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大遅刻です…
その日、玉は百円均一の店に来ていた。デカデカと設置された季節モノのコーナーに置いてあったある物を見て、彼女は足を止める。
「あ、これは似合いそうですねぇ……」
*
「こんにちは、蜻蛉さん」
特に宛もなく商店街を歩いていた蜻蛉に声を掛けたのは、いつも笑顔を浮かべている少女だ。普段なら憎まれ口なんかを挨拶代わりにかけるのだが、彼は少女の姿を見て硬直した。
後ろから声を掛けた少女は、肩口で切りそろえられた烏の濡れ羽色の髪に、学校指定のセーラー服。別段おかしな点は無い。では、何が蜻蛉を硬直させたのか。
彼はゆっくりと視線を彼女の頭部へと向けていく。蜻蛉の肩あたりに届くくらいの背丈。それが今は、なんと、伸びていた。……否。
「……おい、処女。なんだそれは」
そう言って、蜻蛉は彼女の背丈を伸長していたモノ__先の尖った、黒い三角帽子を奪い取る。
それは、薄っぺらいビニールで作られた安物だ。黒いだけでは味気が無いからか、明らかに後付けされたピンク色のリボンが目を引く。
「あ、取らないで下さいよ」
ひょいと、いとも容易く彼の手から帽子を取り返すと、彼女は再び自身の頭へとそれを被せる。
「なんだ、それは」
「帽子です、魔女の。可愛いでしょう」
彼女は鍔に両手を添えて、若干首を傾げる。その可愛らしい動作に、しかし蜻蛉は顔を歪めるだけだった。
「なんで、そんな格好しているかを聞いてんだよ」
「お手伝いですよ。ここの商店街のハロウィンイベントの」
そう言って彼女が差し出したのは、ファンシーなカボチャが描かれたチラシだった。
今日は十月三十一日。外国で言うお盆のようなものだったか。しかし、彼はそんなイベント事に頓着する質ではない。そしてまた、目の前の少女も然りだ。
「ここのおば様にはお世話になっていますから。今日だけ臨時の看板娘のようなものです」
「にしても、もう少しやるならやれよ」
セーラー服に魔女の帽子を被っただけ。やる気のなさが伺える。
「とは言っても、そんな衣装なんて持っていませんし、何より少し恥ずかしいですよ」
「はッ。お前にも羞恥心とかあったのか」
「あらまぁ。蜻蛉さんの中での私の印象とは一体……」
頬に手を当てて優雅に微笑む彼女は、例によって例の如く、全くもって怒っているようには見えない。
「具体的には何すんだよ」
「ただ店先に立って、お店をご覧になるお客様をご案内するだけですよ」
あとは、蜻蛉さんにも渡したチラシ配りです。
彼女の手には、まだまだ大量のチラシが残っていた。
そもそもここの商店街は、老人が多く殆どの人間が顔見知りだが、観光都市では無いため、常連以外の客が増えることはそう無い。……顔見知りとは言ったものの、人嫌いの蜻蛉は知り合いなどいないに等しい。しかしながら、通学路としても利用し、また愛想のいい玉は、ここの老人達に可愛がられている。
「……ここらの婆さんとかにチラシ貰ってもらえ無ェのか」
「今日はハロウィンですから。ご近所のお子さん達に配るためのお菓子を作っている方が多いようで、あまりお買い物にはいらっしゃらないんです」
彼女は残念、と言う風に眉を下げる。その様子を蜻蛉はつまらなさそうに見る。
「ふぅん。ま、じゃあ続きも頑ば、」
「あ、蜻蛉さんもやって行きませんか」
帰ろうとした彼を引き止めた少女は、楽しそうに笑って提案する。足を止めた彼は、ヤクザ顔負けの眼光の鋭さで玉を睨みつける。
「は……」
「ふふ、先日この帽子を買いに行った時に、蜻蛉さんにも似合いそうなものを買ってきたんです」
勝手な真似をするなッ。
そう言おうとしたが、彼女が店に荷物を取りに行く方が先だった。
間もなく戻ってきた彼女が持っていたのは、薄茶色のカチューシャ。男に対して渡すものがカチューシャだった事だけでも充分違和感があるが、問題はそれの形状だ。てっぺんには、同色の三角形の飾りが二つ、付いていた。三角形の飾りは、前後が分かるようにだろうか、それぞれの飾りの片側には一回り小さい白い三角形の布が縫い付けられていた。どう見ても__動物の耳を模している。
「狼男だそうです。お似合いだと思いますよ」
「お前……いい度胸してんじゃねェかよ……」
イライラした表情の彼に臆することなく、少女は続ける。
「本当は首輪付きもあったんですが、それは蜻蛉さん嫌だろうと思いまして。こちらにしました。黒だと本物にしか見えないので、あえて作り物らしさを出すためにも薄茶色にしましたよ」
その目には、絶対に逃がさないと書いてある。ように見えた。
普段は誰の言うことも、大抵はイエスで答えるが、たまに融通が効かず、自分の意見を無理やり押し通そうとする気があるのだ、この少女は。
半ば強引に握らされたカチューシャに、蜻蛉は心底嫌そうな顔をする。しかし、目の前のセーラー服魔女は、拒否することを拒否すると言わんばかりの笑顔でこちらを見つめてくる。
*
「いらっしゃいませ」
「蜻蛉さん、もう少し愛想よくしましょう」
商店街に並ぶ店の一つ。その店先には、小さな魔女(但し帽子のみ)と、長い髪を簪で緩く留めた狼男(但し耳のみ)が並んで立って、チラシを配っていたとか。
「家に帰ったら、栗を食べましょう」
「南瓜は」
「嫌いですねぇ」
「お前、来年からはハロウィン参加すんな」