管理人
『僕』が『管理人』になって、どれくらいの時間が過ぎたのだろう?
肉体はとうに朽ち、それでも『僕』は生き続けた。
精神体となった『僕』の姿は、いつしか、かつての『管理人』そっくりになっていた。
『僕』が知っているのは『管理人』の姿だけだから、それも当然なのかもしれない。
『僕』は、先の尖った黒い帽子と黒い服を身に纏い、箒と『ルールブック』を携えて、この死の惑星をどこまでも歩いて行く。
……何も無いことはわかっている。
だけど、もしかしたらという希望がたえず頭をよぎり、一歩を踏み出さずにはいられない。
進めば、進むほど、絶望が増すだけだとわかっていながら……。
◇ ◇ ◇
どれほどの時間をさまよい歩いたのか、もうわからない。
同じ景色の中を『僕』は、ただぐるぐると回り続ける。
何も変わらない世界。
それがこの先、永遠に続くのだろうか。
『僕』の中に、わずかに灯っていた希望の光が消え去るのを感じた。
『僕』に残されたモノは、絶望だけ。
それさえも、この惑星の意思だったのかも知れない。
『僕』が絶望で満たされるのを待っていたかのように、天から希望が降ってきた。
天から降ってきたのは、赤ん坊だった。
手足をばたつかせ、元気に泣いている。
『僕』には、すぐにわかった。
この赤ん坊が『ウサギ』だということが。
『僕』は赤ん坊を抱き上げた。
この赤ん坊が『ウサギ』だから、精神体である『僕』にも抱けたのだろうか?
それは『僕』にもわからない。
ただわかっていることは、このチャンスを逃すと次は無いということだけ。
どうすれば『ウサギ』が『管理人』になるのかはわかっている。
『僕』が『管理人』にされたことと同じことをすればいい。
それで『僕』は自由になれる。
『僕』は腕の中にすっぽりとおさまった小さな『ウサギ』を見つめながら、ドームへと向かって歩き出した。
◇ ◇ ◇
『ウサギ』を育てるようになってから『僕』の時間は瞬く間に過ぎていった。
小さかった『ウサギ』が少しずつ大きくなるたびに、もう少しで自由になれるという想いと、もう少しこのままでいたいという想いが交錯する。
そして、その日は突然やって来た。
まだ『僕』の気持ちが定まらないうちに。
「ダメだよ!行っちゃダメだ!!」
今まさに、ここから出て行こうとしている『ウサギ』に向かって、『僕』は悲鳴のような声をあげる。
『ウサギ』が『外』へ行けば『僕』は自由になれる。
だけど『僕』が自由になれるということは『ウサギ』に深い絶望を与えるということ。
そう思ったら『ウサギ』を引き留めずにはいられなかった。
「今なら、まだ間に合うから。だから、戻っておいで」
かつて『管理人』が『僕』に言った言葉を今度は『僕』が『ウサギ』に伝える。
「このまま、ここで一緒に暮らそう?」
自由には、なりたい。
だけど『ウサギ』にかつての『僕』と同じ想いはさせたくない。
たとえ『僕』が『管理人』として永遠にこの惑星に縛られることになったとしても。
必死な思いで差し出した『僕』の手を『ウサギ』が払いのける。
「さようなら」
そう言うと『ウサギ』は『僕』の前から姿を消した。
『僕』はもう何も言わなかった。
追いかけることもしなかった。
これが『ウサギ』の、そしてこの惑星の意思だと悟ったから。
『僕』という存在が少しずつ消えていくのを感じながら、『僕』は『管理人』のことを思い出していた。
自分が自由になるために『僕』を犠牲にしようとした『管理人』。
だけど、最後の瞬間『僕』に手を差し出した『管理人』。
もし『僕』がこの手を取れば、永遠にこの惑星の呪縛から逃れられないと知りながら、それでも『僕』に手を差し出した『管理人』。
今なら、『管理人』の気持ちがわかる。
ドームの中、偽りの空を眺めながら『僕』はかつての『管理人』の気持ちに思いを馳せる。
ずっと孤独だった。
そんな中で見つけた唯一の希望。
その光を失わないよう大切に育て、見守ってきた。
初めは自分が自由になるために。
だけどそのうち、ただただその存在が愛おしくて。
――もしかしたら、本当の絶望を味わったのは『管理人』の方だったのかもしれない。
薄れゆく意識の中で『僕』はぼんやりとそう思った。
もうすぐ『僕』の『ウサギ』が次の『管理人』になる。
『管理人』は次の『ウサギ』を育て、その『ウサギ』がまた次の『管理人』となる。
こうして、この惑星は絶望で満ちていくのだろう。
この惑星が消滅する、その日まで。
(完)