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七夕前日の恋心

 大昔、男は女に言った。どれほど離れることになっても、どれほど時間が経っても、必ず迎えにいく。

 だから織姫は待つのだ。

 7月7日。銀漢とも呼ばれる天の川の川岸で、背を伸ばし遠くを見つめる彼女を見る度に、月は意味も分からず腹が立つのである。


 年に、たった一度の逢瀬である。もう一千年以上も前に交わされた約束だ。天の帝の娘たる、織姫。牛飼いの男、彦星。愛し合うがあまりに引き離された哀れな二人。

 幾万もの星がきらめく天の川に隔たれて、二人は一年に一度しか出会えない。

 しかし雨が降れば、川は曇る。銀漢というにふさわしく、銀に濁って渡れない。その都度、織姫は哀れなほどに沈み込む。

 実際の話、雨が降ろうが晴れようが、銀の川を越えて彦星が彼女に会いに来たことなど一度もないのである。それなのに、彼女は毎年毎年、この時期に着飾ってうきうきと川の側に立つ。

 一千年も過ぎたというのに、彼女は相変わらず七夕前日は嬉しそうだ。どうせ、翌日にはぼろぼろと泣く羽目になるというのに。

 そんな姿を、月はもう一千年以上見つめ続けてきた。

 最初はなんと鬱陶しい女だと思った。10年目には哀れに思った。100年目には、彦星に腹を立て、一千年経った今では、織姫の鈍感さに腹を立てている。

「思いついたのだけど、ねえ。あたしから会いに行くのはどうかしら」

「は?」

 一千何年目の七夕前日。織姫は天の川に足を浸し、そんなことを呟いた。月は腕を組んだまま、思わず声を尖らせる。

「最近の世の中ってすごく便利なの。こんなものがあるの」

 織姫はそういって川から足を抜く。その細い足は、大きな靴で覆われている。

「雨の中を歩いても、水の中でも、泥の中でも、この靴を履いて歩けば平気なんですって。れ……れいんぶうつっていうの」

 重そうなその靴を必死に持ち上げて彼女は続ける。

「ちょっと不格好だけど。それと、ちょっと暑いけど、便利ね。そう思わない?」

「馬鹿だろう、おまえ」

 月が呟くと織姫は、ぷうと頬を膨らませた。

「だって、待ってばかりじゃつまらないもの」

 彼女は一千年前と変わらない。その幼い瞳も、艶やかな髪も、赤い頬も。細い体も、鈴を転がしたような声も、甘い香りも。

 そして、その純たる恋心の向かう先も。

「年に一回だけじゃ、つまらない。毎日会えた方が楽しい……お前はそういった」

「そうよ」

「じゃあ、あいつが会いに来たことが一度だってあるのか」

「……だって彼はいったのよ。恋の笹舟に乗って、銀漢の荒波に乗って必ずあなたを迎えにいきますって」

「銀漢の荒波なんぞ、ありやしない。そこはせいぜい、魚がちゃぷんとやった滴が舞い散るばかりだ。来ようと思えばいつだって、来られるはずだ」

 月は思わず意地悪な気持ちになって、毒を吐く。

「止めておきな。どうせいまごろ、あいつはどこかの姫君とねんごろさ」

「意地悪」

 広大な宇宙の真ん中に浮かぶ、銀の川。その隅っこに座るのは、織姫と月ばかり。月もそれほど暇ではない。ただ、ここでぽつんと座る彼女が気になって、ちょくちょくと顔を覗かせるようになった。

 最初は月に怯えた彼女も今ではすっかり馴染みだ。

 大きな靴で水を蹴散らしながら、無邪気に笑う。

「そうだ。あなたが、あたしを運んで頂戴。月には御姫様が居て、素敵な乗り物があるのでしょう」

 姫君の血が抜けきらない彼女は、時に我が侭だ。

「それに乗って、あたしから彦星を迎えにいくの。素敵ね」

 歌うような彼女を見つめ、月は無言である。

 年に一度しか会えない恋人同士、それとも毎日出会えても思いの通じない片思い。 

 さてどちらがより哀れであろう。と、月は小さくため息を漏らした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やさしいお月様にほっこりとした気持ちを頂きました。 それと、何時までも変わらぬ織り姫の純な気持ちにも癒されます。 [一言] 天帝は女好きの「牽牛」に良い浮気の機会を与えただけで、全く罰にな…
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