03 使えるものは使うだけ
補講はなんとか回避したのではないか──
そう信じたいレベルの惨状で、私の夏期定期考査は終わった。
テストを終えた開放感で、廊下を往く生徒の表情は一様に明るい。今日はもう授業も無いので、みな遊びにいくなり、部屋でゆっくり休むなりするのだろう。
私はといえば、先日の宰相補佐官殿からの話が頭の中を回っている。よくもテスト前に重大な話を持ち込んでくれた、という恨み言を言いたい気持ちだ。
ぐるぐると思考が定まらず、私は中庭の方へとぼんやりと歩いてゆく。
ガッ。
背後から突然、頭のてっぺんを鷲づかみにされた。
そのまま持ち上げられれば、私は宙に浮くだろう。もしくは力を入れられたらこの頭はリンゴのように割れる。いや、割られたくはないけれど。
首もガッチリ固定されて振り返ることも出来ないが、犯人は見ずとも知れている。
「掴みやすい頭だな、オイ」
「頭の形をお褒め頂きありがとうございます。ごきげんよう、シーギス先輩。手を離していただけますか」
「? なんでだよ」
「頭が人質にとられているようで落ち着きません」
「お、なるほど」
ぱ、と掌の戒めが外れ、頭部が自由になる。自分で言っておいてなんだけれど、何故これで納得してくれるのか。
「それで、私の頭頂部以外にもなにかご用でしょうか」
解放された首を動かし、森の中で出会ったら絶望しそうな容貌を見上げた。慣れてしまえば愛嬌を感じないこともない三白眼が、私をじろりと見下ろしている。
「いンや、意外と元気そうじゃん」
どのあたりがだ。今の私が元気なら、8日目のセミだって元気ハツラツと言えるだろう。先輩の目は生きてるか死んでるか、の二択で判断しているのではあるまいか。少しばかり非難のまなざしを向けると、その口元が楽しそうに歪む。
「宰相方から無理ふっかけられて慌てふためいてるかと思ったがよ」
「な」
……んで知っているんですか。最後まで続けなくとも、言いたいことは伝わっているようだ。私の精一杯の睨みは、蚊の一刺しほどの威力もなかったのか、先輩は事も無げに言い放つ。
「ああ、人伝で宰相にオマエを推したのは俺だかんな」
「はぁ!?」
またしても貴族の子女として、はしたない以下略。そんな事も言っていられないほど驚いた。思わず先輩の制服のシャツを両手で掴んでしまうくらいにだ。そのまま少しだけ深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
握りしめシワになったシャツを見ないふりして、改めて己の疑問をぶつける事にした。
「推すって、何故。私にそんな大層なこと、できるわけありません」
「学院きっての悪女、男殺しの毒婦、淫魔の生まれ変わり」
「……っ」
「なんつーのを訊いてたワケよ、前から」
人の噂は無責任というけれど、これは裁判でも勝てる域だと思う。最近の自分のクラスでは陰口は聞こえなくなったけど、他クラスや別年次だと、好き勝手に話が膨らむのだろうか。
仕方はないが、気分がよいものじゃない。俯いて無言になっていると、再び頭頂部が鷲づかみにされる。先ほどされたよりは、緩やかだったが。
「ンだが、実物はチビだわバカだわ、突拍子もないわ、悪女にゃ見えねー」
「わかってるじゃないですか……」
「そんなヤツだから、何かしでかしてくれるかと思ってな。つか、ただの女共なら今までさんざ玉砕してんだよ」
日々を慎ましやかに過ごしている私に、奇行を期待しないで欲しい。このとおり、ごく普通の女子なのだ。あと頭をわしゃわしゃされると髪が乱れます。
先輩が山師なのは判ったけれど、疑問はそれだけではない。
「それで、私を推して先輩に何か利点があるんですか」
「おう、あるぜ。宰相からの遣いに聞いただろうが、王家の遠縁を継承者にしようっつー派閥な、うちのオヤジが主導なんだわ」
「え……それじゃ、逆に利点がないじゃないですか」
先輩のお父上、つまりは現将軍のことだ。もし主導の派閥以外が成果を出した場合、将軍の面目が潰れるなり、門閥の力が弱まるなりするのではないか。ならば逆に私を失敗させた方が、家の事を考えれば良いだろう。
「俺ぁな、騎士になる気ねーのよ」
この間は曖昧な返事をしていたが、今日ははっきりと言い切った。
「うちの跡継ぎは長兄ってことでカタはついてる。予備は本当なら次兄なんだが、ちょいと身体が弱くて素養が魔術寄りでな。結果、三男の俺にお鉢が回ってきちまった。
隙見て家を飛び出すつもりではあったがよ、オヤジが負けて、ウチの力が少しでも削がれりゃだいぶ逃げ易い」
つまりは、先輩は私を利用するということか。
だからといって怒る気持ちも湧かないのは、ある意味彼の人柄ゆえ。きっと「使えるものは使うだけだ」とでも返されるに違いないからだ。
「先輩は上手くいったら得をして、失敗でも損はないってことですよね」
「ま、そーゆーこったな」
私にも別にデメリットも無い、いや、テストが散々だった。その恨み、少しくらいぶつけてもよいだろう。
「ずるいです」
じとり、と半眼で言ったが、もちろん先輩に動じる素振りはなかった。それがほんの少し悔しくもあり、無意識に頬でも膨らませていたのかもしれない。そんな私を彼はひとしきり、面白そうに眺めたあと。
「オマエがもし王子に不興を買っちまった時は、この首も一緒に落ちてやるよ」
「……並べるときは別にして貰いましょうね」
クマと人間、一緒に並ぶなんて余りにアンバランスだ。そんな与太話も、先輩は大層お気に召したようか。
持ち上がった口の端から歯が覗く、それは獰猛な獣のような仕草。私にもこれが威嚇ではなく、笑っているのだと判るようになっていた。




