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その日、玉は友人と帰る予定だった。
「__しょっ……ぎょっ……くれっ……。チッ。おい、玉!」
なんだか、首が締まった鳥が鳴くように、変な単語の区切れ方をしている奴がいる、と思ったら名を呼ばれ、そう言えば聞き覚えのある声だなぁと思いながら、振り向くと、全身真っ黒な美青年が立っていた。
「蜻蛉さん……?」
*
__え、玉!このイケメン誰?
__お兄さん?でも似てないし……まさか彼氏!?
玉の友人達は口々に、推測を言っていく。それに対し、蜻蛉は人当たりの良い顔で、玉を見る。
「えっと。この人はと、」
睨まれた。言い直す。
「コホン。
彼は神咲さんです。私の……ご近所に住む、お兄さんです」
この娘は、友人にも敬語なのか、と。蜻蛉は余所行きの顔の裏で、そんなことを考えた。
その考えに気づいているのか、いないのか。玉は目線を、少し上にある蜻蛉に合わせて、問いかける。
「ところで、神咲さん。今日はどうして私の高校にいるんですか」
「ん?玉……ちゃん、が心配でね。ほら、最近は物騒じゃないか」
彼が『玉ちゃん』と呼んだ時だけ、友人には気づかれないくらい一瞬だけ、彼女の顔が普段は見せない、嫌悪に満ちた顔になった。しかし、次の瞬間にはいつもの笑顔である。
「そうですか。お気遣いありがとうございます。でも今日は、彼女達と寄り道を、」
「彼女、連れて行ってもいいかな」
__はいっ!
あえなく陥落。
玉の言葉を遮って向けられた、蜻蛉のオシゴトで鍛えられた笑顔に、落ちない、いや堕ちない女子高生は、玉くらいなのだろう。
そんな感じで、友人達は玉には目もくれず、蜻蛉の事を何度も振り返りながら、去っていった。
*
「__で」
「ん」
「本当の要件は何ですか、蜻蛉さん」
友人達との、女子高生らしい生活を邪魔されたからか、いつもより若干不機嫌そうな彼女の声に、蜻蛉はあっけらかんと言う。
「いや、お前が見えたから、邪魔しようとしただけ」
驚きの表情を、顔いっぱいに表した後、無駄だと思ったのか、元からそこまで怒ってないのか。すぐにいつもの笑顔に戻る。
それが、蜻蛉には少しつまらなかった。
「なんだ、本当に急用があるのかと心配しました。彼女達とは、また後日にしましょうかね」
蜻蛉は、尚もつまらなそうな顔をしていたが、ふと。何か思いついた顔をして、玉の手を掴む。所謂、手繋ぎ。
「え、あの」
流石の玉も、急なそれに対応し切れず、焦りを見せる。
普段は人と肩が触れるのすら嫌がる蜻蛉は、手を繋ぐなど、特に嫌いだが。しかし、彼女のそんな顔を見れたので良しとする。
すぐに、手は離された。スルリと、態と掌を撫でるようにして。それが、なんだか誘われている風で、らしくもないと玉は感じた。しかし、何も言わない。
「別に。ただの気まぐれだ」
「変なタイミングでの気まぐれですね」
「ところで、処女」
「はい」
「この後暇だよな」
それは、質問な筈なのに、 全く疑問文には聞こえなかった。
*
今、二人は高校から数十分歩いた先にある、小洒落た静かなカフェで向き合って座っている。
普段、友人達との寄り道。若しくは、散歩等でも、こんな雰囲気のお店に来ることが無い玉は、ソワソワと落ち着きなく、周りを見渡している。その様子を、蜻蛉は余所行きの顔で見ている。
しかし、よく見て欲しい。玉くらいになると分かるのだ。その顔に書かれている、『貧乏臭い動きをオレの横ですんじゃ無ェよ』という文字が。
暫くして、奥の個室へと通される。道を歩きながら、電話をしていると思ったら、ここの部屋を予約していたようだった。
「玉ちゃん、何が食べたいかな。好きなもの選んでいいよ。今日はオレの奢りだから」
近くに控えている女性は、『こんなに格好良くて、いいお兄さんがいていいわねぇ』といった顔でこちらを見てくる。そんな視線がいたたまれなくて、玉は急いでメニューに目を通す。
「えぇっと……。この、抹茶のモンブランと、珈琲をお願いします」
「じゃあ、オレは抹茶で」
__かしこまりました
それぞれの注文を聞くと、女性は静かに去っていく。足音が完全に聞こえなくなってから、蜻蛉の顔から余所行き顔が消える。それを見て、玉はそっと、安心したように息をつく。なんだか慣れないのだ、終始笑顔の蜻蛉というのは。
「何、安心した顔してんだよ」
「いえ。そう言えば、どうしたんですか急に。カフェで、しかも奢るだなんて」
「どうしてって言う割に、ちゃんと頼んでんじゃ無ェよ」
「だって、あの場で断ったら断ったで、蜻蛉さん怒るじゃないですか」
「当たり前だ」
いつも通りの返答に、ようやく玉の顔にもいつも通りの笑顔が戻る。
「……お前、制服セーラーだったのか」
蜻蛉は、目の前の彼女を見ながら、ポツリと言葉を漏らす。
玉は、彼の言った通り、重たそうな生地のセーラー服に身を包んでいる。同年代に比べて、若干小柄な彼女は、包んでいるというよりは、包まれている。若しくは、服に着られているという表現の方が合う。
「そうですが、知らなかったんですか」
「知ってた。けど、お前が着てるとは思わなかった」
「何です、それ」
「いつもいつも人に着物を勧めてくるから、てっきり学校の制服なんて着てられるかッ、とか言ってんのかと」
「言いませんよ。着ることは好きではありませんし」
これが彼の冗談であることは分かっているが、訂正せずにはいられない。彼女は、和服、若しくは着物、若しくは呉服が好きなわけでは無いのだ。
「あっそ。それも知ってた」
「ですよね」
すると、タイミング良く、先程の女性が注文の品を持ってきた。それに対して、蜻蛉は余所行き顔でお礼を言う。玉はそれを見ているだけ。
「__どこまで話したっけ」
「私が制服を素直に着てるんだ。でもそれ知ってた。辺りですかね」
そうそう。と、蜻蛉は頷いた後、一口抹茶を飲む。程よい甘みと苦味が広がる。彼は、和服等は嫌いだが、和風な食べ物は好きなのだ。和風というよりは、甘い物。
それに釣られて、玉もモンブランを口に運ぶ。抹茶の味が口いっぱいに広がる。部屋が、抹茶の匂いで満たされていく。
「食う」
あ、と口を開いたまま、蜻蛉は一言いう。玉は特に何も言わないまま、フォークに乗せたモンブランの一欠片を彼の口に運ぶ。
「ん。なかなか」
口の端についたクリームを、彼の舌が、口の中へと引きずり込む。赤い舌と、白いクリーム。そのコントラストが、なんだか、卑猥に見えた。
多分、彼は無意識だし、自分自身何も感じないが、こういうちょっとした仕草が、彼のオシゴトで得た経験なのだろうかと、無意味な事を、玉は考えてみる。笑顔の裏で。
「……何」
「いえ。とても美味しいですね、これ」
そう言って、彼女はまた食べ進める。しかし、蜻蛉の視線は一向に逸れない。徐々に、玉の笑みも引き攣ってくる。
「えぇ……っと……」
「……」
「蜻蛉さん?何かお喋りとか……」
「…………」
「うぅん……」
とうとう、視線に負けた彼女は口を開く。別に、そう感じただけで、それ以上は何も思ってなかったことを言語化するのは、あまり好きでは無いのだ。
「さっき、蜻蛉さんがクリームを舐めとった仕草が、とても艶かしかったので、それもオシゴトのおかげなのかなぁ、って思っただけです」
「つまり、」
すると、さっきまで無言で見つめ続けた彼は、口を開き、玉の方へと身を乗り出して来た。そして、それこそ艶かしい笑みで彼女を至近距離で見つめながら、言う。
「お前は__オレに欲情した……ってこと?」
「それは無いです」
間髪入れずに否定。
蜻蛉は表情が一転して、つまらなさそうに席へと戻る。
「だろうな。お前の事だから、本当にそう思ったってだけだろうな」
「分かってるなら、聞かないでください」
「でも、お前こういう時くらいしか表情変わらねぇだろ」
「こういう時ってなんです」
「自己完結してる事を、わざわざ言語化して他人に伝えること」
無駄だと分かっていても、一応惚けてはみたが、目の前の彼には通じなかった。図星を指された彼女は、視線を窓の外に向けながら、珈琲を口にする。
この玉という少女。基本は何事も得意の笑顔で躱していく。特に苦手なことも無いので、人の扱いに長けている蜻蛉ですら、彼女の表情を変えるのは容易ではない。しかし、蜻蛉が知る中で、唯一彼女が苦手としているのが、先の様な状況下での言語化作業。
自己完結した。つまり、もう自分の中では自己流に意見を纏めて終了させたものを、後になってから他人に、わざわざ言葉にして伝えることを、この少女は露骨に嫌がる。
「蜻蛉さんは、本当に意地悪です……」
「お前のためだよ」
「どこがです……」
拗ねたような彼女の物言いを、蜻蛉は素知らぬ顔で捌いていく。やがて、拗ねるのをやめた玉は、残りのモンブランを食べ、流し込むように珈琲を飲んだ。
「ご馳走様でした」
「ん」
それを見た蜻蛉も抹茶を飲み干し、伝票を持ってレジへと向かう。
「蜻蛉さん、ありがとうございます」
「別に」
彼は財布の中身を見ながら、何でもないことのように、興味無さそうに答える。それを見た玉の顔には、いつもの笑顔が浮かんでいた。
*
__ありがとうございました、また起こしくださーい。
店員の声を背中に受けつつ、二人は道を歩き出す。
「よし、帰るか」
「はい。蜻蛉さん、今日はお夕飯はどうしますか」
「親父さんは」
「いつも通りです」
「いないのね……。行く」
「はい」
蜻蛉は、いつも通りと答えた時の玉の顔をチラリと見たが、やがて興味無くなったのか、真正面へと視線を戻した。
彼の挿している簪が、夕日を反射して道に光を落としているのを、玉はこっそりと見て、楽しそうに笑うのだった。
「さて、ではお夕飯代として今日は着物を着て頂きましょうかね」
「着無ェつってんだろ。いい加減諦めろ」
「お夕飯代です、お夕飯代」
「さっき奢ってやったろ」