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その日、玉は制服から着替えもせずにスマートフォンを弄り続けていた。
その様子を見た蜻蛉は、思わず持っていたコンビニ袋を床に落とした。
「槍が降る」
*
そもそも、メールの文章すらまともに打てない玉は、自分には扱いきれないと、元々携帯を携帯しない傾向にある。正直、彼女の“オトウサン”も、普通の携帯すら扱いきれない節のある彼女に、高度な携帯・スマートフォンを与える事に躊躇いを覚えたが、娘が持っている機器によって虐められでもしたら困る、と買い与えたのだ。しかし、期待を裏切ることなく、彼女は最低限の事でしかスマートフォンを使わない。
大して困らないから、と今日に至るまで彼女がスマートフォンを弄っている姿を見るのは数回だけだった。貴重な使用時間も、極僅か。__にも拘らず、だ。
皺になることも躊躇わず、畳の上に座った玉は、下校してからその姿のままスマートフォンを弄り続ける。いつもなら蜻蛉が来れば、あの何の感情も無い笑顔と、大して歓迎もしていない歓迎の言葉で出迎えるのに、今日はそれもない。どころか、今蜻蛉が部屋に来たことすら気づいていないのではないだろうか。
「……おい、処女」
「……ん、あら。蜻蛉さん、いらっしゃいませ。申し訳ありません、気づかなくて」
漸く、目の前の事実を受け止めた蜻蛉が声を掛けると、思ったよりもアッサリと顔をあげる。
例の如く、大変不名誉な渾名に対して文句を言うでもなく、むしろ出迎えなかったことに対する謝罪を述べられた。
「別にいいんだけど……」
言葉を濁しながら、彼の視線は少女の手の中に引き寄せられる。
「あ、これですか。ご覧になります?」
そう言って向けられた画面に映っていたのは__キラキラした男だ。
……目頭を揉んでから再度確認する。
画面内には、大変顔の良い男性キャラクターがキラキラした笑顔をこちらに向けている。
「……なんだ、これ」
「アイドル育成ゲームだそうです」
……耳を、水泳後よろしく、軽く叩いてから少女の言葉を再度確認する。
何だ? 彼女は今なんと言った。
「アイドル育成ゲーム、です」
聞き間違いではなかった。
蜻蛉は眉間に皺を寄せ、気持ちの悪い物でも見るかのような目付きで玉の顔を見る。
この、倫理観がなかなかにぶっ飛んだ少女が、気持ちの悪い笑みを絶やさない少女が、平面世界でアイドルを育成する? なんの冗談だ。今日は四月一日では無い。
「お前、頭打ったのか」
「失礼ですね」
そう言った彼女の顔は、眉は下がっているものの、いつもの通り全く困っていない様な、笑顔だった。
段々冷静になってきた蜻蛉は再度画面を見る。
やけに派手派手しい衣装は、どうやらアイドルのコスチュームらしい。紫の髪色に、瞳の中に星の図柄。二次元によくある、現実にいたなら引く所ではない、デザイン。
現在画面内では、アイドルバトルのようなものが行われており、アイテムを使わないと負けるという何とも危ない場面であった。果たして、アイドルとはバトルをするものなのだろうか。そこに突っ込んでしまってはいけない気がするので、触れはしないが。
蜻蛉のオシゴト相手にも、こういった物が好きな奴もいる。趣味は人それぞれ、誰が何を好きだろうと、蜻蛉は何の興味もない。だが、趣味は自由と言えど、この少女が、こういったゲームに関心を持つとはどうしても思えなかった。否、むしろ思いたくなかった。
「お前、こんなの興味あったのか」
「人様の好きな物を、『こんなの』と表現するのは如何かと」
そこで言葉を区切ると、玉も画面に目線を落とす。その表情は、そこまで楽しそうには見えなかった。
画面内では、アイドルがバトルに必要なアイテムを求めている。その表情は必死だ。
「今日、久しぶりにスマートフォンを学校に持っていったんです。そうしましたら、クラスメイトの方に、どんなアプリを使っているのか聞かれまして」
展開が読めてきた。
仮にも華の女子高生が、久々に学校にスマートフォンを持っていったとは、どういう事なのか気にはなるが、玉なので気にしない。
要は、何も入れていないから薦められたのだろう。
「はい。その方が、アニメやゲームがお好きなんですが、乙女ゲーム……でしたっけ。本来はピコピコの奴でやるゲームなのですが、スマートフォンのアプリでも配信されたので是非に、と」
ピコピコの奴とは何だ。携帯型ゲーム機の事か。しかし成程、これで背景が見えた。
彼女が自分からやりだした訳では無いと知り、謎の安心感が蜻蛉を包んだ。
「面白いのか、それ」
自身を翻弄してきた謎が解決した蜻蛉は、途端に興味をなくしたかのように会話を続ける。
玉はというと、その質問には困ったような笑みを浮かべた。
「正直に言いますと、あまり。私、ゲーム自体あまりやらないのですが、そもそも少し飽きっぽいので、育成等の継続が必要なゲームは……」
「なら、なんで入れたんだ。やらなきゃいいだろ」
当然の疑問を投げかける蜻蛉に、玉は目を丸く見開いた。
まさかとは思うが、やらないという選択肢を見落としていたなんて言わないだろうな。
しかし、彼女の出した答えは蜻蛉が考えていたものとは全く違った。
「嫌いだから、入れたんです」
スマートフォンの画面からはアイドルが涙を浮かべ、必死にアイテムを乞う声が続き、数瞬後には__『LOSE』の赤い文字が、黒塗りの画面に浮かんでいた。