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優しさ

「お湯沸いてるよ」

「え?」

 やかんに火をかけていた事を忘れていた。私は慌てて火を止めて、ココアの粉が入ったカップにお湯を注ぎスプーンでかき回した。部屋中にココアの甘い香りが広がった。

「はい。どうぞ」

 すっかり乾いたソウスケにカップを渡した。

「ありがとう」

 カップを受け取ったソウスケは部屋に入って、ベットにもたれるように座り息を吹いて、ココアを啜っている。かわいい。

 私のカップにもお湯を注ぐ。スプーンで混ぜたココアを持って、ソウスケの隣に座りカップに口をつけた。ココアを一口飲み込む。

 嫌な事件を思い出してしまった。ココアの暖かさが体中に広がっていく。甘い匂いが心を落ち着かせてくれる。嫌な気持ちを洗い流してくれるように。


 *


 事件があった後、退院して学校に復帰して、すぐに気がついた。周りは腫れ物に触るふりをして、私をけなして、楽しんでいる事を私の眼には視えたのだ。

 学校の中で私を心配してくれているのは健太だけだった。あの現場を見た者にしか、あの恐怖はわからないだろう。傷はもう痛みなどなくなっていたけれど、毎日みんなの眼を視るたびに思い出し傷つき、心の傷は塞ぐことができなくなっていた。

 学校帰りに健太は心配して一緒に帰ってくれるようになった。

 健太はもう部活がなくなっているから、事件が起きる少し前から帰りが一緒の事が多かった。けれど、幼馴染とはいえ中学に入って、会話することもほとんどなくなっていたから、ワザと歩調をズラして一緒に並んで帰らないようにしていた。あの日もそうだった。健太が中三で部活がなくなる時期でなければ、助けてもらうことができなかったはず。健太が中二だったら部活をしていて同じ時間に帰ることもなかっただろう。偶然の上に築きあげられた偶然の重なりで、私は助かったんだ。


 健太と一緒に帰る必要は本当はなかった。どっちにしろ私は健太の家に行くんだし、健太は健太の家に帰って来る。一緒に帰るメリットはあまりなかった。

 私の心配通り案の定それはいい風には転ばなかった。健太はどうやら女子にすごく人気があったみたいだった。そういうことに無頓着だったので始め女子の視線の意味がわからなかった。彼女たちは私を晒しのもにするだけでは足りなかったみたいだった。この機会に健太をみんなから奪おうとしている敵のような存在にされてしまった。

 噂話も酷さが増してくる。健太の心配もさらに膨らみ、健太がする事なす事が火に油を注ぎまくる事態になっていった。



 だんだん私には居場所がなくなっていった。学校も家も心地のいいものではなかった。唯一の場所が健太の家の中だった。

 リビングでおばさんや健太の妹がいつもの日常を送っていた。そこに私が入り込んでいた。小さな頃はよく遊びに来ていたので、始めのうちは少し違和感があったけれど、それもだんだんとなくなっていった。

 私はまるで二人目の健太の妹になった気分でいた。


 そんなある日、健太と健太の部屋で話をしていた。おばさんと妹の美優ちゃんは別々な用事で出かけていた。いつものように自然と健太の部屋に入っていった。何かの弾みで健太と肌が触れ合った。まだまだ暑い九月なのでお互い半袖だったから腕と腕が触れただけだった。私にとっては特別な意味のない触れ合いだった。けれど、健太には違っていた。

「アリス」

 ガバッと両肩を摑まれ、それまで座って並んで話をしていた私を真正面から見据えた健太は、そのまま顔を近づけてきた。

「ちょ、健太?」

「アリス、好きだ。好きなんだ」

 健太はそう言いながらドンドンと近づいて来る。

 私は健太を押して健太の手から逃れようとした。けれど全然距離は縮まらず。健太の唇は私の唇と重なった。

「ん!」

 私の最後の一押しで健太は唇を離した。そしてそのまま私を抱きしめた。

「健太?」

「アリス。ごめん。でも本気なんだ」

「……」

 私はどうしていいのかわからなかった。私にとって健太はお兄ちゃんみたいな存在だった。それが抱きしめられてキスをされた。頭の中は混乱していた。健太が嫌いなわけじゃない。好きであることでは健太と変わりがない。けれど、健太の好きと私も好きは種類が違う。いくらそういう感情に疎い私でも、今の状況は判断できた。健太……どうしたらいいの?


「アリス? いい?」

「え?」

 健太のベットにもたれるように座っていた私を健太が持ち上げた。そのままベットの上に横にされて、寝かされた。これってもしかして……?


 健太は私の上にのしかかってきた。

「健太。ダメ!」

 やっと気持ちの整理がついた。健太はいい人だ。好きだし一緒にいて楽しい。けれど、健太とそれ以上の関係になるなんて考えられない。

 上から迫ってくる健太を押し戻す。小さな力だろうけど健太に自分の気持ちをハッキリと伝えなくちゃ。

「健太。やめて。嫌だ!」


 ガチャ


 その時、健太の部屋のドアが開いた。そこにはおばさんの姿があった。

「健太、何してるの?」

 おばさんはズカズカ健太の部屋の中に入ってきた。健太は慌てて起き上がる。


 健太はその後おばさんにコンコンと怒られていた。私の言葉にも健太の言葉にもおばさんは耳を貸さなかった。

 健太が悪いわけじゃない。私がちゃんと断らなかっただけだ。そう言ってもおばさんは納得してはくれなかった。健太は健太で言い訳をしなかった。アリスが本気で好きなんだ。大事にしていくつもりなんだと、私が顔が火照るくらい真剣におばさんに訴えていた。

 だけど、おばさんはあんな事件のすぐ後で起こったこの出来事を、簡単に許すことはできなかったんだろう。父の耳にも話が入った。おばさんはもう私を預かるのはやめたほうがいいと判断した。父も同じだったのだろう。

 あっという間に話の決着がついた。父の異例の転勤が決まり、私は遠くへ引っ越しすることになった。


「アリス。ごめんな。俺のせいで」

「いいよ。家も学校も居心地悪かったんだから、ちょうどよかったんだよ」

「もう会えないの?」

「うーん。多分また戻ることになると思う。家はそのまま誰かに貸して売らないみたいだし。お母さんの思い出が詰まった家を、お父さんが手放すとは思えないし」

「怒ってないのか?」

「私が悪かった。健太の気持ちに気付かないフリをしてた」

「え?」

 健太は心から驚いていた。そう私は気付いていた。健太の想いに。けれど、あのまま兄妹のような関係を崩したくなかったのだ。私が悪いんだ。

「昔から私、勘が鋭いでしょ?」

 本当は眼を視ればわかっただけなのだけれど、そう言っても通じない。今までずっとそうだった。

「そうか……。わかってたんだ」

「うん。ごめんね。それなのに健太の優しさに甘えてた」

 健太と健太のおばさんと美優ちゃんの優しさに私は甘えてたいたんだ。もっと早く父に転勤してくれるように、せめて家を引っ越しさせてくれるようにお願いをするべきだったんだ。


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