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11 オカンと熊と犬と私

 黒板から視線を外し、ふと空を見れば。(うずたか)くそびえていた雲も、今は細かく千切れ拡がっていた。夏は終わったのだと、思い過る。

 そういえばずっと張り詰めていた授業の終わり間際、こうして気を抜くのも久しぶりか。教師の締めと共に立ち上がっていた私だったが、今日はそれを別の人物へと譲った。


 素早い動作であるのに、全く急いでいることを感じさせないスマートさ。私の席から近い方の扉へと移動して、腕を組んで横に立つ。涼やかな表情だが、さりげなくこちらを見据えているのはスヴェン=ブレンドレル、どう見ても私を待ち構えております。

 心配な様子の彼をずっとかわしていたので、とうとう実力行使に出たようだ。

 反対の扉へ走ったとしても、足のリーチが違うので簡単に捕まるだろう。まあ、もう逃げるつもりもないのだけれど。


『逃げるな、ちゃんと来い』

『わかった、オカン』


 交わされたアイコンタクトは大体こんな感じか。テストの点数を怒られにいく子供の気持ちで、私は彼の後をついていった。




「エステル、困っている事があるのならば助ける」


 開口一番、叱るでもなくスヴェンは言った。端っこでパンを囓っていたり、教室を走って逃げ出すという不審な行動をしていた私に、どうしてそこまで言ってくれるのか。小言にちょっと身構えていたので調子も狂う。


「困る……困っているっていうか、その……」

「何だ、俺に何が出来る?」

「いや、ええと……何にも訊かないの?」

「話してくれるのは別に、お前の問題が解決してからでいい」


 ……それは、ちょっと、優しすぎるのではないか。どこまで私を甘やかすつもりなのだろう。そんなことで、悪い私に騙されたらどうするのだ。

 思わず黙った私に、スヴェンの表情が心配の色に染まる。ああ、違う。そんな彼に伝えなければいけない言葉は謝罪では、ない。


「心配してくれて、ありがとね。スヴェン」

「っ、……いや、」


 ふい、とスヴェンは顔を背ける。感謝の言葉も必要ないとは、なんという聖人君子か。いつか彼に何かで返さなければと思うが、一体何をすれば喜ぶのか判らない。結構長い付き合いなのに、どうにも情けないことだ。

 ただそれよりも、今回のことも自分で撒いた種なのだから、自分で刈り取らなければならなかった。スヴェンの気持ちはとても嬉しいが、とくにお願い出来るようなことは──


「あ」

「うん? どうした?」


 一つ、あった。協力して貰えればとてもやり易い。手間も殆どかからない筈なので、これくらいなら手を貸して貰ってもいいと、思いたい。





 私がするべきことは、ちゃんとライオネル王子と会って話すことだ。

 ただ、やはり教室を訪れた彼と話すのは難しい。婚約者も決まっていない状態なのに、一介の男爵令嬢に会いにきたというのも外聞が悪いだろう。


 まあつまり、人気のないところに呼び出す、のだ。





 場所は使われていない時間の戦技場、昼休憩の間は自主練の生徒もほとんどいない。育ち盛りの生徒達にとって、食事の時間は大事なのだろう。広く見通しのよい場内は、護衛騎士も警護がしやすいはずだ。


 私は戦技場の中央、決闘の意気込みで王子を待つ。既に心象風景は風すさぶ荒野である。

 やがて、王子がひょこりと姿を現した。


 いわゆる『スヴェンに手紙を渡してもらおう作戦』は成功したようだ。ただそれだけ、と言うなかれ。私が姿を見せずに王子に接触するにはどうするか、頭を悩ませていたのだから。身元がはっきりしている侯爵子息が手紙を渡せば、色々と手間が省ける。

 王子の随伴は、幸運にも王宮で会ったことのある騎士だった。おかしなものを見るような眼差しを貰ったのは忘れていません。これで王子と話が出来…………出来、る?


 場内に入ったところで、王子がぴたりと足を止めた。こちらへと視線を向け、首を少し傾いでいる。


「あ、あの、殿下?」

「……いいの?」


 これは、もしや逃げ過ぎた、のか。


 永遠に「待て」を命じられた犬のような目で、私を見ている。責めもしないのが逆に罪悪感が膨れあがった。私は慌てて王子の方へと寄り、深々とお詫びのお辞儀をする。


「……申し訳ございません、殿下。もっと早く、ちゃんとお話すればよかったのですが……」

「困ってた? 僕、君を探しちゃ、いけなかったのかな」

「いえ、いいえ! すべて私の都合と問題で、殿下が悪いのではありません!」


 少し声を荒らげた主張は、王子にきちんと伝わっただろうか。私に降り注ぐふわふわとした眼差しは、まだどこか不安そうに揺れている。


「ほんとう?」

「ほんとです」


 視線を合わせ、しっかりと頷き返した。ようやく、どこか緊張していた場の雰囲気が和らいだ気がする。王子がほんの少し、口元を綻ばせたからだろうか。


「よかった。会えて、うれしい。君に」


 王子の言葉はあまりにも素直なものだった。ええ、油断をすると頭を存分に撫でまわしたくなるくらいに。だが私は堪えて、宙に浮かしかけた手を止めた。その手をじっと見られている気もするが。やがて王子は、はた、と思い出したような顔で言った。


「あ。名前。そういえば、知りたいな」


 そうですね、名乗らず消えて、名乗らず逃げ回った私でした。色々と後手すぎてどうしようもない自覚はある。不敬は山盛りになっていたが、今はせめて男爵令嬢として最大限、弁えて挨拶をしなければ。


「申し遅れました、殿下。私はリューブラン男爵家のエステルでございます」


 私は制服のスカートの裾をつまみ、楚々と腰を落として挨拶の形を取った。そんな私をまた、王子はぼんやりとした眼差しで見つめている。何かを考えるような間のあと、誰にともなく。


「……えーと確か。こういう時は、こうすればいいのかな」


 その動きは緩やかなのに、とても華があるのは高貴な血筋(ノブレス)ゆえか。私の手はふわりと自然に取られ、彼の口元へと運ばれる。

 柔らかく、手の甲へとキスが落とされた。そして浮かべられた微笑みは、嗚呼、彼が王子様であることを今更ながら実感させられた。固まってしまった私に王子は不思議そうな表情をしていたが。


 いえ、別に足りない訳じゃない、ので、何度もしないでいただき、たい……!






 だんだんと色褪せてきた芝生へと腰を下ろし、食堂からの持ち帰り(テイクアウト)を膝上で開く。久しぶりのまともなランチは、やはり心が踊るというものだ。乾いたパンで過ごした日々は、午後の授業が侘しい気持ちで一杯だった。

 今日は玉子サラダとピクルスをデニッシュ生地で挟んだサンドイッチに、デザートはレモンのシフォンケーキ。しかし、いざ食べるには背中がちょっと重すぎた。


 もすっ、と背中にのし掛かっているのは、もちろんライオネル王子である。

 学院では大っぴらに私のところへ来るのは控えて欲しいとお願いした結果、端っこ集会(ランチタイム)への参加とあいなった。

 お犬様改め王子様、また改めてお犬様、どうにも私の背中がお気に召しているらしい。


「……ライオネル殿下。不敬を承知で申し上げますが、食事中はきちんと座ってお召し上がりください」


 さすがスヴェン(オカン)、誰が相手であろうと叱る時は叱る。先ほどは王子がここにやってきてから、何故かしばらく固まったまま動かなかったけれど。

 処罰を恐れぬような諫言に、王子は怒るでもなく私の背中から離れてくれた。そう、箱入り王子は本当に素直なのだ。


「あー……こりゃ(ケツ)に火もつくってもンだよなー?」


 相変わらず肉を主食に生きているシーギス先輩は、ずっとニヤニヤとしていたが、意味のわからない茶々をいれてきた。羊肉の串焼き美味しそうですね。

 スヴェンは何故か、そんな先輩を半眼で睨んでいる。油断していたら王子が私のレモンシフォンを勝手に食べていた。そういうところはすごく、王子様です。



 うら寂しいはずの端っこは、いつのまにやら心地よい賑々しさで満ちていた。

 そっ、と自分の髪、短くなった襟足を撫でてみる。これは私がひとりでいれるという()()()でもあったのに。

 所詮は、私の引いたカーテン(意地)など、とても薄いものだったのかな、と秋色の空を仰いだ。

第二章・終

(三章までしばしお待ちください)

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