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その日、玉は茶色の卓袱台を挟んで向かいに座る、蜻蛉に向けて、『独り言』を言っていた。
「あのですね、蜻蛉さん。今日の朝の読書時間なんですけど__」
*
「朝の読書時間なんですけどね、私のクラスのとある男子生徒が、
「……え、名前ですか?それはプライバシーにも関わりますよ。では、仮にA君とでもしましょう。
「ふふ、なんだか推理もののようですね。実際は謎なんて何もありませんけど。
「それで、そのA君がですね、朝の読書時間に漫画を読んでいたんです。
「何の漫画か?今日の蜻蛉さんは、やけに変な所にツッコミますねぇ。
「……あぁ、漫画でしたね、はい。確か、今話題の少年漫画だったような……。
「『お前が知らないだろうことは予想していた』って……。それだったら聞かなくてもいいじゃないですか。
「本題がすぐ逸れますね。
「それで、その漫画を持ってきて、あろう事か読んでいたA君を、勿論。当然の如く、または必然的に。先生はお叱りになりました。
「『朝読書の時間なのに、お前が読んでいるそれはなんだ』でしたかね。その先生が仰ったのは。
「『漫画です』と、馬鹿正直にも答えた件の彼に、先生はそれはそれはお怒りになりました。
「ふふ、まぁ確かに蜻蛉さんの言う通りですね。彼は先生の怒りに油を注いだのですから。自業自得と言えなくもありません。
「そうそう。そしたら先生は更に仰ったんです。
「『朝の読書とは、自分を高めるためにある。それなのに漫画等という、全くもって為にならない本を読むとは何事だ』と。
「A君は、朝の読書時間が終わったら、職員室に連れていかれました。
「と、まぁ。ここまでがあらすじです。
「そこまではいいんです。何も問題はありません。
「漫画を禁止されている時間に読んだ彼が悪いという話ですから。
「……あれ?お話していませんでしたっけ。私の学校では、朝の読書時間に漫画を読むことは禁止されています。正確には、《全ページにイラストの載った本》です。なので、絵本も禁止です。
「『とあるページを文字だけで埋め尽くすという蛮行を行っている本はどうなのか』って?
「……どうでしょう、そのような本には未だ出会ったことがありませんから。
「ですが、先生達の言い分としては、そんなページがあったとしても漫画であると判断ができれば、それは禁止なのではないですかね。
「『校則の意味が結局無い』。確かにそうですね。要はイチャモンを付けたいんでしょう、先生方は。
「……それでですね。私が蜻蛉さんに聞いていただきたい『独り言』っていうのは、その先生が仰った言葉に対する、私の些末な疑問なんです。
「『漫画は為にならない』。この言葉です。
「私が言いたいのは、『漫画だって為になります』なんて、陳腐な言葉ではありませんよ。
「『為になる本とは何ですか』ですね。私が言いたいのは。
「このご時世、漫画が為にならないと考える人は多いんでしょうね。
「歴史漫画だったりの一部例外を除いて、大抵のものはフィクション、お伽噺、作者の作り物ですから。
「歴史的事実だったり、今後の人生に役立つものが詰まっているのかと問われれば、簡単にイエスと答えるのは難しいです。
「まぁ、歴史的事実だったりが今後の人生に役立つとも、私はあまり考えられないと思いますが……。
「まあ、それは置いといて。
「取り敢えず、漫画が為にならないを、肯定するとしましょう。
「では逆に、為になる本とは一体、何でしょう。
「辞書・図鑑・哲学書・教科書・古典文学……。そういうものですかね。
「でも、実際的にそれはなんの為になるのでしょう。
「例えば。
「辞書や図鑑は、知識になりますね。言葉や物事を知っているのは大切です。
「でも、それらは日常的に、平凡的に生活しているならば。ある程度、普通に暮らす分は無意識的に知識として身についているものですよね。
「少なくとも私の知識の大半は、きちんと統計を取ったわけではありませんが、恐らくそうでしょう。
「例えば。
「哲学書や古典文学なんて言うものは、学校の授業で役に立ちます。将来的に、そういった方面に進む人の役にも、立ちます。
「ですが、それ以外の人は?
「古典文学を知っていたからと言って。ましてやそれについて、一般以上の知識を持っていたとして。何の為になるのでしょうか。
「ただの要らない知識に成り下がります。脳の記憶容量を無駄に喰うだけです。
「では、最初に叱られた漫画です。
「まずはそれがもたらすデメリットから。
「正確では無いかもしれない知識を覚えてしまいます。ファンタジーの世界にばかり目を奪われ、思考を犯されます。
「次にメリット。
「大人が好きそうな言葉で表すならば、感受性豊かになるのではないでしょうか。それと、普通の勉強では得られない目線からの考えが出来るようになるかも知れません。
「尚、ここまでお話した漫画や、図鑑・哲学書などのメリットやデメリットについては、あくまでも。私の考えですので、お忘れなきよう。
「……前置きはこの辺りにしておきましょうか。
「さて、ではこれらの前置きを踏まえた上で再度問いましょう。
「『為になる本とは、一体何を指しますか?』」
*
玉が全て語り終えた後、蜻蛉は彼女の顔を見る。
そこには、いつも通りの__否、いつもよりも三割増しくらいの、笑顔が浮かんでいた。
前半あたりから既に聞く気が無く、ウトウトしていた蜻蛉は、欠伸を噛み殺しながら彼女に問う。
「__で、結局のところ。ここまで長々と心にも思っていないだろう疑問について、懇切丁寧に語ったお前だが、」
言葉を切り、次は噛み殺すこと無く、堂々と欠伸をする。
「何が言いたい」
問うたはずなのに、逆に問われた彼女は、しかし、笑みを崩すことなく言う。
「分かってらっしゃるんでしょう」
「いや、全くもってさっぱりだ」
腕を広げながらの、随分と態とらしい彼の物言いに、彼女は急須の中のお茶を注ぎながら、答える。
「あら、白々しいですねぇ。……それで、私が言いたい、本当のことでしたっけ」
二人分注ぎ終えると、一つを蜻蛉の前に差し出し、もう一方は自身の口元へと持っていく。
一口だけ口に含んでから、言葉遣いが悪いのですが、と前置きしてから彼女は告げる。
「『なんの本も大して役に立たねェよ』」