蛉さん、ありがとうございました」
「おい、この後行きたい場所とかはあるか」
彼女の感謝の言葉を無視して、蜻蛉は尋ねてくる。玉は首を軽く捻った。
「え、行きたい場所、ですか?」
「欲しいもんでもいい」
これは、考えるまでもない。彼はまだ玉に何かを買い与えようとしてる。久々にあった祖父か。言わないが。そもそも、彼女はそういうツッコミをするキャラではない。
彼女は頬に手を添えて、戸惑った顔で言う。
「いえ、もう特にはありませんよ。それに、こんなに沢山の洋服も買って頂きましたし……」
「そういうのいらねェから。言え」
有無を言わせない雰囲気だ。しかし、本当に無いのだ。欲しい物も行きたい場所も。
ここでラブホと言えば、彼女っぽいのだろうか。いや、それはどちらかと言うと男性から言い出すのか?
では、遊園地?これも駄目だ、蜻蛉は人に触れられるのが嫌いなのに、あんまりにも密集した場所に行くのは、彼の負担になる。そもそも玉自身、特に興味は無い。
映画は、遊びに行く定番な気がするが、特に興味ある作品は無いし、わざわざ高いお金を払ってまで大スクリーンで見たいとは思わないのが、玉という少女だ。
やがて彼女が出した答えはというと。
「あの蜻蛉さん。蜻蛉さんは臨時収入を使い切りたいんですか?」
「あんまり手元には置いときたく無ェ。銀行には通常の給料が十分に入ってるから、別に更に貯金しなくていい。使い切るとまでは行かなくても、少なくしたい」
「では、若干高価なものでも宜しいですか?」
「……別ににいいが、珍しいな」
「頭を捻って、考えました。蜻蛉さん曰く、私って物欲無いようなので」
ニッコリと、いつもの笑顔で玉が口にした要求は、流石の蜻蛉も少しだけ目を見開いて驚いた。
「宝石の様なものを使った装飾品を、買って頂けませんか?」
*
「いや、素直に驚いた。お前にもそんな女子らしい願いがあったんだなァ、と」
「その言い方ですと、まるで私が女子では無いように聞こえますね」
「よく分かったな、正解だ」
そんなくだらない言い合いをしながら二人が入ったのは、服屋と同じ建物の中にある宝石店だった。中には、宝石は勿論、それらを使ったアクセサリーなんかも置いてある。無論、どれも零の数が多い。
「で、どんなのが欲しいんだよ」
彼はつまらなさそうな顔でそれらの商品を眺めながら尋ねる。玉は笑いながら言う。
「蜻蛉さんとお揃いでネックレスが欲しいなと」
彼は再び目を見開いて、ゆっくり玉の方を向く。対して、見られている彼女はと言うと、いつも通りニコニコしているだけだった。
「お揃いで、だなんて女の子らしくありませんか?」
「いや……確かにそうだが……」
「先日、クラスの女の子達が話しているのを耳にしまして。彼女達は遊びに行って、お揃いのストラップを買ったとか。今日は私達も遊びに来ましたし、彼女達の真似をするのも良いかな、と思いまして」
いかがですか?
そう尋ねた玉は、やはり笑顔で、たとえ断ったとしても特に気にしないのだろう。蜻蛉としては、“そういう”客商売もしているのだから、他の女を匂わせるような品は身につけたくない。それに玉自身としても、学生なのだからネックレスなんて付けれないだろう。
「あぁ、それは大丈夫ですよ。ワイシャツの中に隠して付けるんです。結構やってる方はいらっしゃいますしね」
大丈夫らしい。
蜻蛉は少し迷ったあと、長く溜息を吐いた。玉はそれを、駄目だと判断したのか、彼に声を掛けようとした。
「すみません、やはり難しいですね。要求は歩きながら考えますので取り敢えず外に、」
「で、どれだよ」
「はい?」
「ネックレス。あんま派手なのにすんなよ、それとオシゴトん時は外すから。ほら、お前に買ってやるんだからお前が選べ」
玉は、今日初めて笑顔を消して、純粋に驚いた顔をした。しかしそれもすぐに消えて、いつもの笑顔で対応する。
「ふふっ。ありがとうございます」
「さっさとしろ」
「はい」
*
「おい処女」
次の日、蜻蛉がいつも通りに玉の家に行くと、彼女は昨日買った服を着て、部屋で本を読んでいた。胸元に光るのは、小さなオパールが眩しいネックレスだった。
__オパールの石言葉はですねぇ、創造・活力・純粋無垢ですのよぉ!
化粧の濃いおばさん店員の言葉を聞いた時、二人は同時に吹き出した。創造はともかく、活力なんて無い。何より、純粋無垢。これほどこの二人に似合わない言葉は無い。だから、これにした。自分達に最も似合わないだろう言葉を持つこの石に。
玉はチラリと入ってきた彼を見上げる。その胸元には、彼女のと全く同じ形のオパールが揺れていた。それを見て、笑顔を深めたまま彼女はいつもの言葉を言う。
「蜻蛉さん、いらっしゃいませ」