元魔王だってお腹は空きます
先刻まで激戦が繰り広がられていた森の一角に、賑やかな人だかりができていた。
人だかりの中心には、かつてこの森に君臨していた巨大な猪が横たわっている。
「おーい、こっちにも縄を一つ頼む!」
復興作業を行っていた村人たちも全員一度手を休め、猪の解体作業へと借り出されていた。
今はこの場所からランページボアの死体を移動するために、皆で猪の体に縄をくくりつけているところだ。
「エリーゼさん、ちょっと待っててくだせぇ。夜までには美味い猪鍋を振舞えると思うんで」
ぼーっとその光景を眺めていると、額に汗を浮かばせながら今まで作業をしていたおじさんがにこやかな笑顔で声をかけてくれる。
「おぉ、楽しみにしておるぞ」
私がヒラヒラと手を振ると、おじさんは嬉しそうに拳を突き出して返事をし、また作業へと戻っていった。
自警団の者たちにドン引きされた時はどうなるかと思ったが、一応村の人たちにはまだ好意的に受け入れられているらしい。
これも恥を忍んで、私がいかに怖くないか、凶暴でないかを延々と説いて聴かせて甲斐があったというもの。
何人か私の力に納得せず渋っていた者もいたが、笑顔で詰め寄ったら納得してくれた。
脅迫、もとい説得した自警団の者たちの援護もあり、とりあえずランページボアを単身撃破したことについては追及を逃れることができた。
むしろ、こんな相手を倒せる人が村の用心棒を務めてくれるなんて頼もしいと歓迎されるレベルだ。
いくらなんでもおおらかすぎるんじゃないかこの村の人たちはと少し心配になる。
そんなんだから盗賊に攻め込まれてしまったんじゃないだろうか。
「それ、全員引っ張るぞ! せーの!」
移動するための準備ができたようで、村の男衆が力を合わせ、猪にくくりつけた縄を引っ張った。
ずるずると音を立てて、巨大な肉の塊が地面を擦りながら村の方へと運ばれていく。
「こうしてみるとなかなか壮大じゃの」
私も手伝いを申し出たが、村を守ってくれた英雄に肉体労働までさせられないと断られてしまった。
ちなみに村の女性達は運び込まれた猪を調理するために、村の方でご飯の用意をしているらしい。
そちらの手伝いも断られてしまったので、仕方なく万が一魔物が出てきた時のためという名目でこうして作業を見守っている。
「こんな大物が倒された以上、しばらくはこの付近に魔物なんぞ一切近寄らんだろうがな」
移動するだけであれだけの規模の魔物の群れを動かした個体だ。
それが倒されたとなれば、いくら知能の低い魔物達といえど警戒してしばらくは距離を置くだろう。
「目が覚めてから忙しなかったし、少しゆっくりするかの」
のんびり猪が引きずられていく様を眺めながらも、頭の中ではあの老猪との戦いを経て、新しくい浮かんできたいくつかの疑問がぐるぐるとまわっていた。
詳しいことは後で村長に話を聞いてから考えるにしても、今のうちに少しだけ情報を整理しておきたい。
気になるのは、あの魔物だけ他の魔物とは隔絶した強さを誇っていたことと、私を狙ってきた理由、そして自警団の者が口にしていた旧種という言葉の意味。
「最初と最後の疑問は、まぁ単純なんじゃがな」
私の考えが正しいのならば、人間との力関係による能力の調整が入るのは産まれた時。
あのランページボアはその見た目からしても、ここまで大幅に人間の力が落ちる前に生まれた個体だったのだろう。
そして旧種とは、あの猪のように私の時代並みの能力を未だに有している魔物や魔族のことを指すといったところか。
「問題は私を狙った理由じゃな」
最初は、昨日盗賊相手に放った魔法の魔力につられたかと思った。
けれど、限界まで力を抑えて使ったあの程度の魔法であんなものを呼び寄せるとは考えづらい。
となると他に思い当たるのは私の封印が解けたことだが、それだけではなぜあそこまで私を目の敵にしていたのかがわからない。
と、そこまで考えを巡らせていた時、唐突に響いた音が意識を思考の海から引きずり上げた。
盛大に鳴った腹の音に、知らぬ間にお腹が空いていたことを気付かされる。
思えば封印を解かれてから何も口にしておらず、そのままあの戦いに身を投じていたのだから、腹が減っていて当然だ。
恥ずかしさに耳まで熱くなるのを自覚しながら、誰にも気がつかれていないかと控えめに辺りを見回す。
すると、先ほど私に笑顔で脅された自警団の一人が、仕返しとばかりに笑顔でこちらを見ているのと目があった。
「エリーゼさんも、意外とかわいいところあるんですね」
「そうじゃろう、私も年頃の女だからな」
私もニコリと笑顔で返しながら、後で独自開発した洗濯魔法の刑に処してやることを心の中で誓った。
「護衛お疲れ様です、エリーゼ様」
村の入り口が見えてきたので、先に戻って猪の到着を伝えに来たところ、イルシアが私の姿を見つけて駆け寄ってきた。
「私はほぼ散歩していただけだがの。そろそろ男達も到着するぞ」
「ちょうどよかったです。こちらもほとんど用意が終わったので」
その言葉を裏付けるように、村の中からは良い匂いが漂ってくる。
あの猪を料理するとなると膨大な量になるので、今は焼け残った調理具をかき集め広場で大規模な調理をしているらしい。
「しかし食材の残りはあったのか? 食料庫も焼け落とされていたのだろう?」
「それなんですけど、盗賊達も村を占領した後の食料を確保するために、事前に運び出していたみたいです。それでも結構な食材が焼けてましたが、エリーゼ様が倒した猪肉を追加すればかなりの量になりますし」
イルシアは、食糧難まで解決してしまうなんてさすがエリーゼ様ですと続ける。
「この村の者は人を簡単に褒めすぎではないか? おだてられすぎて鳥肌がたってきたぞ……」
慣れない環境にすこしげんなりした表情で愚痴をこぼす。
褒められすぎるというのも、それはそれで居心地の悪いものだ。
「それはそうですよ。みんな気を使って言わないですけど、普通、旧種を一人で討伐するなんて国の英雄レベルですからね」
イルシアに少し目線を逸らされながら言われた言葉に、ぎくりと表情を強張らせる。
「……そうじゃ、昨夜から何も食べてないので、もしつまめる物があったら少しもらえると助かる」
「話をそらしましたね」
露骨に話題を変えようとしたところを、軽くジト目で睨まれた。
正体を隠したいならもう少し気をつけた方がいいですよと忠告されてしまい、しょんぼりと肩を落とす。
「歴代最高の叡智を持つ魔王と呼ばれた私が、年端もいかない娘にさとされるなど……。所詮私も奴らと同類だったということか……」
口を開けば戦いだの力だの言っていた連中の顔を思い出し、自嘲気味に空を仰ぐ。
今後はより一層力の制御に気を使おうと固く誓った。
「なにをぶつぶつ呟いているのかはわかりませんが、お腹空いてるのならこれどうぞ」
一人自己嫌悪に沈んでいる私に、いつの間に持ってきたのかイルシアが握りたての白飯を差し出してくる。
ありがたくそれを受け取りかぶりつくと、ちょうど良い塩味が口の中を満たしていった。
「……うむ、美味しいぞイルシア」
「ただの握り飯ですけどね。本番はこれからですから、楽しみにしていてください」
そう言って笑うイルシアの言葉を聞いて、再び私はお腹を小さく鳴らした。