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その日、蜻蛉は見舞いに来てた。
「おい、処女。生きてるか」
*
「あれ……蜻蛉さん。いらっしゃいませ」
氷嚢を頭に乗せた玉は、真っ赤な顔のまま微笑んで、蜻蛉にお茶を出そうと立ち上がる。が、熱のせいか上手く立てずに転ぶ。すんでのところで蜻蛉が抱えるが、人に触るのが嫌いな彼は、すぐに手を離してしまい、玉は布団の上に乱暴に落とされた。
「痛っ……。落とすくらいなら拾わないでくださいよ」
「悪いな、反射神経が良すぎて」
常人ならイラッとする台詞を吐く蜻蛉の悪態にも、いつものようにキレよく返せなくなっている。
「ところで、蜻蛉さんはどうして今、うちに……」
「お前の親父さんに頼まれた。千円で」
「あら、“オトウサン”にしては良くやりましたね。蜻蛉さんを千円で使うなんて」
「家の食いもんなんでも食べていいって条件付き」
「なるほど」
元来、そんな端金じゃあ動かない彼だが、まあ玉は知り合いだし、家の食べ物を好きに食べていいという事だったので、特例として引き受けたのだ。
玉は、動いたことで頭痛がしてきたのか、うずくまってしまう。それを見た蜻蛉は、つまらなさそうに鼻を鳴らした後、頭の氷嚢を持って行ってしまう。
「あの……」
「うっせぇ。黙ってろ」
暫くして、新しい氷を入れた氷嚢を持った蜻蛉が戻ってくる。それを見た玉は、嬉しそうに笑うのだ。
「ありがとうございます。今日は優しいですね」
「いつもだろうが」
*
日が落ちる頃には、玉は、熱も下がり、安静にしていれば大丈夫そうなくらいまで回復した。
「今日は本当にありがとうございます」
「別に」
「お礼と言っては何ですが__この新しい着物を、」
「黙ってろ」
すると、玉の頬はハリセンボンのように膨らむ。熱が出ている分、いつもよりも少し子供っぽくなっているのだろう。
「いいじゃないですか。オシゴトの時とかに着るのは如何です」
「着ないつってんだろ。そういうのをお求めのお客様には、丁重にお帰り頂いてる」
「なんですか、それは……」
尚も不満そうに顔を歪める。
普段、どんなことをしようと崩れないその顔が、ここまで膨れているのは珍しくもあるが、如何せん。いつもの落ち着いた、年不相応な性格を見慣れているため、若干めんどくさく感じる。
「オシゴトの時だろうと、無かろうと。オレは着ないの」
「男ないし、女と寝るのはそんなに楽しいですか?」
すると、玉はさっきまでの会話を無視して、いきなり別の話題へと方向転換した。それに疲れながらも、抗うのも面倒くさくて、適当に話を合わせる。
「あ?別に楽しいとかじゃ無ェよ。これがオシゴトだから。行為自体に楽しさなんて求めないの」
「ふーん、そういうものですか」
「そういうものです」
蜻蛉は、つまらなさそうな玉の額をつつきながら、答える。そして、彼女の手の中にあるものを指さしながら言う。
「それより、お前はその手に持ったモノを降ろせ」
「では、着てください!」
玉は爛々と瞳を輝かせて着物を掲げる。果たして、いつの間に持ってきたのだろうか。
「嫌だ。なんだよ、お前こそ毎日毎日、オレに着物着せようとするのが、そんなに楽しいか?」
「はい!」
「即答かよ…」
「即答ですよ。素敵な蜻蛉さんに、素敵な着物を来て欲しいと思うのは、呉服屋としては当然です」
夢みる乙女のような表情の彼女に、若干引きつつ、呆れ顔で訂正する。
「お前はその家の店主の娘、だろ」
「細かいですね。何なら、蜻蛉さんに依頼しますよ。“オトウサン”を殺してって。そしたら、私は正式に呉服屋です」
「断る」
「残念。でも、本気ですよ。いつかあの人を亡きものにして、私が店主になります」
これは、熱に浮かされたせいで本音が出ているのか、ただの妄想か。恐らくは前者だろうと蜻蛉は推測する。本人に確認することはないが。
「物騒だなァ」
「そうですか?まぁ、いいです。なんでも。兎に角、私が継いだら、より良い呉服屋にします。呉服と武器を売るお店です」
「それはいい店なのか」
「いい店です。“オカアサン”は、あの鉄の塊に魅せられたから、“オトウサン”に捨てられました。でも、私は彼女の娘です。私も魅せられました。なら、捨てられないよう、先に私が彼を捨てます」
珍しい。本当に、珍しい。
彼女は父子家庭。つまり母親がいない。それについては知っていたし、情報を扱うオシゴトの蜻蛉は、その母親がどうして家にいないのかも知っている。現在地だって調べようと思ったら、すぐに調べられるだろう。しかし、そんなことをしないのは、一つはしてやる義理がないから。二つ目は、彼女自身が無意識でその話題を避けている節があったから。興味が大してないものを、わざわざ掘り起こそうとは思わない。
「“オカアサン”が鉄の塊、武器に魅せられたのは正直どうでもいいです。兎に角、私もそれらが好きなので、“オトウサン”を消して、それを取り扱いたいのですよ」
「あっそ」
蜻蛉は相槌を打ちながら、誰かがこの家に向かってくる気配を感じていた。多分、彼女の親父さんが戻ってきたのだろう。
彼女自身は、今さっきまでの会話を誰に聞かれようと気にしない。しかし、問題は彼女の“オトウサン”だ。
あの人は、自分の嫌いなものを徹底的に排除しようとする。特に、武器などの野蛮なものが嫌いだ。だから、彼女の“オカアサン”は、追い出された。野蛮なものが嫌いなはずの彼に、殴られて、捨てられた。
玉が捨てられようが構わないわずだが、知り合いだから、出来ればそれは避けたいと思ってしまう。だから、混ぜた。睡眠薬を。
「あ……れ?」
「まだ熱下がってねぇんじゃねぇの。寝とけ」
「はい……おやすみ、なさい……」
彼女の瞳は閉じられた。同時に、玄関の扉が開く音がする。
蜻蛉が向かうと、やはりそこには“オトウサン”がいた。
__あぁ、神咲さん。すみませんね、急に
「いえ、オレも心配だったので。呉凪さんも、お仕事ご苦労様です」
__あはは、ありがとうございます。いやー、それにしても、本当に助かった。あ、ご飯食べていきますか?
「いえ、この後は少し用事があって」
__おや、用事があったのに、玉のこと任せてしまって申し訳ない
「いや、用事自体は夜からなんで気にしないでください。それじゃ、失礼します。玉ちゃん、今眠ってるんで、起きたらよろしくお伝えください」
__えぇ。それじゃあ、今度からもうちの子を宜しくお願いします
そうして、蜻蛉は玉の家から去っていった。彼の背後では、『呉凪呉服』と書かれた暖簾が揺れている。