目覚め
深い海の底に沈んでいるみたいに、ふわふわと漂うような感覚。
意識ははっきりせず、うたた寝をしているときのような心地よさが体を満たしている。
とても長い間その感覚に身を委ねていたが、突如頭の中に響いた声が泥沼からひきずりだすように、私の意識を覚醒させた。
『私の村を助けてください』
その言葉の内容を反芻し、目覚めるための条件が整ったことを理解する。
重い瞼を開けるのと同時に、私を包み込んでいた世界が音を立てて割れていった。
久しぶりに機能した五感から流れ込む情報に、私が未だ生きていること実感する。
触覚は私の足がしっかりと地面を踏みしめていることを、視覚は自分が薄暗い洞窟の中にいることを、嗅覚は埃臭い土の匂いを、そして聴覚は、私の口から漏れ出す笑い声を、鮮明に伝えてきた。
「ふふ、ふふふ、はははは、あーはっはっはっ!」
眠りにつく前、勇者の手で吹き飛ばされた腕は完全に再生している。
腹に開けられた大穴も、跡すらのこらず元に戻っていた。
そしてなにより、私の体に刻まれた忌々しい魔王の証が、綺麗さっぱり消え去っている。
「やった、私はついにやったぞ! あの外道ルールを覆した!」
決して逃れられないとおもっていた死の運命を脱し、ついに自由を手にいれた嬉しさが胸中に溢れ出て、勝利の叫びとなって喉を震わせた。
「なにが『お前はここで封印させてもらう』じゃ馬鹿者め! お前が使った封印魔法は私が開発したものじゃ! ざまぁみろ脳筋勇者!」
封印される直前に見た、勇者の勝ち誇った顔を思い出し、その間抜けさに更に笑がこみ上げる。
上機嫌すぎて思わず勇者の声真似までしてしまった。
「あぁでも随分長い間寝ていたようだし、勇者には勝ち逃げされてしまったかの。それは少し残念じゃな」
生きていれば種明かしをしておちょくってやりたいところだが、人間の短い寿命では恐らくもう天寿を全うした後だろう。
それにたとえ生きていたとしても、キレた勇者にまた風穴を空けられるのは御免だ。
と、そこまで考えて自分のすぐそばに、祈りを捧げたであろう娘が立ちすくんでいるのに気がつく。
「おっと、そういえばお前さんを忘れておったの」
私を目覚めさせた少女に向き直り、万感を込めて自分の名を声にする。
「我が名はエリーゼ。娘よ、封印を解いてくれた礼だ。お前の願いを叶えてやろう」
魔王時代に培った威厳をできるだけ込めて、仰々しくそう告げた。
基本人前に立つのが嫌いな私は滅多にこういうことはしないのだけど、今は最高に気分がいいので特別サービスだ。
「エリーゼ、様?」
いまだ状況を飲み込めていなさそうな娘は、恐る恐るといったように私の名前を口にする。
「さよう。お前が助けを求め、その声に目覚めさせられた者じゃ。まぁ細かい話は後にしようか。事は急を要するのじゃろ?」
私の言葉に、娘はハッとした顔をした後、その表情に焦りの色を滲ませる。
「そうです、村が盗賊団に襲われて、それで村のみんなにも刃をむけて、私だけ逃がしてもらったんですけど、それで、ひゃっ」
まとまらない娘の話から大体の状況を察した私は、ひょいと娘を抱え上げた。
「おおよその状況は分かった。さすがの私でも死んだ人間は生き返らせられないのでな。急ぐから案内せい」
娘を抱きかかえたまま、魔力で強化した足で地面を蹴る。
風のような速さで洞窟を抜け、夜空が広がる外へと躍り出た。
「は、速い……!」
「口を閉じておれ、舌を噛むぞ」
娘に指差しで方向を教えてもらうと、どうやら火の手が上がっているようで、夜空の暗さとは対照的に橙色に輝く場所をみつける。
「あそこか」
場所を確認した私は速度を落とす事なく、木々の間をすりぬけその場所へと急ぐ。
封印を解かれたばかりなので少し体が動かしづらいが、それも徐々に慣れてきた。
焦げ臭い匂いがあたりに充満してきたところで、一度速度を落として抱きかかえていた娘を地面に下ろす。
「娘よ、一つだけ約束して欲しいのじゃが、私をあの洞窟から連れてきた事は黙っておいてくれ」
「わかりました、約束は必ず守ります」
力強い頷きに満足した私は、よしと笑顔を作り不安げに瞳を揺らす娘の頭に手をのせる。
「ここから先は歩いて行くぞ。決して私の側を離れるなよ」
そう告げて燃え盛る村の方へと向かって歩みを進める。
このまま村まで突っ切ってもよかったのだが、せっかく長い時間をかけて世界と人間達の目を欺いたのに、ここで下手に目立つのは避けたかった。
あまり目立ちすぎないように、力もだいぶ抑える必要があるだろう。
記憶にあるかつて戦った人間たちの力を参考にし、その範囲で出せる力を調整する。
村の中に入ると、あちこちで火の手があがり、焦げ臭い匂いに混じって鉄のような匂いが漂っていた。
家屋は破壊され、村人が抵抗した後であろう、血の付いた武器がところどころに転がっている。
「寝起きで血の匂いを嗅がされるのは、あまりいい気分ではないな」
娘がちゃんとついてきている事を確認しつつ、適当にその辺りに転がっていた剣を拾う。
「おい! ここにまだ残ってるのがいるぞ! ちゃんと仕事しろお前ら!」
と同時に、盗賊団の一員と思われる人間が物陰から下品な笑みを浮かべて姿を現した。
「しかも二人ともかなりの上玉じゃねえか。こんなお宝をみすみす逃したらボスに殺されちまうぜ」
下卑た視線を向ける男と、その声につられて近くにいた盗賊団の者が集まってくる。
あっという間に数をふやし、男たちは全部で八人ほどになっていた。
私の後ろで娘が怯えで震えている気配を察し、その手を安心させるようにゆっくり握ってやる。
「数の差はわかってるだろ? 体に傷をつけるわけにはいかないんでね、さっさと投降してくれると助かるんだが」
自分たちの優位を疑いもせず、その身から滲み出す下品さを隠そうともしない男の耳障りな声が、私の鼓膜を揺らす。
「さて、それはどうじゃろう。赤子が何人集まったところで、大の大人には敵わぬだろうしなぁ」
「て、てめぇ喧嘩うってんのか!」
私の言葉に、顔を真っ赤にした男は醜い顔をさらに歪ませ、口の端に泡を作りながら怒声をあげた。
「どうやら皮肉を理解する程度の頭はあるらしいな。どれ、ひとつお前の力を試してやろう」
限界まで絞った魔力を指先に集め、男に向かって解き放つ。
魔力は炎の矢をかたどり、男の頭を貫かんと襲いかかった。
「こいつ、魔法使いか! だがそんな初級魔法火傷にすらなんねえよ、マジックシールド!」
そう男が叫ぶと、魔力による障壁が展開され、炎の矢の進路を塞ぐ。
だが男の予想を裏切るように、まるで紙を切り裂くようにあっさりと障壁を打ち砕いた。
「えっ」
男が呆気にとられたのは一瞬、次の瞬間には直撃した炎に頭蓋を焼かれ、声を上げることすらできずに地に伏した。
「えっ」
男の間抜け面は大層な物だったが、おそらく私も相当間抜けな顔をしていただろう。
それくらい、目の前の結果は意外だった。
言葉通り、本当に腕試しをするつもりで撃った今の魔法は、威力を限界まで下げている。
私の感覚でいえば、ただの人間程度であっても初級の魔法障壁で防げるほどにだ。
「こやつら、ちいと弱すぎないか……」
残りの盗賊団も、仲間の無残な姿を目にして腰が引けている。
「こいつやべえぞ! まとめて嬲り殺せ!」
このままではまずいと、盗賊の一人が焦った声をあげた。
と同時に一斉に手に持った武器を振りかぶって襲いかかってくる。
「ふんっ」
あくびが出るほど遅い男たちの斬撃を先ほど拾った剣でさばき、受け流す。
武器を払われ体制を崩したところに蹴りを入れ、背後から放たれた大振りの攻撃を流してそのまま相手を地面に叩きつけた。
剣身で隙だらけ男の胴体を打ち、次々とやられていく仲間をみて阿呆面を晒している盗賊の顔面に拳を叩き込む。
「あっけないのう」
一息つく間が過ぎた頃には、残りの盗賊団は全員地面に転がり、うめき声をあげるだけとなっていた。