霧の中へ
レイバールで泊まった二人用の部屋よりもすこし広めな一室。
ウェルに頼まれ三人で一室に泊まる事になった私たちは、割り当てられた部屋に荷物を置いてようやく一息ついていた。
「やっと落ち着けますね」
「本当だよ。街についていきなり領主様に呼び出されるとは思わなかったからねー」
ウェルはベットに腰掛けばたばたと足をゆらしながら、疲れた疲れたとぼやく。
イルシアの表情からも疲労の色が見えるし、領主に呼び出されるという精神的なストレスと、馬車での長旅も相まって二人の疲労は相当のようだ。
椅子に腰掛けて二人の様子を見ながらそんなことを思っていると、ごろんとベッドに寝転がったウェルがこちらに視線を向け、それにしても、と口を開く。
「ボク達とちがってエリーゼさんは全然余裕そうだよね」
「む、私か? 馬車旅はウェルの魔法のおかげでかなり快適だったし、領主とやらも気負う相手ではなかったからの」
前回はとにかく座り心地が悪くて疲労困憊になった馬車旅だったが、今回はウェルが作った風のクッションのおかげでほとんどダメージを負っていない。
シェリエとの面会も、魔族の私から見れば領主だろうが平民だろうが同じ人間ということに変わりはないので、特に精神的に疲れることもなかった。
「領主様相手に気負わないとか言えちゃうあたり本当大物だよねエリーゼさん」
冒険者ランクはあれだけど、とウェルが小声で呟いたのを聞き逃さなかった私は、手元にあったタオルを丸めて全力で投げつける。
パチンと小気味良い音がしてウェルの脳天に直撃すると、彼女はいったぁっ!?と声を上げた。
「なんかとんでもない衝撃が来たんだけど!? 何されたのボク!?」
「次ランクの話をしたらその勢いで石が飛んでくると思うんじゃな」
「布が当たったとは思えない音がしましたね……」
頭を押さえながら、ウェルが涙目で抗議の視線を送ってきたのを、そっぽを向いて無視して椅子から立ち上がる。
「ほれ、そろそろ飯の時間じゃ。一人待たされてはカルツが可哀想じゃぞ」
「もうそんな時間か。あとちょっとゆっくりしてたいなぁ……」
そう言いながら動く気配を見せないウェルを引きずって、一人別部屋に泊まっているカルツと合流するために部屋を後にした。
「随分と遅かったな」
集合時間に少し遅れて食堂に来ると、時間通りに来ていたカルツが手持ち無沙汰な様子で一人待っていた。
申し訳ないと頭を下げつつ、彼の待つ席の方へと歩いていく。
「すまぬの。おぬしの連れがなかなか動こうとしなくてな」
いまだにぐでーっとしているウェルをみて、カルツがそれなら仕方ないなと納得した。
そうやってウェルを甘やかさない方が良いとカルツに伝えつつ、空いている席に座る。
注文を終え料理が届くのを待ちながら四人で雑談をしていると、食堂の外で慌ただしくばたばたと走り回る音が聞こえてきた。
この食堂は宿と直結しているので、おそらく宿側で何かがあったのだろう。
「何かあったんですかね?」
「んー? 予定外に大勢のお客さんが来たとか?」
イルシアとウェルが不思議そうに食堂の外へ視線を向けていると、宿の従業員が浮かない顔で食堂の中へ入ってきた。
食堂の店員と何度か言葉を交わした後、食事をしている全員に向かって話し始める。
「宿泊客の皆さん。どうやら外で濃い霧が発生しているで危険なため、今夜は外に出ないようにお願いします」
濃い霧、とぼやかした表現ではあるけども、話し方からしても間違いなく例の幻視の魔法だろう。
すぐに仕掛けてくるとは思っていたけれど、少なくとも今日はないと思っていたのでちょっと意表を突かれた。
他の三人も何が起こっているのか瞬時に理解したようで、目線をあげるとバッチリ四人と目があう。
「……来たね」
「もう少しのんびりさせてもらいたいな」
ウェルのつぶやきに、珍しくうんざりといった雰囲気をにじませてカルツが答えた。
「ずいぶんとせっかちな相手なようじゃな」
こちらの都合に合わせる義理もないとは思うけど、1日くらいは休ませて欲しい。
大きくため息をつきつつも、起きてしまったことは仕方ないと気持ちを持ち直す。
「ウェルとカルツは、シェリエの屋敷まで行ってもらってもよいか?」
一緒に行くと言っていた以上、放置していくわけにも行かない。
幻視の霧の中を突き進むのは危険だが、ウェルとカルツなら何かあっても対処できるはずだ。
さすがに、街中に幽霊屋敷が現れるとも思えないし。
「そうだね。領主様のところにはボク達がいくよ」
エリーゼさんを行かせるのは不安だし、と付け加えた真意を問いただしたいところだが、ぐっと堪えて我慢する。
最低ランクというレッテルが貼られてしまった上、まだ戦うところを見せていない私が何を言っても説得力はないだろう。
この苛々はこの後盛大に晴らしてやると胸に誓い、食堂を後にするウェル達を見送る。
私たちが残された食堂では、客の間に不安げな空気が漂っていた。
客の中にはこの街の外からやってきたものは多いが、霧の噂は聞いていたのだろう。
従業員の浮かない顔も相まって、重い空気が漂っている。
反面、いつもこういうときに怯えた様子を見せていたイルシアは、今回は落ち着いた佇まいだ。
「イルシアは怖くないのじゃな」
「エリーゼ様を信頼してますから」
なんとかできるって言ってましたもんね、と一欠片の疑いも見えない笑顔で言われ、思わず言葉に詰まってしまう。
「うむ、大丈夫じゃ。……と言いたいところじゃが、今回の相手、私だけではもしかすると苦戦するかもしれぬ」
ある程度ウェンリーの実力に当てはつけているけれど、前に戦ってから三百年という長い時間が経っている。
それだけの年月があれば、私の力を超えてくるかもしれないという考えは少しあった。
「そこで、今回もおぬしの力を借りたい」
「私にできることなら、任せてください!」
頼られたことが嬉しいのか、目を輝かせて身を乗り出すイルシア。
そんな彼女の近くで丸まっているエンに手を伸ばし、その頭をそっと撫でる。
「やってもらいたいことは簡単じゃ。幽霊屋敷で戦いが始まったら、エンをある場所に連れて行って欲しい」
「ある場所、っていうのは?」
「屋敷をぐるりと囲うように4箇所、といっても細かい場所はわからんじゃろうから、エンを抱えて屋敷の周りを走ってくれれば良い」
そうすればエンが場所を教えてくれるはずだと呟くと、それに応えるようにエンは小さく鳴き声を上げた。
よしよしと頭を撫でてから、イルシアの方へと向き合う。
「それくらいならできそうですけど、それならウェルさん達に頼んだ方が確実なんじゃ?」
イルシアの疑問に、私は首を横に振って答える。
「だめじゃ。今私が信じられるのはイルシア、お主だけじゃからな」
もし私の想像通りの方法で幽霊屋敷を発生させているのなら、これに失敗するとウェンリーに負ける可能性が高い。
ウェンリーに気づかれると戦いが長引く可能性もあるし、確実に信用できるイルシアしか頼れる相手はいなかった。
まぁこれでイルシアがウェンリーとつながっていたらお手上げだけれど。
「エリーゼ様は、二人を疑っているんですか」
核心をつくイルシアの言葉に、私は無言で答える。
その意図を察したイルシアは、何か言いたそうな顔をしつつも、結局それを口にすることなく飲み込んだ。
「わかりました。頼まれたことは、しっかりやりとげます」
「頼む。なに、心配しなくとも後味の悪い終わらせ方はしないつもりじゃ」
私の牙が二人に向くかもしれないと知って、表情を曇らせるイルシアを安心させるようにそう口にする。
そう長い間ではなかったけれど、しばらくの間寝食を共にして情が芽生え始めているのだろう。
それは私も同じことだし、例えウェンリーと二人のどちらか、あるいは両方につながりがあったとしても、何の慈悲もかけずに相手をするつもりはない。
もっとも、イルシアに手を出さなければに限るが。
「わかりました。信頼するって言いましたからね」
「うむ、任せるのじゃ。今回も丸く収めてみせよう」
前回丸く収めたのは私ではなくユーリだったなと、余計な情報が脳裏にちらついたが、ここで言いよどんでは立つ瀬がない。
今度はやりすぎないように注意しようと思いながら、イルシアに向けて任せておけと言い切った。




