夢の続き
まだ冬の寒さが残る三月の暮れの事だ。
俺は高校を無事に卒業できた。
卒業式が終わり、その余韻に浸るために学校の屋上に足を運んでいた。
空はうっすらと茜色に色付き始めていて、眼下に広がるグラウンドでは一年生と二年生が部活動に励んでいる。
もうこの景色も見納めなんだなと思うと、何だか寂しい。
そんな中、立て付けの悪くなった扉がギィと錆び付いた音を立てた。
「葵か」
音を立てた正体は幼馴染みの相葉葵だった。
肩甲骨に届くぐらいの茶髪に、耳にはお気に入りと豪語していたピアス。スカートは何回も折っていて、校則ギリギリの長さ。ジミーと呼ばれる俺とは正反対の垢抜けた奴だ。
「隣いい?」
「なんだ泣いたのか?」
葵の薄化粧は涙のせいで崩れていて、そのくりくりした猫みたいな瞳は赤く腫れている。
「もう、うるさいなぁ」
葵は唇を尖らせながらそう言い、俺の隣に体育座りした。バーバリーのマフラーに顔をうずめ、コチラをむーっと睨んできた。
「なんだよもういいのか?」
友達の少ない俺と違って、コイツは色々と後輩やら仲良しグループの友達なんかと積もる話があったりしそうだが……。
「ボッチで可愛そうな颯君とお喋りしに来てあげたんですー」
「別にボッチじゃねーよ、木村とか上木とか、友達ぐらいいるわ」
「うわ、出た! オタクトリオ!」
「うっせ、お前だってオタクだろ」
クラスの中心、リア充グループに所属している葵だが、見た目に反してコイツも俺と同類のオタク。
しかも、コイツは声優志望の美少女ゲーム好きだ。
人は見た目によらないと言うが、コイツは大概な気がする。
「むぅー。ねぇ颯君」
葵の視線はグラウンドに向けられたままだ。
「何だよ」
俺は仰向けに寝転んで空を仰ぐ。ちょうど飛行機雲が流れていて、その先を目線で追う。
「颯君は仕事決まってるんだっけ?」
「そうだ」
俺は高校生の身ではあるが、イラストレーターだ。
そして、とあるゲーム会社に絵を送ったところ、原画師として仕事のオファーがあり、内定が決まっている。
「いいなぁ、あたしも好きなことを仕事にしたいなぁ……」
前述したとおり、葵は声優志望。そう、志望だ。養成所に通っており、学校と同じく卒業らしい。
そしてこの話題を振ってくると言うことは、夢を実現できてはいなさそうだ。
「ねぇ、颯君。私が帰っちゃったら寂しい?」
「別に」
俺も葵も田舎出身だ。
俺が東京に行くと言い出してから、葵も一緒に行くと言いだし、一緒に上京した。
葵の父親はかなり厳格な性格で、俺についてくるのに苦労したらしい。
何だかんだいつも一緒にいるコイツがいなくなるなんて、現実味が無くて想像できなかった。
「はぁー、もう、ほんと颯君ってつれないんだから!」
葵はバッと急に立ち上がって、扉の方へと歩き出す。
短いスカートがヒラヒラと揺れ、隠された三角の布がチラチラと見える。
パンツも外見で判断しちゃいけないんだな。
「おーい、パンツ見えてるぞ」
「もー、死ねっ!」
親切心で教えてやると、不意に缶ジュースが投げつけられて俺の鳩尾にクリーンヒット。
声も発せない鈍痛にうずくまっている中、背後で扉の軋んだ音が鳴った。
痛みが落ち着いたころ、俺を襲った缶ジュースに目をやる。
「コーラかよ」
結局葵のヤツ、何しに来たんだ……?
◇ ◇ ◇
――ジリジリジリ!
けたたましい騒音をまき散らす目覚まし時計によって、俺は叩き起こされた。
元凶であるデジタル時計を覗くと、時刻は四月一日、午前十一時と表示されていた。
雨戸を閉じているので部屋を照らすのはパソコンのディスプレイのみ。スクリーンセイバーが仕事をしていて、画面には泡が転がっていた。
卒業式のあの日から一週間が経った。
葵とはあれから連絡を取っていない。
バイトの時間まであと三時間あるし、昨日の続きを進めないと……。
鉛の様に重い体を起こし、足を引きずりながらデスクに着く。
マウスをクリックし、スクリーンセイバーを解除。すると画面いっぱいに作業途中の俺の絵が展開される。
美少女ゲームの挿絵をここ最近やっていたのだが、思うように仕事は進んでいなかった。
そんな時、デスクの上にほったらかしてあったスマホが鳴動した。
表示された名前はディレクター。俺の上司、に当たる牧場さんだ。
なるべく寝起きだと間取られないように電話に出る。
「はい、柳町です」
『もしもし、颯太君? あ、寝起きだった?』
努力は虚しく一瞬で看破されてしまった。
「そうですね、今起きたところです」
『はは、悪いね。そうそう、声優さん決まったからボイスサンプル聴いてみてよ。絵の材料になるんじゃない?』
どうやら、牧場さんが電話してきたのは、オーディションの結果待ちだった声優の件らしい。
「わかりました」
『スカイプに送っておいたから! じゃあね』
そういって通話は切れる。
まだ霞む眼を手で擦りながら、牧場さんの言うボイスサンプルとやらをダウンロードする。
ヘッドフォンを装着し、ダウンロードし終わったボイスサンプルを再生する。
「これは……!」
攻略対象外のサブヒロイン役に抜擢されていたのは、聞き覚えのある声だった。
表記されている芸名だが、間違いなく葵の声だ。俺が聞き間違えるはずがない。絶対にだ。
思わずヘッドフォンをデスクに放り投げ、スマホを手に取る。
「いやいや、落ち着け俺」
葵に電話しようとして、踏みとどまる。
葵にこの話がまだ行ってなかったら、俺の口から採用の旨を伝えるのは良くない。
クラスでは遊んでいる様に見えるアイツだが、その裏では練習に打ち込み、努力しているのを俺は知っている。
だからこそ、採用の話は事務所の方から伝えられるべきだ。
それに今日は四月一日。エイプリルフールだ。
午前中は嘘をついて良い、そして午後にそのネタばらしをするという日だ。そこにはルールがあって人を不幸にさせる嘘をついてはいけないというものがある。
例え真実だとしても、タイミングが悪すぎる。
「やめておこう」
自分に言い聞かせるように呟く。
そういえば、このまえ葵と買い物に行ったとき、ピアスを買って欲しいとせがまれたっけな。
あの時は自分で買えって一蹴したが、プロデビューのお祝いという事なら悪くない。
急遽予定を変更。絵の作業はバイトから帰ってきてからに後回しだ。バイトまでの空いた時間で葵のプレゼントを探す事にした。
出掛ける支度を済ませ、靴を履いているところでジーンズに潜り込ませたスマホが震える。
「牧場さんか?」
答えはノーだ。着信画面には相葉葵と表示されていた。
『颯君』
電話に出た瞬間、名前を呼ばれた。
「どうした?」
「颯君、私ね、家に帰らなきゃいけなくなっちゃった」
言葉とは反対に葵の声音は軽い。
あれだけ一生懸命に声優を目指す葵が実家に帰るなんて考えられなかった。
そうか、エイプリルフールの嘘だな。
「お前、今日が何の日か知ってるか?」
『えへへ、颯君にはお見通しかぁ。ねぇ、仕事は順調?』
「あんまり」
『そっか、がんばれやーい。じゃあね颯君』
「おう」
そう言って通話は切れる。
腕時計を見ると時刻は正午を二分過ぎた所だった。バイトまであと二時間、アイツのプレゼントを選ぶには十分だ。
◇ ◇ ◇
喫茶店の扉を開けるとカランコロンとドアベルが軽やかな音を奏でる。
扉の先には燕尾服に身を包み、コーヒーカップを磨くマスターの姿があった。
店内を見回すが客の姿はない。椅子と机は綺麗に並べられおり、天井に吊されたシーリングファンが空虚に回っている。
「おや、颯太君、随分と降られたみたいだねぇ」
店長は一度奥に引っ込んでから、ハンドタオルを持って出てくる。
俺はタオルを受け取り、頭を拭く。
「散々ですよ、天気予報とか見とけばよかったです」
お天道様がぐずったのはちょうど葵のプレゼントを買った辺りだった。
駅に付随したデパートからこのバイト先まで徒歩十分。走れば五分程だが、それでも俺が濡れ鼠になるには十分な降水量だった。
「あれ店長、葵のヤツはまだ来てないんですか?」
颯君が働ける場所なら私も働けそうと言い出して、葵がここで働き出したのは二年前の夏ぐらいたっか。
「なんだ葵ちゃん、颯太君には話さなかったのか……」
マスターはコーヒー豆をハンドミルで碾きながら言う。
口ぶりから察するに、葵は来ない?
「言わなかったって、何がです?」
「いやぁ、田舎に帰るという話だよ、てっきり颯太君には話しているものだとばかり思っていたよ」
あの電話は嘘じゃなかったのか!
「それっていつですか?」
「三十分後だよ、前から聞いてはいたんだけど、十分くらい前に葵ちゃんが来て教えてくれたんだ」
あの馬鹿、デビューが決まっておいてなんでだよ……。
「そうか、まだ知らなかったんだ!」
その回答に辿り着くのに時間は有さなかった。
アイツは自分が採用されている事をまだ知らない。そしてそれはあの頑固で厳しい親父さんも一緒だ。
卒業してデビューの芽がないと分かれば呼び戻しそうだ。
それに、例えデビューが決まったのが分かったとしても、また都会に出ることを許すとは思えない。
後三十分だと? ふざけやがって。
お前、ここで帰ったら絶対に後悔するぞ。
止めてやらないと、それがアイツのためになるはずだ。
葵は十分前にここに来て、駅へ向かった。徒歩と走りなら少しはその差が埋められる。
まだ十分間に合う。
「マスター、今日やっぱシフト出れそうにないです、すいません!」
自分勝手だと分かっているが、こうする意外に手段はない。
「今日は雨でお客さん来ないからねぇ……、見送りだろう? 行っておいで」
「ありがとうございます!」
俺はマスターに深く頭を下げて、店を飛び出した。
天気は最悪だ。
雨足は強く、季節も相まって肌を掠める風はなかなか冷える。
傘をさして歩く人の合間を縫うようにして走る。普段運動しないせいで、心臓はすでにバクバクと大げさに脈打ち、酸素が足りてないのか腎臓が痛む。
それでも足を止める訳にはいかない。
駅まで五分弱。そこから葵を探すんだ、時間なんてあればあるだけ良いに決まっている。
全力疾走の挙げ句、俺が駅に到着したのは三時十二分、マスターの言った時間まであと二十分を切った所だった。
ここまで来てようやく葵に電話を掛ける発想に至る。
すぐさまポケットからスマホを取り出し、葵へと発信する。
呼び出し音が五回ほどループしたところで通話を切る。駄目だ出ない。
仕方ない、ホームまで行ってみるしかないな。
急な雨というのが影響しているせいで、駅の中はいつにも増して人でごった返していた。
この人口密度を掻き分けて進むのは厳しい。流れに身を投じて少しずつ歩く。
時間はジリジリと進み、それが俺の焦燥感を駆り立てる。
人混みを抜け、新幹線乗り場へと進む。
残る時間は、あと十五分。
◇ ◇ ◇
新幹線の発車五分前のアナウンスがホームに響く中、葵を見つけた。
葵はホームに備え付けられた椅子に座っており、イヤホンで両耳を塞いで俯いていた。横には白いキャリーバッグが置いてある。
俺の存在に気づいた葵が顔を上げ、視線が重なる。
「颯君、何してるの? バイトは?」
イヤホンを外しながら浮かない顔で葵が言う。
「サボった」
「そんなずぶ濡れになって、傘は?」
「ない。そんな事より、何でちゃんと言わなかったんだよ」
「ちゃんと言ったよ? ちゃんと言った。勘違いしたの颯君でしょ」
「うぐっ……!」
それについては言い返せなかった。エイプリルフールだからと勝手に決めつけたのは俺だ。
「つーか、何で急に帰るとか言い出してんだよ、お前声優になるんだろ」
俺の言葉にムッときたらしく、葵は立ち上がって両手で俺の胸ぐらを掴んでくる。
その瞳には涙が堪えられていて、今にも溢れそうだった。
「颯君に何がわかるの! 成功してる颯君にあたしの事がわかる!? わかんないでしょ!」
ついに葵の瞳から涙が零れる。
俺はコイツが遊びを我慢してまで努力している事を知ってる。養成所に行く金を負担するために俺の倍シフトに入っているのも知ってる。
その上で、実家に帰らなきゃいけない悔しさだってわっかているつもりだ。
「……後悔するぞ」
俺の口からデビューが決まっている事は言えない。けど、ここでコイツを止めなきゃいけないのも同じくらい絶対だ。
「何でよ、何で言い返してこないの。こんなの……ずるいよ」
葵は俺を突き放し、キャリーバッグを手に乗車口へと向かう。
同時に出発のアナウンスが流れる。
このままじゃ葵が帰ってしまう――。
葵がステップに足を掛けたタイミングで、空いてる方の手首を掴み、引き寄せる。
「ちょっと!」
葵を抱きしめるのと同時に、新幹線の扉が閉まった。
「俺はお前の事をわかっているつもりだし、誰よりも応援してる。だから帰って欲しくない」
小っ恥ずかしいけど、素直な気持ちをぶつける。
「ビショビショの服で抱きしめるなんて、最悪の選択肢だよ、颯君は本当に……分かってない」
葵は俺の肩をおでこで頭突きながら、顔を埋めてくる。
「行く当てなんてないよ」
「俺のとこにこいよ」
「お父さんに何て言い訳すれば良いの?」
「おっかないけど一緒に謝ってやる」
「……責任取ってよね」
葵が背中に手を回してくる。
「善処します」
俺は葵の頭を撫でながら、新幹線がホームを出て行くのをざまぁみろと見送った。
◇ ◇ ◇
あの出来事から一日が経過した。
当然葵の親父にはムチャクチャ怒鳴られたが、それで葵が夢を諦めずに済んだと思えば安いもんだ。
当の葵はと言うと、事務所に挨拶に行ったきりだ。
俺は相も変わらず仕事を進めている。
「ただいまー!」
突然部屋の扉が勢いよく開き、葵が顔を覗かせた。
葵は靴を脱ぎ散らかし、上がり込んでくる。
「で、どうだ? 帰らなくてよかっただろ」
そう言うと葵は向日葵みたいな笑顔を浮かべ、
「颯君愛してるぅ」
そう調子の良いことを言うのだった。
その耳には新しくお気に入りの称号を授かったピアスが輝いていた。
-Fin-
どーも、空庭真紅です。
はじめて短編書きましたけど、なかなか難しいですね。
リハビリの一環という事で、三題噺を書いてみました。
小道具の扱いにまだ未熟さを感じる今日この頃です。