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その日、蜻蛉は部屋の扉を勢いよく開いて、こう言った。
「お前が持ってる中で一番まともな服を着ろ」
*
「……はい?」
いきなりそんな事を言われた玉は当然の如く、苦笑いで聞き返した。
「あの、蜻蛉さん。申し訳ありません、もう一度ご説明頂いてもよろしいですか」
「ちゃんと人の話を聞けよ。
いいか。お前が持ってる中で一番まともな服を着ろ、今すぐに」
やはりもう一度聞いても、意味がわからなかった。
「まずは、それが必要となった経緯から説明して頂くというのは__」
「時間が無い。取り合えず着替えろ」
「……かしこまりました」
「お待たせしました、いかがでしょう」
白い丸襟が可愛らしい、黒地のワンピースに、白色の靴下。__ピアノの発表会にでも出るような格好である。
彼女を上から下まで見た蜻蛉は一言、
「無い」
とだけ言った。渋そうな顔で。
それに対して、玉はいつも通り微笑みを浮かべ、しかし少し困った風に頬に手を添える。
「ですが最もまともなものですと……これしか。あとは制服くらいでしょうか。
そもそも、そんな服を着ていく場所が想像できま、」
「まあいい、このまま出掛けるぞ。お前の親父さんには話してある」
今日の蜻蛉はとことん話を聞かない。さすがの玉も、いつもの鋼の微笑みも若干引き攣り、苦笑いへと変わっている。それでも笑みというものが途絶えないのが、玉という少女である。
スタスタと歩き去る蜻蛉の後を追い、店兼自宅を出ると、黒いリムジンに似た車が玄関先に停まっている。玉は、それに見覚えがあった。なぜなら蜻蛉の働く店で使っている車だったから。
「あの……なぜこの車が……」
「いいから乗れ」
押し込められた。一歩間違えたら誘拐シーンである。
「まず服屋に行く」
__かしこまりました。
大まかな行先しか伝えず、蜻蛉は椅子に深く腰掛ける。やがて車は静かに出発する。
そこで漸く、玉に質問する機会が与えられる。
「蜻蛉さん、今からどこへ向かわれるんですか」
「……レストラン」
彼は不精不精といった様子で一言。
「はぁ……」
勿論、そんな単語では納得出来なかった。それは承知済みだったのか、はたまた玉の無言の圧力に耐えきれなかったのか、彼は顔を歪めながら、呟く。
「客に貰ったんだよ……めんどくせェ」
本当に心の底から面倒くさそうに説明を始める。
要約すると、彼のオシゴトのお得意様が高級レストランの招待券をくださったとか。使うのは面倒くさいし、捨てようかとしたら、店長に「後日感想を伝えろ」と命令され、強制的に行くことが決定。一枚で三人まで入れる券なので、どうせなら玉も巻き込む、否、お誘いしようと考えたわけだ。
「成程、私は蜻蛉さんに巻き込まれたと」
「人聞き悪ィな。タダ飯食わしてやるんだろォが」
そうとも言う。
さて、経緯は把握した。残すべき問題は、彼が運転手に指示した場所がレストランではなく、服屋だということ。まさか“服屋”という名前のレストランだとは言わないだろう。だとするなら、服屋とは、あの服屋だ。導き出される答えは、ひとつしかない。
「蜻蛉さん、そんなにこの服は駄目ですか」
「駄目だ。発表会に行く中学生かよ。一人でなら好きにしろ。だけど今回は俺がいる。俺はそんなのが隣を歩くなんて嫌だ」
ひどい言い草である。
数十分ほど走った後、車は行きと同様、静かに停止した。
降り立った玉が目にしたのは、服屋というにはあまりに大きすぎるビル。下手したらそこらのショッピングモールより大きいかもしれない。
そんな外装に気圧される玉を尻目に、蜻蛉は我が物顔で店へと入っていく。
__いらっしゃいませ。
二人が入ると、オールバックにスーツ姿の男が出迎える。明らかに、普段玉が行く服屋とは雰囲気が違う。
「レストランに行く。汚れが目立ちにくいので……あとあんまり派手じゃないの」
__かしこまりました。少々お待ちください。
そう言って、男性は去っていく。すると入れ替わるように、女性がやってくる。
__あちらのほうで、サイズをお測りしてもよろしいでしょうか。
「こいつだけ」
親指で指して来た蜻蛉に文句を言う暇もなく、フィッティングルームに連行される。
そして、メジャーであちこち測られ、何着も着せ替えられ、その度に蜻蛉に文句を言われること数十着。ようやく服が決定した。
紺色のノースリーブのワンピースに、白いショール。足元は、ワンピースと同色のミュール。ワインレッドの花飾りが、黒髪を彩る。
蜻蛉が疲弊しきった玉に向けた言葉は
「まぁ、マシ」
のみだった。だがそれに突っ込む余裕すら無いほど、彼女は疲れ切っていた。
__それではお会計ですが、
「カードで一括」
財布を出す暇も与えては貰えなかった。彼の後ろにいたので正確には見えなかったが、普段の買い物よりも零が三個ほど多く見えたのは勘違いであってほしい。
「よし、行くぞ」
「あの、お金払わせてください」
さすがに、奢られっぱなしは気分がよくなかった。
が。
「……お前、これ見ても同じこと言えんのか」
彼がおもむろに取りだした領収書の額に、玉の顔から笑顔が一瞬消えた。
「えっと……」
すると、蜻蛉は小さく笑って、彼女の手から紙を抜きとる。
「お前のそんな顔久々に見た。
別に金はいい。一応今回は付き合わせてるしな」
その言葉に玉は、複雑そうな顔をしながら、
「ありがとうございます」
と述べた。
久々投稿です。
2に続きます!!