01 エステル=リューブランの嫌いなもの
初めての投稿です。拙い文章ですがお許しください。
私、エステル=リューブランは、美男子が嫌いだ。
嫌い、というと語弊があるか。苦手──否、関わりたくない。
そりゃあ、年頃の娘であるのだから、美しいものは嫌いではない。見目麗しい異性に憧れもしたが、それも今では過去形。どうか私に関係がなく、遠く離れて存在して欲しい。
私は日々を平穏に過ごせれば、それで十分。
このオーベリ王国で爵位を冠するリューブラン男爵家に、長女として生まれた私。善き父、善き母を持ち、兄弟にも恵まれて。下級貴族として生活に困らない程度の暮らしを送る、贅沢を言っては罰が当たるような環境に育った。
何かに大きな才能を持つわけでもなく、平凡な少女としかいえない自身であったけれど。
ただ、ひととは違う、ひとには言えないことがあった。
ある状況に限って、頭の中に『三つの選択肢』が鮮明に浮かぶのだ。
……………頭のかわいそうな子と思わないで欲しい。
そして三択が出るのは、顔のよい男子と会話している時だけである。いや、ますます頭のかわいそう度が上がってしまった。
これは冗談でも妄想でもなく、脳の疾患でもない。──多分。
そのことに最初に気付いたのは、六歳の時だった。
男兄弟が多かったせいで、幼少時は少々アグレッシブだった私は、物心ついた頃より近隣に住む庶民の子供達に、紛れて遊び回っていた。
身体が大きくなるにつれて少しずつ行動範囲も広まると、とある大きなお屋敷の近くまで足を伸ばす事が増えた。門から覗き見える美しい庭が、子供心にも興味を惹いたのだ。
とくにお気に入りは、精密な白馬の彫刻が設えられた噴水である。『あの馬に勇ましく跨がり、勇敢な騎士ごっこをしてみたい』という、上品にはほど遠い理由であったけれど。
そして別の日、散歩で一人ぶらぶらしていると、屋敷をぐるりと囲む塀に、子供だけが通り抜けられそうな抜け穴を発見した。
憧れの庭に足を踏み入れられるのだと、幼い私は嬉々として穴をくぐり抜けた。
手入れの行き届いた庭には季節折々の花が咲き誇り、遠目に見ていた美しさそのままだ。さすがに庭の中心にある噴水に近づくと住まう人などに見つかりそうなので、草木の間をこっそりと散策することにした。
庭の片隅には、とくに丁寧に手入れがされている薔薇の株があった。
淡い黄色の花弁はシルクの様になめらかで美しく、まるで宝石のようだと──いいや、宝石よりも輝いて見えた。
それならば、その傍らに俯き佇む少年は、絵本で読んだ薔薇の妖精ではないのか。
花弁の色に似た淡い色の髪、瞳の色は鮮やかな新緑を彷彿させる。自分と同じ年頃のようだけれど、普段一緒に遊んでいる青っ洟の垂れた子供らと同じ生物とは思えない、端正で品の良い顔立ちだった。
薔薇と並ぶ姿は完璧な絵画のようで、生まれて初めて知る美しいものに、幼い私の思考は完全に止まっていた。
「…………何?」
少年が訝しげな声で私に問う。ぽかんと口の開いた、阿呆面で凝視していれば当然だろう。むしろ、大声で人を呼ばれなかったことを感謝しても良いくらいだ。
「あ……」
突如現実へと意識を引き戻され、まだふわふわとした思考の中で、私は何らかの返答をしようと口をひらいた。その時。
> 庭に入り込んでごめんなさい!
> ねえ、一緒にあそぼう
>>> もしかして泣いていたの?
目の前の少年に返すための言葉が、まるで天啓のように脳裏を過ぎった。今思えば、随分と俗っぽいカミサマであるが。
しかも、うち一つだけ何故か強調されている。まるで、それを選べと誘っている、ような。
「……っも、『もしかして泣いていたの?』」
びくり、と少年の肩が跳ねた。加えて言えば、彼の目に涙などは見えず、泣いていた形跡はない。状況的には全く見当違いの言葉だ。
「なっ……僕のどこが泣いているように、みえるんだ」
少年もそう言い返してきた。声はほんの少し上擦っていたが、否定の言葉に慌てた私は気付けない。悪戯を見つかってしまった時のように、言い訳になる言葉を探す。
「えっと、えっと……なみだ、……バラに涙が、こぼれてる、から?」
私が指さした先には咲き誇る淡色、彼の視線が指先を追う。花弁の水滴はもちろん涙などではないだろう。朝露が残っていたのか、庭師が水でも撒いたのか。
なのに、少年は何かが喉につかえたように、言葉を詰まらせる。
「っ、…………かあさまの、──」
ぽつ、と目の前の男の子から、微かなつぶやきが漏れる。けれどそれは私には聞きとれず、首を少し傾ぐのみだ。
もちろん、その頃の私は知るよしも無かった。侯爵家の跡取りである少年は、幼い頃よりそれは厳しく育てられていたということ。彼の優しい母親は肺を患い、遠い別荘で療養をしており、たいそう寂しい思いをしていたらしい。
会えぬ母親の面影を追い、彼女が慈しんでいた薔薇を拠り所に感じていたという事など、初対面で伺い知れる訳がない。
「僕は泣いて、ない。それに、とうさまの息子として、どんな時も泣いたらいけないんだ」
「えっ、かなしいときとかも泣いちゃいけないの?」
「そうだよ」
下級貴族ではあるが、のびのびと育てられた私には、子供が泣くのを我慢しなければいけないなんて、信じられなかった。口を開こうとした直前、また脳裏に選択肢が現れる。強調されたひとつを、また選べというのか。
「……『じゃあ、そのバラがかわりに泣いてくれてるのね』」
今思えば、まるで夢見がちな少女のようで恥ずかしい台詞に、少年はただ目を丸くした。
一呼吸置き、彼はその幼い指をたおやかな薔薇へと触れさせた。花弁が揺れ、雫がこぼれ落ちる。
「──…そう、なのかな。じゃあ、かあさまがかわりに、僕のことを……」
私に話しかける、というよりも自分に問うような声音だった。私はそれよりも、 一幅の絵のような彼の姿に気を取られていたが。
緩やかに流れていた時間を、子供の私はすぐに投げ捨て、一番最初からずっと思っていたことを口に出した。
「ね、バラ、すごくきれいだね!」
お転婆であろうが、やはり美しいものは美しいと思う。綺麗なものを見れた嬉しさをずっと伝えたかったのだ。脳天気に笑う私を見て、少年は何故か動きを止める。息の仕方を忘れたのだろうか、と心配になったものだが。
「……、……とっ、ところできみは、誰?」
改めて、ごく当然であろう質問をされた。
今更ながら自分の状況を思い出す。私は庭に許可無く訪れた闖入者だ。大人に見つかったら、ものすごく怒られるだろう。
「ご、ごごご、……ごめんなさーい!!!」
遅すぎる謝罪で頭をぺこりと下げると、くるり踵を返す。背後から少年の呼び止める声が聞こえたが、かまってはいられない。
草木の間へと潜り込み塀の穴から出ると、私は全速力で走り逃げたのだった。