約束を果たす時
カルツの腕に抱かれてぐっすりと眠っているウェルを一瞥してから、踵を返し少し離れた場所にいるイルシア達のもとに向かう。
霧が晴れたとはいえ夜の暗闇は色濃く、燃え残った炎だけでは彼女達の表情をうかがうことはできない。
とはいえ、その雰囲気から警戒されていることはなんとなく伝わってきた。
「無事でよかった、二人とも」
私が声をかけるのと同時に、シェリエはびくりと体を硬直させる。
近くまで来たことで見えたシェリエの表情には怯えと警戒が入り混じった感情が浮かんでおり、イルシアも少し強張った顔をしていた。
「……そういえば、イルシアにも全力を見せるのは初めてじゃったの」
ゲニウスと戦った時は、宿で待っていてもらったため、イルシアも私の本気を見たことはない。
その上、イルシアは私が魔族だということは知っていても、元魔王だということまでは教えていなかった。
だからこそ、この戦いで私の異常な実力を改めて理解し、彼女も戸惑いを覚えているのだろう。
「エリーゼさんには、本当に感謝しても仕切れない」
最初に口を開いたのは、意外にもシェリエだった。
さすがは領主を務めているだけのことはあるようで、シェリエは声をかすかに震わせながらも、まっすぐ私の目をみて言葉を紡ぐ。
「……だが、それだけの力を見せられて、私も黙って見過ごすわけにはいかなさそうだ」
「良いのか? 余計な好奇心は身を滅ぼすと、お主ほどの人格者ならわかっているとおもうが」
私の言葉に、一瞬のためらいをみせたものの、軽く首を振って、あぁと返答する。
「私はこのアルガスの領主だ。領民の命を脅かしかねない存在を、放っておくわけにはいかない」
「ふむ、見上げた心意気じゃな」
知ったところでシェリエ一人では私をどうにかすることは不可能だと思うが、領主として私の前から逃げ出さないでいることは素直に褒められた。
もっとも、この提案も私が敵に回ることはないと確信しているからなのだろう。
「……エリーゼさん、あなたは一体、何者なんだ」
腹の探りあいは一切せずに、シェリエは一直線に核心を付いてきた。
それに答える前に確認しなければならないことがあると、シェリエの後ろで黙っているイルシアへと目を向ける。
「イルシア」
私に声をかけられ、彼女はぴくりと肩を動かす。
「おぬしには、私の正体を聞く覚悟があるか?」
かつて私が目覚めたあの村で、イルシアを友と認めたあの夜にした、時が来たらいずれ正体を明かすという約束をどうやら果たす時がきたようだ。
あの時は、正体を明かせば確実に恐怖を覚えられ、友好を深めることは不可能だと思って答えをぼやかした。
だけどいまは違う。
短い間とはいえ共に時を過ごし、共に苦難を乗り越え、彼女が持つ芯の強さを私も理解していた。
「……はい。エリーゼ様が何者であろうとも、あなたが私の親友だということには変わりませんから」
そんな私の期待に応えるように、イルシアは曇りのない目でまっすぐ私の目を見つめ、力強くそう言い放つ。
その答えに満足し、うむと笑顔で頷いてから、改めてシェリエの方へと向き直った。
「かつて、この世界が大崩壊という災害を迎える前、人と魔族による戦争が絶えず続いていた。その事は知っておるか?」
「……伝え聞く程度には」
「よかろう、話を続けようか。その戦争で、人間は勇者という切り札を、そして魔族は魔王という切り札を持っていたのじゃ」
話の流れが見えてきたのだろう。
私の言葉を受け、シェリエの瞳には今日一番の驚愕の色が浮かび上がった。
「私が何者なのかと問うたな。ならば答えようではないか。私は三百年前、人類最大の敵として君臨し、長い歴史の中でたった一人、勇者が滅ぼす事のできなかった魔族の王」
初めてイルシアと出会った時と同じように、声に威厳を漲らせ、聞くものに畏怖を与えるように言葉を放つ。
「よく覚えておけ人間。今おぬしの目の前に立つのは、最強と謳われた魔王そのものじゃ」
ニヤリと唇の端を持ち上げ、底冷えするような声で自らの正体を明かした私の言葉に、シェリエは完全に硬直していた。
その端正な顔を、青を通り越して白く見えるほど血の気を引かせながら、ぶるぶると体を震わせている。
……ちょっとやりすぎたかなと思いつつ、最近溜まっていた鬱憤を晴らせ気分が良くなった私は、ふぅと小さく息をついて、ちょっとだけシェリエから目線を横にずらした。
「なんていうのも今は昔。魔王というのは元だし、最近の私の肩書きは最低ランクの冒険者じゃけどな」
気分が良くなった結果、自虐ができるほどには心の余裕ができたようだ。
張り詰めた空気をほぐそうと、体を張って笑いを取ってみる。
「「……」」
「……すまぬ、空気が読めておらんかったようじゃ」
どうやら脅しすぎたようで、冗談を言ったつもりがシェリエはまだ真っ白いままだし、イルシアに至っては引きつった笑みを浮かべて白けた目で私を見ていた。
「……少し前の私の覚悟を返して欲しいです」
冷たく言い放たれたイルシアの言葉に、うぅと小さく肩を落とす。
けれど彼女はでもまぁ、と呟いてから、嬉しそうにクスリと笑った。
「やっぱり、エリーゼ様はエリーゼ様みたいでよかったです。魔王だろうとなんだろうと、私にとってのエリーゼ様は変わらないんだって実感できました」
「……おぬしなら、そう言ってもらえると思っておったよ。さてシェリエ、おぬしの疑問には答えたが、聞きたいことはこれで終わりかの?」
私に言葉を投げかけられて、固まっていたシェリエは、ようやく気を取り戻し、戸惑いをにじませた声を上げる。
「すまない、ちょっと私の頭では理解が追いつかなかったみたいだ。ではエリーゼさんは元魔王で、今はしがない冒険者ということか?」
「ま、そういうことじゃ」
あっけからんと言い放つ私を見て、シェリエは頭を抱えながら、これは私一人では手に負えないと呟いた。
元魔王なんていう桁外れな存在は領主にとっては大問題なのだろうけれど、正体を明かす前に忠告はしたし私は悪くない。
心の中で自分に言い訳をしつつ、うなだれたままのシェリエをしばらく見ていると、ようやく事態を飲み込めたようで、シェリエはゆっくりと顔を上げた。
「現実逃避していても仕方ない。一つだけ確認したいのだが、エリーゼさんは私たちと敵対する気はないのだな?」
「全くないのでそこは安心してもらってかまわぬぞ。むしろ、私はきっとおぬしらの味方になれる」
味方? と首をかしげるシェリエに、私はそうだと頷いて答える。
「ウェルの言動から察するに、恐らくおぬしら人間には未曾有の危機が迫っている可能性が高い」
「……詳しく聞かせてもらえないだろうか」
「一応断っておくが、これから話すことは私の推測じゃ。詳細はあそこの眠り姫が目を覚まさなければ聞き出せぬからの」
唯一真実を知るウェルは、いまだにカルツに抱かれて幸せそうに眠っていた。
あの様子では今夜は起きなさそうだし、すぐには情報は引き出せそうもない。
「寝顔を見てたら腹が立ってきたがまぁ良い。……ウェルはある人物に対抗するために、今回の事件を引き起こしたと言っていた」
「その人物が、危機とやらに関係していると?」
うむ、とシェリエの疑問を肯定し、私は話を再開する。
「三百年前、エルネルト教の聖女であったそやつの名はリエラ。ウェルの言うことが真実ならば、当時の勇者に反旗を翻した大罪人であり、同時に大崩壊を引き起こした張本人じゃ」
「大崩壊だと!? 馬鹿な! あの災害が人の手によって引き起こされたものだというのか!?」
「ウェルが言っていたことが正しければ、そうなるのじゃろうな。詳しくは本人に直接聞いてみるが良い」
私が正体を明かした時と同じくらい、いやそれ以上の驚きを持って反応するシェリエ。
文明を衰退させるほどの大災害が人の手で起こされたというのは、到底信じられることではないだろう。
私だって、世界魔法という存在を知っていなければそんなことできるはずがないと切り捨てたはずだ。
「このタイミングでウェルが行動を起こしたということは、リエラにも何かしらの動きがあるのじゃろう」
実際にレイバールではゲニウスの復活を阻止したし、エルネルト教が不穏な動きをしているのは確か。
その元締めであるリエラも、いつまでも大人しくしているとは思えない。
「リエラが動けば、間違いなく魔族にも被害が及ぶ。何をする気かは知らぬが、魔族の一人としてあやつの横暴を見過ごすわけにはいかぬ」
「敵の敵は味方、ということか。確かに、今の戦いを見た後では、エリーゼさんが味方というのはこれ以上なく心強いな」
「そうじゃろうそうじゃろう。期待してくれてかまわぬぞ。技術が落ちたこの時代、私は間違いなく最強に最も近い場所におるからな」
問題はリエラも大崩壊前の力を持ち、加えて世界魔法にも手を染めている事だが、こちらも私一人ではない。
今代の勇者であるユーリに、魔族の力を得たウェル、そしてフェルナと、こちらにも強力な手札が揃っている。
いくらあの外道聖女といえど、私たちを相手にするのは簡単にはいかないはずだ。
ひと段落話がついた所をみはからい、とりあえず、と話を切り上げる。
「より込み入った話はウェルが起きてからするとして、一度街に戻ろうではないか」
「そうだな。一応、この事件の犯人らしいウェルさんは、当屋敷で面倒を見させてもらいたいのだけど、構わないか?」
「構わぬ。その代わりと言ってはなんじゃが、ウェルの扱いについても、彼女が目覚めたら少し話をさせて欲しいのじゃが」
「わかった。……当家でも、元魔王と渡り合えるほどの魔法使いなど扱いようがないしな」
それもそうだと苦笑しつつ、背後にいるカルツに声をかける。
カルツがそっとウェルを起こさないように抱きかかえたのを確認してから、私たちも街へと戻るために、ゆっくりと足を踏み出した。




