序章
この世界には表と裏がある。
必ずコインに表と裏があるように。
「お腹空いた…」
幾つもののパソコンの画面を見つめ、近くに置いているミニ冷蔵庫の扉を片足で開け、中にあるプリンを両足で器用に取り出す。
そのまま、机に置いてスプーンで食べる。
私の大好物の一つだ。
現時刻、10時。あれ? 夜だっけ? 朝だっけ?
まあ、いいや。私には関係のないことだし。
そしてパソコンの画面一つ一つに『You win』の言葉が表示される。
「チェスも飽きた。RPGも飽きた。将棋もオセロも飽きた。他にゲームないのかな?」
なんて独り言を言っても何も変わらない。
刺激が欲しいとは言わないけど、この世界は平凡すぎて窮屈すぎる。
おっと、自己紹介を忘れていた。
私の名は中原無実。
無実。何も無い果実。
まるで存在を否定された名前。この名前をつけた親の意図が見え見えだ。
そして高校一年生で絶賛引きこもり中だ。
引きこもりの理由が表で生きていくのに飽きたから、というのは我ながら上手い口実になるだろう。
本当の理由は自分の中にある変な能力みたいなものの所為だ。
触れた人や物の過去と未来が見える能力。酷い時には触れた人の死に際まで見える。
今では何とか抑えれるようにはなったものの、感情的になったら能力がでてしまうのだ。
「そして除け者扱い」
いやもう本当、参っちゃうね。
こういう時、不意に思ってしまう。
ゲームのように居心地のいい世界を作ることができるなら。
あー、人生クソゲーだわ。
重たい腰を椅子から引き剥がし、立ち上がった瞬間のことだった。
『あーあー、マイクテストーマイクテストー。ねェ、聞こえてるー?』
幾つもののパソコンの画面が砂嵐となった。
声は画面の向こうから聞こえる。10代半ばぐらいだろう。
数秒ほど硬直したが、頭をフル活動させて状況を確認した。
そしてキーボードやマウスを手がもげるほど使い、エンターキーが潰れるほど叩きまくったが結果は変わらず砂嵐の画面のまま。
『いやァ、なんかご苦労様。手、疲れたでしょッ?』
「疲れたよ。ていうか、あなたは誰? 普通に今、摩訶不思議な現象が起きてるんだけど?」
『その現象の原因は僕だネ。まあ、それはともかく。単刀直入で言うけどサ、君はこの世界の人間じゃないネ』
こいつは私の何を知っているのかは知らないけど、最後の一言は合っていた………と思う。
ふぅ、と息を吐き、重かった腰を椅子に置く。
「確かにそうかもね」
『じゃあサ、天下取ってみない?』
「天下? 馬鹿げてるね。第一、この世界で天下なんて無理だよ。ムリムリ」
『別に僕は『この世界で』なんて一言も言ってないケド?』
「何が言いたいの?」
『それにサ、君の世界はその部屋だけでしょ?』
何も言えない。
この部屋、この『世界』が私の全てだからだ。
『そうだネ。ここで説明するのも面倒だし、感じるほうがいいよね』
その言葉に疑問を抱く暇すらできず、視界が真っ暗になった。
。。。
重い瞼を開ければびっくり仰天、私のマイパソコンたちは消え、男性二人が私を不思議そうに見ていた。
一人は体型は平均的でボサボサの黒髪に全身を包む黒のコート。だが、整った顔立ちをしている。
もう一人は隣の人とは正反対に整えられた容姿だった。きっとクリーニングに出したであろうシワのない燕尾服に黒い手袋。
そして黒縁メガネ。
どこか会社の中なのだろうか。机には山積みになった書類と珈琲があった。
……………え?
「あははっ!! 見たかい、芯咲君!」
「見たも何も…何故、魔物が召喚されず、女が召喚されたんだ?」
「イレギュラーだよ! イレギュラー!」
どうなってんの?
…そうか、わかった。夢か。そうだ、夢だ!
「大方、これは夢だとでも思ってるんじゃないかな?」
……え、うそ、わかった? マジで?
「図星か」
「まあ、出会ったら自己紹介だね。うん、これも何かの運命の悪戯かもね」
何だろう。トントン拍子に話が進んでるような。
「僕は緋山 駿。この桜宮相談所の事務員さ。年齢は20で絶賛彼女募集中だから。よろしくね、お嬢さん」
と、軽くお辞儀をすると私の手を掴み、上下にブンブンブンブンと動かした。正直、痛い。
「ほーら、芯咲君も」と緋山さんは芯咲という人の肩をバシバシと叩く。
「わかったから叩くのはやめろ。この阿呆!」と緋山さんにトルネードスクリュー。これは見事。
まったくと言葉を零し、目線を私に戻す。
「俺は芯咲紫。紫と書いてゆかりだ。年齢は20歳だ。……彼女はいらん」
「一生、童貞だね。乙」
「黙れ阿呆!!」
緋山さんはともかく、と言葉を続けた。
「君の名前を教えてくれないかい?」
「……名前は」
そこから先は言えなかった。
言えるはずがなかった。平然と淡々と中原無実って、何も実らないって、存在を否定されてる名前だって、言えばいいのに。
そして、
「名前はない」
と言ってしまった。
「嘘をつけ。名前くらいあるだろ、親がつけたのだからな。それにこちらが貴様の名前を知れば調べて、元いた場所に送り届けることだって可能なんだぞ? いや、召喚されたのだから難しいか」
嫌だ、帰りたくない。
何故だか、その言葉が脳裏を横切る。
「そうかいそうかい、じゃあ質問を変えよう。君はどこから来たんだい?」
「東京…」
「トウキョウ? それはどこの国の市なのかな?」
「いやどこの国って、日本の首都だし」
私の言葉に二人が首を傾げる。
何かおかしいことでも言ったのだろうか?
「うーん、そのニホンは魔界にある国なのかい?」
「魔界? 何それ。てかここは日本じゃないの?」
「ニホンというものじゃないよ。ここは『紅の帝国』だよ」
緋山さんが嘘をついているようには見えなかった。
嘘でしょ? このままだと私の考えが当たってしまう。
「この世界には三つの世界があるらしいんだよ。魔界、今僕たちがいる世界と『この世界に似ているが違う世界』」
「まさか、この小娘がその『この世界に似ているが違う世界』から来たと言いたいのか?」
「ピンポーン。君も薄々、気づいていたんじゃないかい?」
そう。緋山さんの言うとおり、薄々気づいていた。
私は異世界にきてしまった、と。