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その日、玉は怪しい視線を感じていた。
「……なんでしょう」
*
いつも通り学校に行き、学業に勤しみ、委員会の仕事も終え、下校時刻である十六時を告げる鐘と同時に、門をくぐって外へ出た。
学校から家まで、各駅停車で三十分。最寄り駅で降りてからは、歩くこと更に三十分。そうして、ようやく自宅に着く、のだが。どうも、最寄り駅で下車してから、誰かにつけられている気がする。商店街であるため、人が多い。それ故に勘違いしているのであれば、別に構わない。だが、いつもは感じない視線を、どうも感じてしまう。しかし玉は、それでも気にせずに通学路を通って、自宅へと向かう。
__玉ちゃん!ちょっとこっちおいで!
途中、よくお話しをする和菓子屋のお婆さんに呼び寄せられた。
「こんにちは」
__はい、こんにちは。今日も学校かい?偉いねぇ。
「いえいえ、学生ですから」
__うちの馬鹿息子にも見習って欲しかったよ。
「ふふ。それで、何かご要件でも?」
__あぁっ、そうそう。これね、持ってってお父さんとお食べよ!
そう言って、お婆さんが差し出したのは、大量の和菓子が入ったビニール袋だった。
「あら、こんなにいいんですか?」
__賞味期限が近づいてるから、処分しようとしてたのよ。あ、でもまだ一週間は持つからね!
「一週間も持つのに、処分を?」
__明日から新商品出すから、棚を開けたくてねぇ。
「なるほど、そういう事でしたら、ご好意に甘えさせて頂きます」
__あ、みんなには内緒だけどね、新商品も入れといたから!
「そんな、すみません……」
__いいのよぉ!それじゃあ、勉強頑張ってね!
「はい、失礼します」
玉は完璧な笑顔で会話を終わらせ、再び帰路へ着く。視線はまだ消えない。
*
奴が動いたのは、商店街を抜け、人通りが急に少なくなった、家まであと十五分程の所でだった。
急に腕を引かれて、路地裏へと連れ込まれる。そこには、玉の腕を掴んだ男の他に、三人程の男がいた。全員、下卑た笑みを浮かべて玉を見ていた。瞬時に理解した。先程まで感じていた視線はこいつらだったのだと。
__この子だよな
__そうそう、絶対そうだ。いやぁ、実物は可愛いなぁ……!
この男達が誰か、何処で自分の事を知ったのか。玉は頭の中で、この二つの疑問の答えを探し回っていた。しかし、答えが見つからない。
__ね、ねぇ。君、この雑誌の子だよねっ?
肥満体系の、汗をダラダラと流し続けている男が見せてきたのは、いつかに蜻蛉に見せられた、女性向け雑誌だった。一つ目の疑問が解決された。それと同時に、二つ目の疑問も、ほぼ答えが分かった。自分の体目当ての奴らか。
__ここら辺で見た事ある気がしたんだけど、本当だったとはなぁ。
「……確かに、その雑誌に写っているのは、私です」
自分だと分かったのは、この辺りの住人だからか。まあ、通学路だし、覚える人は覚えるか。あのお婆さんしかりだ。そう考えながら、玉が答えると、男達からは歓喜の声が上がる。あくまで、小さくだが。気づかれたらいけない。
「それで、何かご要件でもあるのですか?」
あくまで、笑顔を崩さずに玉は尋ねる。
__うわぁ、本当に笑顔が可愛いねぇ。
__もういいかな……。
__大丈夫だろ。この子大人しそうだし。
尋ねた瞬間、男達の雰囲気が危ないものへと変わった。小さい声で、相談し合っていても、視線は未だ、玉へと向いていた。
__き、君が悪いんだよ……。平然とこの辺りを歩いて、僕達を魅了していたんだから。
__そうだ、俺らは悪くない。
何やら、良く分からない事を言い始めた。
玉は、この後の展開を予想する。恐らく、と言うかほぼ確実に、自分はこの男達に乱暴にされるのだろう。それを打破するには、大声を出す。しかし、それには二つ問題がある。一つ目は、男の誰かにすぐに口を塞がれるかもしれない。二つ目は、ただでさえ普段から人通りが少ないこの道に、今このタイミングで人が通るのか。どちらも、回避するのは不可能そうだった。となると、残されるのは__諦める。
玉は腹を括って、(せめて、痛くないといいなぁ)なんて、呑気なことを考え始めた。
__じゃ、じゃあ早速俺から……!
__くそ、僕が最初が良かった。
__仕方ないだろ、事前にきめたんだからよぉ。
なるほど、こいつらは後で揉めないように、先に玉を犯す順番を決めていたのか。意外と計画性があるようで。
変な所で感心してしまっている。後ろで自分を抑えている男が、セーラー服のスカーフを外すのが分かる。目の前の男の手が伸びてくる。
「はぁ……」
溜息を吐いた時だった。
“バキッ”
目の前の男が殴り飛ばされて、横へと倒れた。次いで、後ろの男も殴られたのか、腕が自由になる。周りを確認しようとしたが、その前に、自分よりも大きな、体温の低い手に視界を阻まれる。
「__目瞑って、耳塞いでろ」
それは、いつも聞いている彼の声で、玉は言われた通りにする。
塞いでいても音は聞こえる。殴る音や、男達のだろう汚い悲鳴が響いているが、聞こえないふりをして、時が過ぎるのを待つ。
*
「おい、終わった」
掛けられた声で、現実に引き戻される。
目を開くと、いつも通りの顔をした蜻蛉が立っていた。
「取り敢えず、お前も学んだだろ。こんなん載ってもいいこと無ェよ」
「そ、のようですね……」
なんで此処に、とか。ありがとう、とか。言いたい言葉は頭に浮かぶが、それらが音になる事は無かった。
「……今回はお前も被害者だし、一つだけ、お前が気づいてない事教えてやる」
無言で見つめて、先を促す。
「お前は、自分で思ってるよりも今安心してんだよ。どうせお前のことだから、しょうがないとか思ってたんだろうけど、いざ助かったら安心したんだよ。分かったか」
そこで、玉は無意識に強ばっていた肩から力が抜けるのを感じた。そうか、自分は怖かったのかと。
「あ、の。ありがとうございました……助けて頂いて」
「別に。たまたまここ通ったら見かけただけ」
「でも、ありがとうございます」
蜻蛉は、玉のお礼をちゃんと聞いているのか分からない顔で、顎で、帰路を指す。
「おら、帰るぞ」
「はい。あの、本当にありがとうございました……」
いつもの笑顔は、流石に今は曇っていた。それを見た蜻蛉は、頭を掻きながら面倒くさそうな声で言う。
「お前、もう感謝の言葉述べるなッ。大体あのまま放ってほいたら、お前の『処女』って渾名が無くなるだろ。それだけだっ」
そう言って、先に歩いていってしまった。玉は、後ろを見ることなく、彼について行く。そして、冷静になってきた頭で、気づいた。
彼が、たまたま見かけたからといって、人を助けるような慈愛に満ちた人間で無いことを。それに、以前言っていたでは無いか。助ける義理は無い、と。
つまり、彼は助ける気で、助けてくれたのだ。理由の中には、渾名の事も含まれているのだろうが、玉が友人である事も含まれていると、彼女は勝手に解釈した。そこで、いつもの笑顔が戻ってきた。
「蜻蛉さん。和菓子屋のおば様から、沢山お菓子を頂いたんです。一緒に食べませんか」
「ん」