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ウサギ

やっと。

やっと、ここを出て行ける。



夢にまで見た

美しい世界へ――――。



◇ ◇ ◇



丸みを帯びた天井。

その天井には、いつも偽りの空が広がっている。


どこまでも青い空。

飛び交う白い鳥達。


――すべて、立体映像だ。


『僕』は物心ついた時から、この偽物の空を眺め、本物の空に憧れて育った。

『僕』は一度もこのドームから出たことがない。


正確には、『外』に行きたくても出られない。

ここから出るための、唯一の出入り口は、『僕』の遥か頭上にあるからだ。


『管理人』は、『僕』がもっと大きくなったらあそこに手が届くよ、と何度も繰り返すだけ。


『管理人』はときどき『僕』の様子を見に来る。

いつも、突然『僕』の後ろに現れるから毎回、驚かされる。

出入り口は『僕』の頭上にある一カ所だけなのに、何で毎回気づかないんだろう?


「何をしてるの?『ウサギ』ちゃん」

『管理人』が、『僕』の背後から声をかける。

「空を見てた」

振り返りながら『僕』は『管理人』に答えた。


『管理人』はいつものように、先の尖った黒い帽子をかぶり、全身黒い服に身を包み手には箒を持っている。

そして、小脇には一冊の本。

以前、何の本かときいたら「ルールブックだよ」と言っていた。

「この世界の(ことわり)が書いてあるんだよ」と。


「でもお前には、まだ読めないだろうね」

そう言って『管理人』は笑った。

その瞳は、どこか遠くを見つめているような、そんな不思議な瞳をしていた。


実際、一度だけ『管理人』の目を盗んで、『ルールブック』の中を見たことがある。

だけど『管理人』の言うように『僕』には『ルールブック』を読むことができなかった。

見たことのない記号の羅列が、延々と続いているようにしか、見えなかった。


「ダメだよ、『ウサギ』ちゃん。他人の物を勝手に見ちゃあ」

そう言うと、『管理人』は『僕』の手から『ルールブック』を奪った。

「まだお前には早いよ『ウサギ』ちゃん。代わりに『外』の話をしてあげるからね」


いつも聴かされている寝物語を『管理人』が唄うように話す。



本物の空は、どれほど青いのか。

本物の鳥は、どれほど自由なのか。

本物の太陽は、どれほど眩しいのか。

本物の風や植物や大地の香りは、どれほど心地良いものか。



いつも憧れだけを胸にそっと眠りにつく。

いつの日か、憧れが現実になることを夢見て。



◇ ◇ ◇



『管理人』から憧れだけを詰め込まれ、どれだけの時間が過ぎたのだろう?

それは、わからない。

でも、やっと、機は熟したのだと思う。


いつの間にか『僕』のカラダは大きく成長していた。

この部屋の家具を上手く使えば、きっと、出口に手が届く。


ベッドや机や椅子や本棚…ここにあるものを何度も組み合わせてバランスを試す。

何度も試行錯誤を繰り返し、ようやく実行に移す時がやってきた。

何度も試して、一番高さとバランスが良かった組み合わせに家具を配置する。


今日、『僕』はここを出て行く。

そう決意して、組み合わせた家具をよじ登って行く。

初めて間近に見た出口は、意外と小さく、『僕』の体一つが、なんとか入るくらいの大きさしかなかった。

出口を覗いても、中の様子は暗くてよく見えない。

でも、かなり遠くの方に、かすかに光が見える。

きっと、あの光の先が『外』なんだ。


『僕』が出口に頭を突っ込もうとした、その時、背後からさっきまでは確かに居なかったはずの『管理人』の悲鳴のような叫び声がした。

「ダメだよ!行っちゃダメだ!!」

思わず振り向くと、箒に跨って『僕』と同じ目線の高さにいる『管理人』の姿が目に入った。

「今なら、まだ間に合うから。だから、戻っておいで」

『管理人』が『僕』に手を差し出す。

「このまま、ここで一緒に暮らそう?」

そう訴える『管理人』の瞳は、なぜか悲しみで青く染まっていた。

「……無理だよ」


『外』がどんなに美しいのか。

『外』がどんなに楽しいのか。

『外』がどんなに光で溢れているのか。


それを『僕』に教えたのは『管理人』だ。

いまさら『外』に行くな、なんて無理だよ。


「さようなら」

『僕』は『管理人』の手を払いのけ、頭を出口に突っ込んだ。

『管理人』はもう何も言わなかった。

追いかけても来なかった。

『僕』は遠くに見える光だけを目指して、出口を進んで行った。


中は意外に、歩けるほどの広い空間があった。

どうやら、狭かったのは出入口だけだったらしい。

『僕』は歩くのもまだるっこく、光に向かって駆けだした。


息切れがするほど走り、ようやく光が差し込む扉に到達した。

『僕』は扉を開けようと、力一杯押してみたけど、扉はびくともしなかった。

何度か同じことを試した後、『僕』はやっと、扉の横にボタンがあることに気がついた。

ボタンを押すと、思った通り扉が左右に開きだした。

徐々に広がってゆく光の帯に胸を膨らませながら、じっと扉が開くのを待つ。

完全に扉が開くと同時に『僕』は『外』に飛び出した。



やっと。

やっと、ここを出て行ける。


夢にまで見た

美しい世界へ――。



◇ ◇ ◇



「ここが『外』?」

口からぽろりと言葉がこぼれる。

何度も何度も目をこすり、まばたきをしてみても、目の前の光景は、何一つ変わらなかった。


どんよりと灰色に染まった空。

無造作に積まれた瓦礫の山。

灰塵を含み、ざらざらとした風が廃墟になった街を通り抜けて行く。

動物はおろか、虫や植物さえも生きてはいない。


――まるで、死の世界だ。


『僕』の目から涙が零れた。


――これが夢にまで見た世界…?


『僕』はこんな世界を望んでいたわけじゃない。

望んでいたのは、光溢れる世界。


重苦しい空気が『僕』を支配していく。

このまま、ここにいたら『僕』はこの灰色の世界に押し潰されてしまう。

『僕』は絶望だけを胸に、もと来た通路を戻って行った。



◇ ◇ ◇



「『管理人』どこだ?いるんだろう?」

いつもの部屋に戻って来た『僕』が真っ先にしたことは、『管理人』を捜すことだった。

だけど、さっきまで確かにこの部屋に居たはずの『管理人』の姿は、どこにも無かった。

かわりに『管理人』がいつも肌身離さず小脇に抱えていた『ルールブック』が床に無造作に置かれていた。


『僕』は何かに操られたように『ルールブック』を拾い上げ、ぱらぱらとページをめくった。


――わかる。何が書いてあるのかが、わかる。


前に見た時は、記号の羅列にしか見えなかった。

今も記号の羅列にしか見えない。

だけど、わかる。

『ルールブック』に記されたことが頭の中にはっきりと浮かんでくる。



『ルールブック』には、この世界の(ことわり)が記されていた。


『管理人』とは、この惑星(ほし)の管理者のこと。

たとえ、生き物のいない死の惑星(ほし)になっても、この惑星(ほし)が消滅するその日まで、ただ一人生き続け、すべてを見届ける運命を背負いし者。

そして『ウサギ』とは、『管理人』と成り得る者のこと。


『ウサギ』を『管理人』に育てることができれば、『ウサギ』を育てた『管理人』はこの惑星(ほし)の呪縛から解放され、輪廻(りんね)の輪に加わることができる。


『ウサギ』を『管理人』にするために必要なモノ。

それは『絶望』。

何よりも深い『絶望』。



その瞬間、『僕』はすべてを理解した。


なぜ『僕』が閉じ込められていたのか。

なぜ『管理人』が『僕』に憧れを詰め込んだのか。

なぜ『僕』が外に出るように仕組んだのか。


でも、今更わかっても、もう遅い。

『管理人』が消え、『僕』が『ルールブック』を理解できるようになったということは、『僕』が次の『管理人』になったということなのだから。





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