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彼女の正体


 「さて、どうしたものか」

 

 さっきまで扉があったはずの壁を睨みつけながら、はぁとため息をつく。

 そもそも屋敷の出し入れが自在なのだから、屋敷内の構造も好きなように変えられる事くらい先に想像しておくべきだった。

 

 「壁を打ち抜くという手もあるが、魔法を打ち込んだ先にイルシアたちが居ったら目も当てられんしの」

 

 生き物の体内のように魔力が渦巻いているこの屋敷の中では、イルシア達の魔力を感じる事も難しく、下手に魔法を使うのは危ない。

 

 「ま、イルシアのそばにはエンもいるじゃろうし大丈夫じゃろう」

 

 私の使い魔であるエンなら、ウェンリー相手だとしても少しくらいの時間は稼げるはず。

 エンが魔力を使い始めれば私も感知できるだろうし、そうすれば彼女達の元に駆けつける事もできる。

 念のためエンをイルシアの護衛として召喚しておいて本当によかった。

 

 「向こうの予定通り私一人になったわけだし、適当に歩いて回ってみるかの」

 

 壁になってしまった扉に背を向け、屋敷の奥へと歩みを進める。

 私一人という今の状況は、襲いかかるには絶好の状況だし、そのうち向こうから姿をあらわすはずだ。 

 それまでは気長に、屋敷の中を探索してみよう。

 



 イルシア達とはぐれてしまった事で、余計静けさが際立ち、私の足音だけが無人の屋敷の中にこだまする。

 コツ、コツ、と廊下を靴が叩く音を響かせながら、誰もいない屋敷の中をゆっくり歩きまわった。

 

 「ここもはずれ、じゃな」

 

 ギィ、っと音を立てて部屋の扉が閉まるのを見届けてから、天井を見上げて小さく舌打ちをする。

 私が閉じ込められた通路の先にはいくつか扉があったので、一つ一つ部屋の中を調べていく事にした。

 しかし部屋の中は、玄関前の広間と同じように不自然に綺麗な家具が並べられているだけで、人の気配はまるでない。

 今調べた部屋もハズレだったので、残る扉は一つだけだ。

 どうせここもはずれだろうと思いつつ、廊下の一番奥にあった扉を押し開けると、今までで一番広い部屋が目の前に現れる。

 その先には一階に続いているであろう階段の存在も見えた。

 

 「む、最後の最後であたりをひいたか。残り物には福があるとはよく言ったものじゃな」

 

 下に降りたらイルシア達に再開できるかもしれないと思い、階段の方へと一歩足を踏み出す。

 と、ちょうどその時、下の方から階段を上がってくる足音が響き始めた。

 足音は一定の間隔で上へ上へと上がってきており、私は警戒しつつ背負った剣の柄へと手を添える。

 

 「あれ、エリーゼ様! ここにいたんですね!」

 

 けれど私の予想に反して、階段の下から現れたのは私がよく見慣れた人物だった。

 彼女は私の方へと歩み寄ってくると、良かったぁ! と目に涙を浮かべて駆け寄ってくる。

 

 「なんじゃイルシアか。無事でよかった。他の者達はどうしたのじゃ?」

 

 身を案じていた人物との再開と、警戒が解けた事から、ほっと小さくため息をつく。

 一緒にいると思っていたウェルやシェリエ達の姿はなく、彼女一人だけなのが少し気にかかった。

 

 「実はエリーゼ様がいなくなってすぐ、私たちも離れ離れにされてしまって……。この屋敷、生き物見たく部屋の構造がすぐに変わるんですよ」

 

 「確かにの。思っていたよりここは危険かもしれぬ。今度ははぐれないように気をつけながらウェル達をさがすぞ」

 

 わかりましたと答える彼女の前に立ち、階段の方へと歩みを進める。

 私のすぐ後ろについてきている事を確認しながら、普段よりもゆっくりと歩いて行った。

 

 「こうして二人でいると、最初におぬしにあった時の事を思い出すの」

 

 「そうですか? 最初に会った時の事、ちゃんと覚えておいてくれて嬉しいです」

 

 朗らかな声でそう口にする彼女に合わせるように、私も言葉を紡いでいく。

 

 「もちろん覚えているとも。おぬしが凶暴な魔物に襲われているところを助けてやった時の惚け顔は、そうそう忘れる物ではないからの」

 

 「もう! そういう所は覚えてなくていいんですよ!」

 

 「ふふ、まぁいいではないか。そおよりも、おぬしは逆に一つ覚えておいた方が良い」

 

 なにをですか? と後ろを歩いている彼女が口にするのと同時に、私は背に手を伸ばして剣の柄を掴み、思いっきり体をひねった。

 

 「たとえ完璧に魔力や気配、姿を模倣して見せた所で、そう簡単に私の目はごまかせぬぞ」

 

 一切の手加減無しで抜き放った剣は、一直線に銀光を煌めかせながらイルシアの姿をした女へと迫る。

 狙いは、彼女の右腕。

 いつのまにか握り締められていたナイフごと、寸分たがわずその右腕を両断した。

 

 「っあぁぁぁぁ!!!」

 

 「その声で喋るのをやめるのじゃ。さすがに気分が悪いのでの」

  

 イルシアの声で叫び声をあげられ、その不快感に思わず眉をひそめる。

 そのまま膝をつきうなだれる、イルシアの姿をした女を睨みつけながら、彼女の前に立ちはだかった。

 

 「顔をあげるが良いウェンリー。おぬしの奸計はもう見切っておる」

 

 そう私が告げるのと同時に、目の前の女はピタリと叫び声を止め、くっくっと低い笑い声を響かせ始める。

 

 「あっはっはっ。ひどいなぁエリーゼ。この子、君の友達なんでしょう? なんのためらいもなく切るなんて」

 

 「私の親友は受けた恩を忘れるような女ではないのでな。カマかけにひっかかるおぬしが悪いのじゃ」

 

 あぁ、なるほどねと呟いて、目の前の女は醜く表情を歪めた。

 未だに顔はイルシアのものなので、その表情にも虫唾が走る。

 

 「魔物から救ったっていうのは嘘かぁ。せっかく、信じてた人に背後から襲われて驚くエリーゼの顔が見られると思ったのに」

 

 「この数百年のうちに随分と根性がくさったようじゃなウェンリー。負けると分かっていながらも正々堂々魔法勝負をしかけてくる純情女じゃと思っていたのじゃが」

 

 「ま、ボクも色々経験したんでね。いつまでも昔みたいな夢見がちな乙女ではいられないって事さ」

 

 そういってふらりと立ち上がると、体が波打つように揺らぎ、その姿が変わっていく。 

 前回屋敷に来た時に見た、美しい造形の顔と、透き通るような白い髪、それに対比するように漆黒のドレスを纏った女が、私の前で歪んだ笑みを浮かべた。

 

 「ようこそエリーゼ。君が来るこの日を、ずーっと待ってたよ」

 

 「随分と好かれた物じゃな。三百年前、おぬしとはそんなに親交があった覚えはないのじゃが」

 

 「ひどいこと言うな。ボクは結構君にお熱だったんだよ? エリーゼに勝つために、死ぬ気で修行もしたんだから」

 

 ま、今となってはどうでもいいことだけどね、と自嘲気味に笑いながら、ウェンリーは肩をすくめる。

 

 「今私に執着してないというのなら、なぜこんな回りくどい手を使ってまで私を呼び寄せたのじゃ」

 

 なぜ、かぁとウェンリーは困ったように首をかしげ、手を頬にあてたままくすりと笑う。

 

 「久しぶりに目覚めた古い知り合いに会うためにちょっとはしゃいじゃったから、とか?」

 

 「なんで私に聞くんじゃ」

 

 どうやら目の前で人を小馬鹿にしたように笑う女は、自分の思惑を一切話すつもりはないらしい。

 ウェンリーの目的は今もわかっていないし、気になるところではあるのだけど、このまま話をしていても埒があかないと彼女の首筋に大剣を突きつけた。

  

 「おぬしの戯言を聞いている暇はないし、答えたくないなら答えなくてもかまわぬ」

 

 「そういうならこの剣を降ろして欲しいんだけど?」

 

 「はっ、それだけ殺気を放ちながらするお願いではないな。それにおぬしの目的はどうでも良いが、一つこれだけは聞き出さないといけないことがある」

 

 薄皮一枚が切れそうなほど近くに添えられた剣も意に介せず、ウェンリーはなぁに? と可笑しそうに口元を歪める。

 

 「私の記憶が正しければおぬしは人間だったはずじゃが、いつの間に魔族になったのじゃ」

 

 私のその言葉に、ウェンリーは浮かべた笑みをさらに色濃く深めた。

 

 「答えよウェンリー。おぬし、世界魔法を使ったな?」

 

 「言ってくれるねエリーゼ。あれがどんなものか、ボクが理解していないとでも?」

 

 世界魔法、いう言葉を聞いたウェルは、表情から笑みを消し去り不機嫌さを隠そうともせず不満を募らせる。

 

 「あれは魔法に対する、いや世界に対する冒涜だ。そんなものボクが使うわけないだろう?」

 

 「ではおぬしが三百年もの永い時を生きていることを、どう説明するつもりじゃ」


 それだけではない。

 私の考えが正しいのならば、この屋敷はウェンリーの魔族としての特性が利用されているはずだった。

 

 「まぁ無駄に引っ張っても仕方ないか。君の言う通り、今のボクは魔族といっても間違いないと思うよ」

 

 だってほら、こんなことだってできちゃうし、と先ほど私に切り落とされた右腕を掲げる。

 血が滴ることすらなかった切断面から、ウェンリーが腕を掲げたのと同時に、傷一つない腕が生え始めた。

 

 「……スライム種の特徴を持つ魔族。やはりそういうことか」

  

 スライム種。

 弾力を持った液状の魔物であるソレは、魔物の中でも知能を持たず、戦略的な行動を取ったりはしないものの、その危険性はかなり高い。

 核を壊されない限り何度でも再生可能な身体に、自在に姿形を変形させる能力の厄介さ。

 そして極め付けは、取り込んだ餌の能力を吸収できるという点だ。

 知能を持たない魔物としてのスライムならともかく、人間界最強と呼ばれた魔法使いであるウェンリーがその特性を手に入れれば、相当まずい相手になる。

 予想していた中でも最悪に近い魔物としての特徴だった。

 

 「さすがエリーゼ。そこまでわかってたんだ」

 

 「前回屋敷から脱出する時に見たあの液状の物質には見覚えがあったのでな。この屋敷を構成しているのは、おぬしの身体そのものなのじゃろう?」

 

 屋敷に入ってからずっと感じている、生き物の体内に入る感覚。

 それは決して気のせいなどではなく、この屋敷の中は文字通りウェンリーと言うスライムの特徴を持った魔族の体内に他ならない。

 

 「それに幻視を用いずあそこまで完璧に別人の姿をとれる方法なんぞ、そういくつもあるわけではないからな」

 

 そうじゃろう、ウェル? と投げかけた問いに、ウェンリーは言葉の代わりに笑顔で返す。

 

 「やっぱり気づいてたんだ」

 

 「隠す気もなかったくせによく言うわ。シェリエの前で挑発した時、青筋浮かばせながら殺気をあふれさせまくっておったしの」

 

 三百年たっても、魔法使いとしてのプライドが高すぎるのはどうやら変わらなかったらしい。

 領主の館で私がウェンリーをボロクソ言っていた時のウェルの表情は、本当に面白かった。

  

 「あれやっぱりボクの正体わかってて言ってたのか。本当いい性格してるよね」

 

 「お互い様じゃ。それよりも、どうやって魔族になったのかを答えてもらおうか」

 

 いつまでたっても話を進めようとしないウェンリーに、もう一度質問を投げかける。

 だがウェンリーはまともに答えようとはせず、相変わらず人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべてながらゆっくりと口を開いた。


 「知りたかったら力づくで聞き出してみたらいいんじゃないかな?」


 そう言葉を紡ぎ終わった瞬間、私は首筋に当てていた剣を思いっきり引き抜く。

 けれど私の剣はまるで水でも切ったような感触だけ残し、ウェンリーの首を通り抜けて行った。

 

 「情報聞き出したい相手の首をいきなりはねようとする普通!? これだから脳みそ筋肉の魔族は!」

 

 「誰が脳みそ筋肉じゃ! 核を壊されない限り死なんスライムのくせによく言うわ!」

 

 自分で言ってて頭が痛くなってくる。

 この巨大な屋敷を構成しているのはウェンリーの身体そのものだ。

 つまり、この屋敷のどこかにある核を破壊しない限りウェンリーを倒すことはできない。

 

 「いいね、その悩んでる顔。あのエリーゼを苦戦させられるなんて、最高の気分だよ」

 

 「大した余裕じゃな。おぬしの前にいるのが誰じゃか忘れたか?」

 

 スライム相手に物理攻撃は意味をなさない。

 けれど魔法ならば、決定打を与えることはできずともダメージを負わせることはできる。

 パチンと私が指を鳴らしたのと同時に、ウェルの身体が爆炎に呑み込まれた。

 一瞬にしてウェルの身体が蒸発するが、すぐに床から生えるように新しいウェルの身体が生み出される。

 

 「私はおぬしたちが歯も立たなかった魔王じゃぞ? 核の場所がわからないのなら、その馬鹿でかい身体を削りきるまでじゃ」

 

 「……ま、ただでは諦めてくれないか。ボク個人としては君に恨みがあるわけでもないんだけど、人間の未来のためにここで死んでもらうよエリーゼ」

 

 私の一撃を機に、臨戦態勢に入ったウェンリーが魔法陣を展開した。

 込められている魔法は一級品。

 三百年前よりも随分と練度の上がった魔法が、私に向かって容赦なく放たれた。

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